背中のひっかき傷

一本杉 朋恵

背中のひっかき傷

 私の背中にはひっかき傷がある。

 ――かーごめ、かごめ。籠の中の鳥は……

両手で固くつぶった目をさらに上から押さえて、何も見えない闇を楽しむ。土埃のにおいが鼻から私を襲う。くるくるくるくる、無防備な私の周りを節に合わせて周る音がする。

 幼い私は何にワクワクしていたのだろう? 不安定な体勢で座り込み、背後をがら空きにし、視界を自ら奪い、耳をすませているだけのそんなか弱い存在に、どうして一時的にでもなれたのだろう。そんな姿を他人の眼前にさらしながら、なぜ、心を高鳴らせていたのだろう。

 「そんなに、こっち見ないで」

突然の私の言葉に、同僚はえ、と意外そうに瞬いた。無言で着替えていたのにいきなり注意されて彼女は動揺した。

「ごめん、特に見てたつもりはなかったんだけど」

私は恥じた。ロッカールームで着替える際に、他人の目線を気にしてしまうのは私の悪い癖かもしれない。言われた同僚はわざとらしく(……ちがう、私にわざわざ配慮をしてくれたのだ……)百八十度首を傾けて、壁の斜め上に視線を移した。

 いつもはロッカールームの時間をずらしてなるべく他人のいない時間を狙うのだが、今日は定時ぴったりであがれたことが嬉しく、予約品をとりに行こうと思っていたショップの閉店時間に間に合いそうだという欲が私を突き動かしていた。

 私の背中にはひっかき傷がある。私自身はよく見えないが、確かにあるらしい。あるらしい、というのは傷ができた経緯を忘れているからだ。小学校の水泳の時間に教室で着替えていたときに同級生に指摘されて気が付いた。帰宅してから母親に確認してみたところ、『青紫色のミミズばれみたいになってる。まるで屋台のフランクフルトが腐ったみたい』と揶揄されて私はひどく傷ついた。かなり大きな傷だったようで、病院を何軒か回ったが、特に私自身が痛みを訴えなかったことで、結局は応急手当のようなものをして終わってしまった。それについては今更後悔をしていた。小学生の私は傷について特に深く考えていなかったし、不便がなかった。けれど時が経つにつれて、ああ消しておけばよかった、きれいにしておけばよかった、とそう思うのだ。合わせ鏡にでもしないと私には見えないその傷は、年を重ねるごとに薄くなっているはずだが、私の心の方に作用してきた。自分に自信がなくなるたびに、この傷さえなければ、と私の心を暗く深い闇へ誘うのだ。

 「じゃあ、お先に」

「あ、うん、お疲れ様です」

同僚はそそくさとロッカールームを出て行った。私は悪いことをしてしまった、と目を伏せた。明日、彼女は違う同僚にこのことを話すだろうか? 見ていなかったと言っていたが本当だろうか。

『ねえ、昨日、佐々木さんの背中に傷があるの私見ちゃったの。知ってる? 傷があるの。そうしたら、彼女血相を変えてさ~、あんなに怒らなくてもいいのに。心が狭いよね。そうそう、べつに佐々木さんのことなんて誰も気にしてないのにさ。いつも思ってたけど、少し自意識過剰なんじゃない? まあどうでもいいけど』

ぐわんぐわんぐわん、明日のことを考えるだけで目が回る。自意識過剰なことだってわかっている。背中の傷はよく見えないが、下着の上からわかるほどの色形ではもうないはずだ。それでも、背中にそれがついていると思うだけで、――ましてや自分ではよく見えないせいで、かなりの劣等感が私を襲い不安にさせるのだ。

 私は彼女と入れ違いで他の同僚達が入ってくるのに軽く挨拶をして、そそくさと着替えを終えて、足早に会社を出た。

 かーごめ、かごめ、私を囲っている満員電車の人混み、この中で私は背中の傷を必死に隠している。洋服の下にあるはずのその青紫色の醜い痕、私にも見えないそれは他人からもひっそりと隠されて私と共に移動していく。どこにいても私の背中にくっついてまわって、私を卑屈にした。小学生の私は、なぜもっと泣きわめかなったのだろう? 醜い、と私の傷に言い放った母親に怒鳴って、消してくれ! と要求しなかったのだろう。痛みはなかった。けれど、歳月を経るごとにその存在感は増していく。なぜ?

 たとえば、この傷が――私にはよく見えないが――あの同僚の背中についていたらどうだろう? 私は気にしていたか? いや、特に気にならなかっただろう。ああ、ひどい傷、ご愁傷様とは思ったかもしれない。けれど、そこまでだ。次の日に話のネタにすることもあるかもしれないが(それはどうかとも思うが)、一週間後にはすっかり忘れ、ああでもそうだな、私は彼女を見るたびに傷のことをふと思い出すかもしれない。それで、彼女というプロフィールを頭の中から出すときに卒業した大学の名前と同じくらいの項目で『背中に傷がある』という欄を忘れないだろう。

 かごめ、かごめ、私を囲っている人間、それが私の背中の後ろに止まろうとする。私の傷を見ようとする、幼い私はそんなことには気づかない。その傷に触れられたら、最後まで傷のある人というレッテルを貼られ、その人のフィルターを通した私は一生その人物像から逃れられないのに、私はその傷を庇う行為にすらコンプレックスを感じて生きていかなければならない。

 どんな時に負った傷だっただろう? 私は、どうしてそんな一生悔やむような怪我をしたのに、その時のことを覚えていないのだろう。まして、その時には大丈夫な気がしていた。実際になんてことなかった。けれど、そのあと時を重ねるごとに、その怪我が私を追い込んでくる。私のたった一度の過ちが、私を生涯がんじがらめにするような気がする。そんな傷を負ったときのことを私は覚えていない。大事か? 傷を負った時の状況――もちろん大事だ。私を傷つけたものが、たとえ物でも人でも私はそのものに怒りをぶつけたい。ぶつけてどうする? ぶつけて、私はどうなる? ぶつけた後、どうなる? 私の傷は治るのか? もちろん、治る。いや、治してもらわなければ。では、今すぐ手術をするか? 手術をするほどのことでもない。私にはどれくらいの傷かよく見えない。ちらちらと鏡越しに見えるだけで直視する勇気もない。スマホで撮ろうか、いやデータに残るのが耐えられない。家族に見てもらう? いや、また何かを言われるのが耐えられない。では、どうする? またロッカールームで、どこかで見られるかもしれないとおびえながら暮らすのか? プールにも入れないじゃないか。そんな年でもないけれど、銭湯くらいは行きたいかもしれない。この傷がなければやりたい欲望はあるが、特にそれは強くない。私は他人から隠し通せるのなら通したいだけだ。そしてそのぶん卑屈になり、ゆがんでいくのだ。

 誰かが言う。私の背中を指さし、私を罵倒する。そんな傷があるから、お前はそんな人間なのだ。お前は、そんな人間としてこれからも生きていくのだ。

 かーごめ、かごめ、かごのなかの私、背中を誰かに無防備に見せることのできていた幼い私、真っ白のうつくしい背中を持った私、誰に見られても恥ずかしくなかった私――そして、それを当たり前に思い、他人と楽しく遊んでいた私――もうそんな私はどこにもいない。ひっかき傷ほどになった醜い私の傷を他人から見られることに耐えられない私は、とぼとぼと今日も帰路についていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

背中のひっかき傷 一本杉 朋恵 @jasmine500

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ