犬のきもち

@ungo

犬のきもち

 行きつけの個室の居酒屋、落ち着いた照明に照らされながら、私と友人が向かい合っている。私が茶漬けの梅をほぐしていると不意に、友人が犬を飼いたいという。

安定した職業で金銭にも余裕がありそうだったので、

「いいんじゃないか」

と気軽に相槌を打った。

犬を飼っている私は、犬の躾や買い方を軽く説明してやると、

「散歩は忙しいから無理だな散歩はいいや」

と言う。

「バカ言うな。犬は散歩が好きだ。それに適度に運動させないと早死にしてしまう」

「運動しない犬だっているだろう」

「散歩は最低限の躾だ。そんなこともできない奴は犬を飼うな」

「なんでだ。別にいいじゃないか」

「なんでじゃない。もういい」

自分勝手な発言に苛立ってその話題を打ち切った。

怒る私に配慮したのか、それから当たり障りのない会話が続き、帰りはいつものように逆方向の電車に乗って帰った。

 家に着き、出迎えてくれた犬を撫でていると、先程の話を思い出してまた腹が立ってきた。

「犬の気持ちになって考えられないなんて、いい加減な奴だ」

犬の顔を見ながら呟く。

困り顔で見上げる犬を撫でる。

健康的な飯を食い、運動し、撫でて欲しいときには撫でてもらい、こいつはなんて幸せ者なんだ。

そう思っているとなんとなく、緩やかに流れていた思考の流れにちょっとした違和感があった。小川の流れの途中に流木が引っかかっているような、魚を食べているときに身と一緒に小骨を噛んでしまった時のような、そんな違和感だった。

そのまま噛み砕いて飲み込んでしまうこともできたが、丁寧に取り出してみる。

この犬は本当に幸せなのだろうか。

犬の幸せとはなんだろうか。

 毎日朝晩同じものを食べ、水を飲み、同じコースを散歩する日々。

人間に置き換えるとぞっとした。

もちろん人と犬は違う。犬は言語を介さないため思考はしない。日々に疑問を抱いたりしないだろう。

しかし、犬にとってこれが最善の幸せなのだろうか。

 体に良いドッグフードだけを食べて長生きするよりも、体に悪いものを食べて短く生きる選択肢もあるように思える。

ある程度思考して、リテラシーを育てた人間なら健康な生き方を選択する人間もいるだろう。だが、果たして犬の幸せもそうかはわからない。

人は最早一種類の食べ物では満足できない。健康に生きようとしているといっても、体に悪いとわかっていたってラーメンやハンバーガーを食べるし、酒も飲む。欲求は犬も同様にあるはずだ。味を知らなければ感じようがないかもしれないが、犬にたまに人の食事を食べさせる人もいるだろう。欲しがっていたら、少しならとあげたりすることが。私の犬もテーブルに片付け忘れた残飯を食べてしまったことがある。つまり、その味を知ってしまっている。

散歩が嫌いな犬もいる。ストレスを与えて無理に散歩をさせて良いものか。

正解はわからない。犬は意見を発しない。

 犬の気持ちとはなんだろう。困り顔で見上げている犬の、狭いおでこに鼻を埋めた。

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