第120話 訓練、またの名を地獄
「はい、もう一人を忘れていますよ。」
トモエの宣言の後、悲壮な顔をしたシグルドを、まず手始めにと、オユキとトモエで囲んで、追い立てる。
「痛ってー。」
「叫ぶ暇があるなら、対処をしなさい。」
トモエに目配せで、思い知らせなさいと言われたオユキが、少年の腹部を短剣の背で打ち据える。
それに息が詰まるのだろうが、声を上げずに二人から離れた位置に、体を動かす。
「逃げているばかりでは、今朝と変わりませんよ。」
ゆっくりと、それでも少年にとってはそれなりの速度に感じるだろうが、そんな丸兎の体当たりと同じ程度の速度で追いかけ、再び剣を振るトモエの背後に、シグルドから見えない位置へとオユキは身体を入れて、シグルドの動きを一拍待ってから、仕掛ける。
「な。」
「相手が見えないからと、目の前だけに集中してはいけませんよ。」
「くそ。」
悪態をつきながらも、力で強引にトモエの剣をはじいて、オユキへと向かって、剣を振る。
オユキはそれに取り合わず、振られる剣とすれ違うように、シグルドの横を抜け、背後に回ろうとする。
シグルドはそれに警戒して、オユキを追って体を回そうとするが、そんな彼の肩をトモエが剣で叩く。
「はい、忘れてますよ。」
「な。」
「ほら、驚いていると、今度は後ろから。」
流石に、そろそろ疲れているだろうからと考え、オユキは打つのではなく、短刀を彼の後頭部に軽く当てる。
そこで気が抜けたのだろう、実践で言えば、事実終わったわけではあるし。シグルドは、その場に崩れるようにして、腰を下ろす。
「敵が複数いると、それを忘れないようにしなさいと、そういったでしょう。」
「いや、丸兎はそんな悪辣な連携はしない。」
「なにが悪辣ですか。こんなものは基本でしかありませんよ。では、次ですね。」
トモエとオユキの振る舞いを見て、もう一組、パウがイマノルとクララに追い回されているのをしり目に、トモエが選手交代を告げる。
さて、次は今のオユキと同じ短剣持ち、動きを早く視界を広く、立ち位置が常に先頭であり、敵と最も近くなる、隙を作り隙を突く、そう考えながら、オユキは精神的な準備を整える。
これまでの訓練をすっかり忘れたとでも言わんばかりに、引けた腰で短剣を構えるアナがじりじりと近寄ってくる。
一方のシグルドは、体を引きずるようにして離れ、ただ、何が起こっていたのかは見逃さないと、その目は貪欲な光を湛えている。
トモエもその様子を確認したのか、軽く頷いて、アナに構えを直すようにと、指示を出す。
「その、何も怪我をさせたり、そういう訓練ではありませんから。
そこまで怯えなくても大丈夫ですよ。」
「あの、トモエさん。」
言われながら、短剣を手の中で何度か回したり、構えて突いたりと払ったりしながら、疑問の声を上げる。
「はい、何でしょう。」
「その、師匠って呼ぶと、厳しくなるって言ってましたよね。」
「そうですね。弟子と、そう名乗る以上、私だけでなく流派の先達にも恥ずかしくないように、そうなってもらわねばなりませんから。」
「この訓練って、どれくらいの厳しさですか。」
「慣れたら、その都度次の段階に進めますから、訓練自体の厳しさは変わりませんよ。
弟子に対する厳しさというのは、なんといえばいいのでしょうか。」
そういって、トモエが考え込む。
流派としての技や、心構え、それらを弟子になれば教え、それを先々他に伝えなければいけない。
彼らが教えを基に独自の物と、そう昇華させられる迄は。
こうした立ち合いよりも、構え、理合い、そういった座学も含めて必要な時間が多くなる、トモエにしてみれば、それを厳しくなるといっているに過ぎないのだから。
「トモエさんの言う厳しさは、別のものですから。」
悩むトモエに代わって、オユキが口を開く。
「いいですか、アナさん。私も行った鍛錬で、最も肉体的につらかったものを、10としましょう。」
話すオユキに、任せますとばかりにトモエから視線を感じ、アナと、それから他の面々にも聞こえるように語り掛ける。
「はい。一番きついのが10。」
オユキの言葉に頷く。母数が小さいから、今後そこまで辛くはならないのだろうと、何処かほっとした表情を浮かべる彼女に、オユキはただ事実を突きつける。
「今行っているのは、0です。こんなものは準備運動ですよ。」
そういってオユキは声ならぬ悲鳴を上げるアナに、体の硬さも抜けたでしょうとばかりに切り込む。
今回は短剣同士、オユキが前に出て、トモエが補助と、そうしたほうがかみ合うだろうと考えて、そのように動く。
その最中、イマノルとクララに小突き回され、ようやく解放されたパウとシグルドの呟きが、やけにはっきりとオユキの耳に届いた。
「これが、準備運動。」
「まずいな。心が折れそうだ。」
「皆で、乗り越えよう。これまでだって、そうして来ただろ。」
オユキの動きに合わせて、しっかりと教えた型で、アナは受け止めながら、口をただパクパクと動かす。
何か言いたいことはあるのだろうが、言葉にならないのだろう。
オユキは、それに、解ります、そう視線だけで返す。
オユキとて、習い始めたとき、それこそ最初の一年は、ただ驚き続けただけなのだから。
「はい、短剣を使う者が足を止めない。」
オユキの頭の横から、トモエが突き込んだ剣を、アナが慌てて後ろに跳んで距離を作ることで躱す。
それにあわせて、オユキもトモエの剣からは離れるように、移動し、二人で囲む、それを続けながら、露骨に隙があればそこに仕掛け、無ければそれが作られるように動く。
「わ、あぶな。って、まってまって。」
「魔物が待ってくれるといいのですが。残念ながら。」
動き続けようとするが、逃げようとした先には、オユキが回り込んでおり、そこで短剣を使って頭を軽くたたく。
そこでオユキに意識を向ければ、その外から、今度はトモエが肩を叩く。
一方で、パウを開放した、クララとイマノルは、今度はセシリアを追いかけまわしている。
「あの、お二人も、これは準備運動扱いですか。」
「いえ、それは流石に。」
「そうね。準備運動とは言わないわね。」
そんな二人の言葉に、セシリアが安心したようにため息をつくが、その二人はトモエの振る舞いを優しいと、そう評する訓練を受けてきた人物なのだ。
「お遊びのようなものよね。重たい鎧も来てないし。準備運動だったら、町の外を完全装備で走るくらいじゃないかしら。」
「そうですね。準備運動にするなら、人数が足りませんよ。」
「そんなー。」
「ほら、無駄に叫ぶと息が切れるわよ。」
そうしてセシリアも小突かれ続ける。
そして、それぞれが二回づつ、そんな時間を過ごせば、立ち上がることができる少年たちはいなくなった。
そして、そんな少年たちをしり目に、トモエとイマノルがのんびりと話す。
「私達だと、三人一組でしたから、二人組でだと、少し追い込み方が甘くなりますね。」
「最初は甘くてもいいかと思いますよ。段階を踏めばいいだけですから。」
「それもそうですね。ただ、体力はつけないといけませんね。」
「私達もそうなのですが、走り込みというわけにもいきませんし。」
「ここもそうするには狭いですし、外は危ないですからね。」
「皆さんは、体力の維持はどの様に。」
「私たちは、町の外を走っても問題ありませんから。」
「そうなりますか。」
そんな二人の会話を、体を震わせながら聞きつつ、それでも息を整えようとしている少年たちに、オユキとクララが声をかける。
「最後のほうは、少し良くなってたわよ。」
「そうですね。それと体力がないと、それもあると思いますが、皆さんよりも体力のない私が、こうしていられるのは何故か、それも考えてみてくださいね。」
「どんだけだよ。」
シグルドがそう悪態をつくが、それでも彼なりに思うところがあったのだろう、少しすると答えが返ってくる。
「無駄な動きが、多いんだろ。何処かはさっぱりわかんねーけど。」
「正解です。弟子になると、それを徹底的に矯正されます。それがトモエさんの言う厳しさですね。
私たちの流派の根幹がそれですから。」
「あなた達、見た目よりも速いものね。」
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