第2話 鵜呑みにした調子のり

 たまたま社会の授業で、

「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」

 という藤原道長の歌を扱った。「耕太郎のことだ」と同級生がからかった。「止めろよ」と応じながらもまんざらでもなかった。

 偶然下駄箱で一緒になったテニス部の女子と歩いていただけで、その女子は「妊娠した」と他の女子に噂された。噂の女子は「泥棒猫」とさらに他の女子に罵られたと後に聞いた。

 「耕太郎に非ずんば、人に非ず」

とも言われた。

 将来を嘱望されてバレー部に入った。バレー部顧問に両肩を掴まれ、入部を懇願された。二度断って、三度目に入部した。この耕太郎の逸話で「三顧の礼」という故事を覚えた同級生はとても多かった。そのときに提出された入部届は「出師の表」と呼ばれた。

 耕太郎をバレー部にとられたバスケ部顧問は「八村塁以上の逸材をバレー部にもっていかれた」と歯がみをして悔しがった。それ以来、バスケ部の顧問同士だけでなく、部員同士もギクシャクした関係になった。そして、バスケ部の基礎練メニューのダッシュの本数が倍になったのは言うまでもない。

 そんな耕太郎の絶頂期は突然終わりを告げる。凋落は同じクラスの女子のひと言から始まった。

 「耕太郎くん、そんなに大きかったっけ」

 その女子は特に耕太郎を嫌っているわけではない。むしろその逆で、耕太郎のファンであった。ファンゆえに毎日、毎時間、毎分、いや毎秒、耕太郎を見つめ続け、小さな瑕疵といえども見逃さなかったのだ。

 しばらく耕太郎はそのひと言を放った女子を恨んだが、今になれば彼女の気持ちが分かった。苦労が彼を大きくした。いやタッパは勝手に大きくなった。彼は精神的にも成長したのである。

 そのひと言が放たれた日を決して忘れてはいない。あれほど、綺麗に流れが変わることはその後もなかなか経験したことはないからだ。

 七月二十四日、二年の一学期の終業式だった。その日は街の夏祭りの日だった。

 自覚はしていた。明らかにこれまで見たのと違う景色が目の前に拡がっているのである。気づいたのは、月例の全校集会のときである。当然、クラスの一番後ろに並んでいるのであるが、同級生たちの頭がいつもよりだいぶ下にある。その事実に気づいて愕然とした。

 背が伸びるのに従って、運動が苦手になってしまった。身長が急に伸び、筋肉の発達が追いつかないのか、どうも動いていて、違和感が拭えなかった。関節の動きも悪い感じがする。計測してみると、走力も落ちていた。

「成長に感覚が追いつかなくなってるのかもしれない」

顧問の先生がそう分析した。

本当は医者に行くべきだったのかもしれない。「そのうち治る」という周囲の大人の言うことを中学生の耕太郎は鵜呑みにした。

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