第3話 遠征

「ねえ、ちょっと、君!」


 声と共にバッグを軽く引っ張られる。


「だれ?」


 出口で立ち止まる形になり、進路を遮られた学生が迷惑そうに脇をすり抜けて行く。振り向くと、相手はメタルフレームの眼鏡をかけた見知らぬ男性だった。


「何かご用ですか?」


 廊下を歩きながらバッグを身体の前に引き寄せ、なんとなく身構える。


「そのカバン、何が入ってるの?」


 私が抱えているのはアメリカ空軍放出品のヘルメットバッグ。

 名前の通りヘルメットを入れるためのカバンで、とにかく大きくて何でも入るので重宝している。確かに、女の子が持つようなかわいらしさは皆無だけど。

 セローを手に入れて以来、私は、雨だろうが雪だろうが、一日も欠かさず愛車にまたがり、当然大学もバイクで通っていた。ヘルメットは微妙にかさばるので、バイクにぶら下げている人がほとんどだったけど、私はそうしたくなかったので、ヘルメットがまるごと入るこのカバンをフリーマーケットで見つけてすぐに飛びついた。


「当ててみせようか? ヘルメットだろ。それもオフの」


 私は目を細め、相手の顔を改めてじっくり見る。いくら考えても面識がない。


「駐輪場にあるオレンジのセロー、君のだろ? 足回りもかなりいじってるし、かなり乗れるみたいじゃないか」

「あの、どなたですか?」

「ああ、ごめんごめん。僕は月持つきもち順一。機械制御工学科の二回生だ。今日は、君を誘いに来たんだよ」

「誘う? 何に?」


 まったく話がかみ合わない。どうやら先輩らしいけど、こっそり調べられていたみたいで少し気味が悪い。


「いやね、君みたいな人が単独ソロでいるのはもったいない。僕らのチームに入れてあげようと思ってね」

「いえ、せっかくですが……」


 反射的に断っていた。だが、彼は諦めない。


「……まあ、最初から首を縦に振るとは思ってなかったが。来週、紫竹山エンデューロコースで耐久レースがある。そこに君を招待してあげる。僕らの走りを見てから考えを決めてくれ」


 そう言って、一方的に封筒を手渡すと、口笛を吹きながら去って行った。




「で、受けちゃったと?」

「いや、受けるも何も、無理やりエントリーシートを渡されただけだから! まだ出ると決めたわけでもないし……」

「うーん、紫竹山エンデューロかぁ」


 彼は渋い顔。


「トモが出たいなら止めない。そろそろよそのコースも経験しておいた方がいいって思ってたし……」

「ナオ、なんだか気乗りしないみたいだけど?」

「ああ、あそこは前に一度遠征したことがあるんだけど、ちょっとね」

「ケンカでもしたの?」

「いや……価値観の違いというか何というか」


 なんだか煮え切らない。

 仲良くなって知ったことだけど、彼は結構頑固な人だ。決して他人を受け入れない頑迷さではないのだけど、一度こうと決めるとテコでも動かない所がある。多分そのあたりで衝突したんだろうな、と思う。


「でも、困ったな。ペアの二時間耐久に出たいんだけど。ナオが付き合ってくれないと他にあてがない」

「え? 最初にレースに誘ってくれた子がいただろ?」

「ああ、あの子、最近ロードに転向しちゃって。ホンダのなんとかいうバイクに一目惚れしたとかで」


 オフロードのレースはとにかく汚れる。未舗装のドロ道を走るのだから仕方ないのだけど、おかげでロードバイクに比べると野暮ったく感じる人も多い。女の子は特にそうだ。


「だったら、まあ、仕方ないか」


 彼は肩をすくめながら頷いた。




 レースの当日は快晴だった。

 一周二キロのコースを時間内に何周できるかを競うもので、いつものコースに比べるとだいぶアップダウンが激しい。まるでモトクロスのコースみたいだ。


「最初の一時間は俺が走るよ。トモも走る前にコースの下見しておいた方がいい。コースの外側に見学者用の歩道があるから」


 そう言われ、一般の見物客と一緒に、コースを後ろから逆に一回り。

 一キロほど歩き、見せ場だと言われた、“洗濯板ウォッシュボード”にたどり着いたあたりで甲高いモーター音とエンジン音が爆音のように鳴り響く。

 どうやらスタートしたらしい。

 先頭グループは予想通り常連選手が占めている。ゼッケン番号一桁のバイクがのっけからの派手なジャンプを見せ、見学者から悲鳴のような歓声が上がる。


「さて、ナオはどこだ?」


 思ったところで彼が来た。第二グループの先頭だ。

 ひと目見て彼だと判った。

 ウェアを見慣れているのもあるけれど、走り方が他の選手とは全然違ったからだ。

 彼の走りは、とにかく“地味”だった。

 他の選手が一つ一つのコブで華麗に高いジャンプを決めるのを横目に、ほとんど飛び上がらず、格段に低い軌跡で長く飛ぶ。二つのコブをまとめてなめるように飛び越し、かと思うとまるで地を這うように凹凸に沿って走る。


「トモっちの彼氏はどこよ?」

「……いや、彼氏じゃないし。あれ、あの青いヘルメット」

「ああ、あれね」


 私をオフバイク道に引きずり込み、あげくにあっさり逃げた友人が、手のひらでひさしを作るようにしながらコースを睨む。


「あー、なるほど」


 それだけつぶやくと、一人で勝手に納得して頷いている。


「何が“なるほど”なの?」

「いや、トモっちがこだわるわけだ。確かに凄いわ、あの人」

「何が?」

「うん、とりあえずピットに戻ろうか」


 彼女はそう言って先に立つと、すたすたと行ってしまう。


「ちょっと待って! 詳しく説明しなさいよ!」


 私は慌てて後を追った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る