第55話 本当の想いを聞いて、途方に暮れる
「そういえば、そんな話ししたな。今日だったっけ」
俺は店員に返事を返し、冷めたコーヒーを飲み干す。
「すまん、忘れてた」
「えー、あんなに一緒に行こうねって約束したのに、ひどいっす。先輩薄情っす」
「というわけで、俺はそろそろ退店しなきゃならないんだ。悪いがまた今度出直すってことでいいか」
「えー。大丈夫っすよ。先輩の時間はちゃんと予約してあるから、店員さんに説明すればいられますよ」
「いや、悪いが今日は俺一人じゃないんだ。キューピッド」
キューピッドはココアも飲まずにひたすら猫と戯れていたらしい。名前を呼ばれてはじめて俺がいたことを思い出したようで、振り返った。
「楽しんでるところ悪い。そろそろここを出る時間だ」
キューピッドはとろけた笑顔で俺に目を向けて、その深緑色の瞳を大きく見開いた。
一気に現実に引き戻されたかのような顔。
だが、その視線は俺ではなく、俺の隣に向けられていた。
ガタッと隣で机に脚をぶつけたような音がする。
「君……」
宗一郎が息を呑んだ。
え? なに? なんだ?
宗一郎は真っ直ぐにキューピッドを見つめていた。二人の視線が絡まり合うこと数秒。宗一郎が破顔した。
「やっと会えたね」
宗一郎は確かに、そう言った。
帰り道の空気は妙に重かった。
なんでだと思い返せば、それはもちろん宗一郎のせいなのだが。
猫カフェは私語厳禁ではない。
かといって、猫もそっちのけでしゃべることは遠慮してほしいとのことだったので、俺とキューピッド、そして宗一郎も店を出て近くにあったカフェに入った。
飲み物だけを注文して話すことしばし。俺はなにがなんだか分からなかったが、要約すれば、宗一郎とキューピッドは顔見知りだったらしい。
そして、キューピッドこそが宗一郎が探していた女性であり、意中の相手だったということだ。
「今度一緒にデートしてくれないかな」
本気モードの宗一郎はいつもと違った。
イケメンオーラ全開でぐいぐいいく、まさに肉食系で、草食系のトナカイを口説く。
当のキューピッドといえば、顔もあげられずただおどおどしていた。
「ちょっと待て。まだ二回目だろ。初対面に近いだろ」
「え? もう二回目すよ。それに俺は初めて会った時からキューピッドさんのことが好きになったんです。キューピッドさん、デートしてもらえませんか?」
あくまで爽やかに我が道を貫き通すのか。挫折したことないタイプってほんと強気よね。だが、黙って見過ごすわけにはいかない。
「だめだ」
宗一郎は俺を見て首を傾げる。
「なんで先輩がだめって言うんですか」
「だめなもんはだめだからだ」
「あっ、もしかして、まさかの、先輩の彼女、じゃないっすよね」
「違うけど」
「ですよね。よかった。先輩には一緒に京都に行った、甘えん坊の彼女がいますもんね」
「え?」
俯いていたキューピッドが顔をあげて俺を見た。
「それって、ダンサー? プランサー? どちらとですか。彼女、ええと、お付き合いされてたんですか?」
「いやいやいや、してないから。キューピッドまで宗一郎の軽口を真に受けないでくれ。ややこしくなるから。宗一郎」
「はい?」
「とにかく、だめなもんはだめだ。彼女はこの通り日本人じゃなくて、日本には観光に来ただけなんだ。もう帰らないといけないし、だから付き合うのは無理なんだ。諦めろ」
「外人でもいいっす。遠距離いやなんで、俺がキューピッドさんのとこに引っ越します」
「少しは躊躇しろ!」
思わず大声を出してしまった。
カフェ内が一瞬しんとなる。
やべ。
咳払いして、お冷やを飲む。落ち着け落ち着け。
「とにもかくにも、だめなもんはだめなんだ。宗一郎、一旦冷静になって考えろ。今日はもう帰る。キューピッド、帰ろう」
「あ、はい……」
立ち上がったキューピッドは宗一郎にぺこりと頭を下げて俺とカフェを後にした。
家までの帰り道、キューピッドは始終俯いていた。
猫カフェであんなにうれしそうにしていたのに、今は思い詰めたような顔でいる。宗一郎が変なこと言い出したばかりに困惑しているのだろう。
ったく。明日会社で文句言ってやろう。
「気にしなくていいからな」
俺が言うと、キューピッドはゆっくり顔をあげた。銀縁メガネの奥の瞳はたよりなく揺れていた。
「宗一郎は、あいつ会社でもああいうやつで、発言軽いから。調子いいことばっか言うんだ。だから嫌な思いさせたと思う。ごめんな。びっくりしたよな」
キューピッドは軽く首を振った。
「三田様」
「ん? どうした」
「私の本心を、聞いてくれませんか」
「うん?」
あれ? 本心? 猫カフェに行きたいって、本心じゃなかったのか?
俺は暢気にハテナマークを浮かべていた。
だから、キューピッドが語った本心。
それこそ、本当の想いを聞いた俺は、途方に暮れたのだ。
「私、初めてお会いした日から、ずっと忘れることができずにいました。でも、今日やっとお会いすることができて、この胸の中にあったもやもやとした感情がなんなのか、理解することができました。私、春風宗一郎様のことが、好きです。だから、雲の中の森には、帰りません」
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