第2話 バイク選び

「ねえ、どんなバイクがいいのかな?」


 夏休み、バイト漬けで少しまとまったお金を手にした私は、休み明け初日の講義の後、思い切って彼に声をかけた。

 五月の連休の後思いがけず再会して以来、キャンパス内で姿を見れば挨拶くらいはするようになった。けど、それほど距離は近づかないままだ。

 こういう相談を持ちかけるにはまだ早いか、とも思った。でも、あの日見た、彼の軽やかなバイクさばきがずっと気になっていた。

 出来れば、もう少しだけ親しくなりたかったのだ。


「へ? 買うの? オン、それともオフ? 免許は何を持ってる?」

「普通自動二輪」

「へえ、女の子にしては珍しいね」


 窓際の席で眠そうに外を眺めていた彼は、途端に目を輝かせて身を乗り出してきた。


「もちろんオフ車を買うつもり。あんないいヘルメットまでもらったのに、使わないままじゃバチが当たるし」


 九州の片田舎で育った私は、遠方の高校に通うため、十六歳になってすぐ二輪の免許を取った。

 父の遺したスーパーカブに乗るには原付免許で十分だったのだけど、「免許を取るなら、ちゃんと自動車学校に通いなさい」と母に諭され、せっかくなので普通二輪にチャレンジしたのだ。

 五十㏄とはいえ風を切って走るのは好きだった。できればもっとうまくなりたいとも思う。

 彼に習えば、きっと上達も早いだろう。


「またレースに出る気はある?」

「ある。というかリベンジしたい。負けっぱなしはイヤ!」


 こぶしを作って力説する私に、彼は目を細めてクスリと笑う。


「そっか。君はやっぱり負けず嫌いだ」

「その“君”って言い方もやめて欲しい。見下されているようでヤだ」

「え、じゃあ、野上さん」

「他人行儀すぎ」

「智子さん」

「……堅い」

「智子ちゃん」

「なんかチャラい」

「と、智子……いや、さすがに呼び捨ては……」


 彼は顔を赤くして目を泳がせる。

 同級生とは距離を置いていつも飄々としているくせに、こういう展開になると途端にうろたえるのだから面白い。ついからかいたくなる。


「じゃあ、“トモ”で。これで勘弁」


 ついに両手を合わせて拝まれた。


「まあいいわ。で、バイク選び――」

「判った、手伝う手伝う。何でも言って!」

「じゃあ、これから店に行ける?」

「え? 俺、午後の講義が」

「あー、そうなの?」


 ジト目で睨むこと三十秒。


「……わかった。付き合う」


 割とチョロかった。




「おすすめは?」

「そうだなあ、トモは身体が小さいから、最初は電動の十キロワットがいいかな? 中古ならガソリン車の百二十五ccもいいと思うけど、いまだに人気があるから割高なんだよな」

「中古かぁ……ナオが乗ってるのは?」

「あー、あれはまあ、エンデューロというよりレイド向きだから……」


 途中まで言いかけて、固まる。


「今、“ナオ”って呼んだ?」

「うん、せっかくトモって呼んでくれたから、バランスを取ろうかと」


 また赤い顔をしてあわあわしてる。

 この人、あれだな。女の子と話すの、苦手なんだろうか?。

 このままじゃ先に進みそうにないので、無理やり話を元に戻す。


「で、エンデューロとかレイドって? どこが違うの?」

「ああ、まずはそこからか」


 彼はあごを右手でこすりながら思案顔を見せると、メッセンジャーバッグをごそごそかきまわしながら、奥のカウンター席に私を誘う。

 真横に立たれて初めて、私とはかなり身長差があることに気づく。百八十センチ近くはありそうだ。


「まずこれを見て」


 と差し出されたタブレットには、砂漠を猛スピードで走る大型トラックの映像。すぐに画面は切り替わり、派手なカラーリングの四輪駆動車が砂丘をジャンプするシーン。

 そして、夕暮れ時のオレンジ色の砂漠を、何台ものオートバイが一直線に疾走している場面。

 とてもきれいだけど、なんだか切なくなるような、不思議な映像だった。

 ふと気になって彼の表情をチラリと盗み見て、驚いた。

 口元にはかすかに笑みを浮かべているのに、なにか、とても愛しいものでも見るような、不思議にうるんだ瞳をしていた。

 慌てて見直した時には、もう、そんな表情は消えていたけど。


「フランスのパリから、アフリカのセネガルにあるダカールまで。一万キロを走る冒険レースなんだ。最近じゃ中南米とか、サウジとか、開催場所がコロコロ変わるけど、今でも“ダカール・ラリー”って言われてる。毎年、参加者の半分以上が脱落する。世界一過酷なオフロードレース。これがラリーレイドだ」

「……うん」


 次に見せられたのは、野球場に作られたコースでカラフルな細身のバイクがぴょんぴょんジャンプしている映像。これは私も前に見たことがある。


「知ってる。モトクロス」

「そう。屋内でやるのは“スーパークロス”とも言うけど、どちらもこんな感じの専用コースを使う」

「じゃあ、エンデューロって言うのは?」

「うん。モトクロスに似てるけど、専用コースじゃなくて林道や、時には一般道も使うレースがエンデューロ。この前の体験レースは……」

「エンデューロってこと?」

「うん、今はその理解で十分」


 彼はうなずいて最初の映像に戻る。


「で、エンデューロは周回コースが多いから、それほど距離は走れなくても構わない」

「途中で給油できるから?」

「そう、だから軽くて、取り回しのしやすいバイクが向いてるね。でも、ラリーレイドはスタートとゴールが離れているし、ゴールするまではまともな補給も修理もできない」

「そんなに遠いの?」

「ああ。何百キロも先」

「え!」

「だから、足回りが丈夫で、大きなタンクやバッテリーと明るいライトが必要になる。必然的に車体がかなり重いんだ」

「ああ、なるほど」


 ようやく理解した。でも、気になることがいくつかある。


「でも、最初に言ってた十キロワットとか百二十五とかって、ナオのバイクについて行けるの?」

「え? あー、まあ、ちょっと厳しいかな。高速道路にも乗れないし、馬力パワーがかなり違うから」

「じゃあ却下」

「いや、別に俺について来る必要はないだろ? 体格と技量スキルに見合ったバイクに乗る方が――」

「私のバイクだから」

「え?」

「私がそうしたいの。ダメ?」

「ダメじゃないけど……そうか、うーん」


 なぜか困った顔をする彼。


「迷惑?」

「いや、迷惑じゃなくて、選択肢が少なくなる。ヤマハかカワサキくらいしか……」

「ヤマハ!」

「即決だなおい。どうして?」

「高校時代、ブラスバンド部だったの。使ってた楽器がヤマハだったから」

「楽器のヤマハと、バイクのヤマハは別会社だぞ」

「え、そうなの?」


 彼はあきれた表情を見せたけど、笑いはしなかった。

 こうして、私は愛車、ビビットオレンジのヤマハセローEVを手に入れた。



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