第4話 二人の新しい門出
月代は知らず知らずのうちに、動悸が激しくなるのを感じていた。
近づいてある程度分かるようになった、その姿は彼の妻、まさしくその人であるように見えた。
月代は、これまで聞いたことのある、死後の世界の逸話を思い出し。
その懐かしい姿を見て、どうしたものかと、そう悩む。
しかしそれも少しの間。
一度裏切ってこちらを選んだのだ。
改めて、ともに居られるというのなら、踏み外し、落ちてもかまうまい。
そう考えなおして、声をかける。騙す、そういった逸話もあるし、騙されてしまえば不義理であることには変わりないが、愚かな選択を考え無しにする、そんな己のまつろに相応しいとも、そう思うのだから。
「お久しぶりです。榛花さん。」
月代がそう声をかけると、立ち上がり月代に微笑みかけていた年老いた女性は、その表情を苦笑いにかえる。
「まったく。警戒するなら最後までしませんと。
これで私が、いま典仁さんが考えたようなものであったのなら、どうします。」
「それならそれでいいのかな、と。
私は一度榛花さんを裏切って、そうしてここにいるのですから。」
からかいを含んだ声に、月代はすぐにそう答える。
「私がここにいるなら、裏切りではないでしょうに。
変なところで意地を張るのは、悪い癖ですよ。」
榛花はそういって、月代の隣に並ぶ。
それを見て、月代は昔そうであったように、ゆっくりと歩き出す。
「まさか、榛花さんがこちらにいるとは思っていませんでした。
私が何度誘っても、決して一緒に遊んではくれませんでしたから。」
「典仁さんの話を聞く相手が必要でしょう。
もし私が一緒に遊んでいたら、典仁さんは誰にゲームの中であった、楽しいことを話すのですか。」
言われた言葉に、月代は二の句が継げない。
困ったように乾いた笑い声をあげ、頭を掻く。
月代は、この女性につくづく頭が上がらない。
最期の時にはこの女性の年齢に追いついたというのに。
「それにしても、ずいぶんと待たせてしまいましたか。」
「いいえ、私が待っている間、私達の子供や孫は、良い時間を得たのでしょう。
ならば待つ時間は幸せなものです。」
退屈ではありましたけどね。
そういって榛花は、口元を抑えながら笑う。
「ああ、話したいことが、伝えたいことがたくさんあるんです。」
そう前置きして、月代は話す。
それは、彼女が先にその生涯に幕を下ろしてからの出来事。
息子の一人が、自分の後を継ぎ、立派に会社で務めていること。
更に一人の孫が、自分が昔遊んだゲームを一緒にやろうとせがみ、自分も大いにその時間を楽しんだこと。亡き妻の代わりは出来ず、ひ孫たちには申し訳ないが、孫にしたことが出来なかった事。
自分の誕生日に、孫たちが心のこもった贈り物をしてくれたこと。
他愛もないことから、特別なことまで。
語るべきことは多く、聞き手もより詳細にと。
月代は、これまでのように、これまでの事を、どれだけうれしかったのか、楽しかったのか。
言葉を尽くして伝える。
榛花もそれを喜び、時にはあれはどうなったのか、その時他の子は何をしていたのか。
月代の話を喜ぶ。
そうして、緩やかな幸せを二人で共有する、そんな時間がどれほどか過ぎたころ、二人の前には、また大きな扉が現れる。
月代と榛花は互いに一度顔を見合わせると、その扉を月代がゆっくりと開き、二人でそこをくぐる。
まだまだ話したいことは多くあるのに、そう感じながら。
月代は、扉を潜り抜けよう、その時にふと気になって、これまでの話の会話から大きく外れた質問をする。
「どうして、榛花さんは、この選択を?」
榛花の言葉によれば、彼女は月代が楽しんだその話を聞くために、かつてゲームの類に手を出さなかったのだという。
そうであれば、彼女にとってこの選択はどういった意味があったのだろう。
榛花は、数回瞬きをすると。
口元を抑え、クスクスとこえを漏らして笑う。
「典仁さんが、あれほど絶賛していたゲームですもの。
私だって興味がありましたよ。」
「そうですか。私は我慢を強いた、悪い夫だったのでしょうか。」
「そうでもありませんよ。だって私は楽しげに話す典仁さんが好きだったのですから。」
「私も、榛花さんが好きでした。この選択を諦めようと、もう一度榛花さんが残っただろう、その流れに身を預けようと思うほどに。」
二人はそういってお互いに笑いあい、遂に扉の向こうへ体が渡る。
二人は横に並ぶお互いの顔を見ることはあっても、ここまでの道一度も振り返らず、脇に逸れず。
ただ、まっすぐにこの扉迄歩いてきた。
長い時間を、ただ二人で楽しんで。
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