千年魔王 在位1000年の魔王と自殺志願の最弱勇者

@yuquri

千年魔王 在位1000年の魔王と自殺志願の最弱勇者


 堅牢な石造りの城に、夜の帳とばりが降くだる。




 降り出した雨は、雷鳴の轟きに同調するかのように強さを増し、やがて雹となり外壁を打ち付ける。その激しい音色は、聴く者に追憶の彼方に埋もれた嘗かつての争乱を想起させる。


 千年の永きに渡り、幾度となく世界存亡の戦いの舞台となった魔王城。難攻不落を貫き通したその城も、今はもう訪れる者がいなくなって久しい。




 謁見の間。魔王に傅かしづく者も今はもういない。




 過去、この場で魔王と対峙した人間は両手の指で足りる程。その者達も、全員がここで儚く命を散らした。その者達とて、殆どは配下の魔者達によって屠られ、魔王が直接手を下したのは何時の事であったか……。






 我は魔王。在位1000年に及ぶ魔者達の王。






 魔王は埃が薄く積もった玉座を軽く払うと、永らく放置していたそれに腰を落とした。




 雹は勢いを増し、いっそう激しく騒音を立てている。


 城の近くに雷いかずちが落ちたのか、轟音と共に雷光が射し込んだ。一瞬の煌めきに人型の影が浮かぶ。


 開き放たれた謁見の間の戸口に佇むその人物を目視すると、欠けていた歯車が嵌まるような、そして、錆び付いて動かなかったゼンマイが再び巻かれたような、言葉では形容し難い感覚が全身を走り抜けた。


 魔王はぼやけた視界に刹那の間ま、我を失う。頬を伝うそれを指の背で濃こしりとり、確認する。魔王の生涯初の泪であった。


 込み上げてくる得も知れぬ衝動を抑えられず、嬌声と共に魔王は久しく使わずにいた口上を言い放った。




「フハハハッ!我は魔王。よく来た、人間よ。」




 その者は、ふらふらと覚束ない足取りで魔王ににじり寄り、


「オレ、は、…ゆ、ゆう、しゃ…、ま、…ま、おうよ…。オレと、…た、た…かえ…。」


それだけ言うと、その場に崩れ落ちた。




「貴様!どうした!」




 およそ100年ぶりの来客が瀕死だ。




 そうか、勇者であるか。だが、この感覚、それだけで説明出来るものでは無い。過去に相対したどの勇者にもこのような感覚を抱いた事は無かった。




 魔王は慌てて駆け寄り回復魔法を勇者に施す。勇者の外傷はみるみるうちに癒やされていったが、手放した意識は失われたままだ。


 勇者を抱き起こし軽く頬を叩く。胸に耳を当ててみるが心音は聞こえない。不得手な蘇生魔法を施すと勇者の胸が脈打ち、吹き返した息は再び生気を宿した。




「心肺活動は正常化した。そのうち目を覚ますだろう。に、しても、こやつ……。」




 抱きかかえている勇者を見る。


 手には何の武器も持っていない。いや、この傍らに転がっている氷塊が武器か?鎧も纏わぬボロボロの装いで、浮浪者のような据すえた臭いが鼻すを刺す。何日も風呂に入っていないのだろう。伸びきった髪も手入れされた形跡が無く、絡みあった毛の塊が醜悪な虫のように頭に張り付いている。




 こんなに見すぼらしい勇者を、我は初めて見た。ひょっとしたら、我が見た人間の中で、最も見すぼらしい人間がこやつかもしれない。




 嘗かつて我の居城を訪れた勇者達。綺羅びやかに宝石と希少金属で装飾された鎧や、それ自体が光を放っておるかのように艷つややかな絹とビロードで拵えられたマント。携たずさえておった剣つるぎは聖なる力を内包し、鞘から一度ひとたび抜き放たれれば、魔眼でそれが目視できる程の業物であった。




 勇者を視る。




「鑑定アナライズ。ふむ、レベル1か。」




 おおよその経緯は理解した。理解出来てしまった。100年の孤独と崩壊の兆しが、我に終わりのない自問自答を繰り返させたのだ。魔王と勇者、その存在の意味を。


 ならばこそ、今、こやつがここにいる訳を我は既に知っておる。




「時代……、であるか。こやつと我は似た者同志なのだな。」




 勇者と魔王、人間と魔族、レベル1とレベル999のカンスト。こやつと我は何一つとして類似する所が無いにも関わらず、この世界でただ一人、互いの理解者足り得るという点において同類なのだ。




 今もまだ城を襲う剛雷の余波のように、全身を駆け巡ったあの感覚に理由付けて、眠る勇者を洗い場へと運ぶ。服と形容して良いのかすら迷うボロ布きれを剥ぎ、丸裸にする。現れたのは鍛え抜かれた筋肉と夥おびただしい数の古傷だった。




 右腕に我の魔眼でも完全には解析不能な魔術紋が施されておる。分かるのは、これが水の護符だという事くらいだ。これを施行した者は相当な術者であるな。


 左腕の肘から先が欠損しておる。それだけでなく、こやつの体は所々に在るべきものが欠けておる。右足は義足、左目は失明しておるのか白濁して虹彩が見られない。右耳は抉り取られてケロイド状の傷跡となって耳穴が塞がっておる。


 聖女も賢者も伴わず単独でここに居ると言う実状からも、こやつの過去の一端を垣間見る事が出来る。欠損の復元など聖女にしか出来ぬからな。




 魔王は先程、魔眼で視た勇者のステータスを思い起す。


 ジョブ補正抜きの基礎値だけならば魔王以上。恐らく最強であろう。


 それは信じられない事だった。




 この体でよくぞここまで……。こんな事が人の身で可能なのか?なんという男だ。


 こやつを一目見た時に我から流れ出た泪、あれは畏怖かもしれぬ。いや違うな、魔王が人間に畏怖するなどあり得ん。




 また胸の魔核が疼く。針で刺したような幻痛が走る。




 右の手に水魔法、左の手に火魔法、重ね合わせた両の手に混合多重魔法を無詠唱で発動させ温水を顕現し、勇者の体にこびり付いた垢を落としていく。流れ出た汚水はおよそ生物に由来するものとは思えない色をしていた。温水で温められた汚れが、糞尿にも似た悪臭を放ち、吐気を誘う。




 魔王たる我が勇者の世話とはな。




 己のとった行動に自ら驚愕する。そしてそれは勇者という立場を超越した、この男という個への好奇心を刺激した。




 こやつ、どんな人生を送って来たのだ?


 人間の個に、我が興味を持ったのは100年の孤独のせいか、はたまた今という時代のせいか……。






 およそ150年前に、一人の天才と称すべき人間の魔科学者が、魔導機関なる魔導具を発明した事により、世界は一変した。人間どもは、その変革を産業革命と呼んだ。


 魔導機関を皮切りに、様々な魔導具が開発され、流通や医療など、あらゆる分野において変革が齎もたらされた。技術の進歩は凄まじく、人間どもの足跡は天空の遥か彼方、我らの神が座すると言われる月ルナにまで刻まれる程だ。


 当然、その変革は軍事にも及び、生み出された兵器はガイア人間の神を幾度となく殺せるらしい。難攻不落と謳われた我が魔王城など一撃で塵も残らぬ。




 人間にとって不倶戴天の敵とされた我ら魔者達は、脅威とも呼べぬ取るに足らない存在に成り果てた。それどころか魔核と称される我ら魔者の心臓は、魔導機関を動かす核心素材であったのだから獲って利用する素材というべきか?


 技術の発展により、徐々に魔核を使用する魔導機関は姿を消して行ったが、乱獲されて絶滅してしまった同胞種は数多に及び、今では野生の魔者は滅多に目にする事が出来ぬ。


 強大な破壊の力を手に入れて、神を超えたつもりか?愚かな事だ。神は産み出すからこそ神なのだ。




 驕った人間どもは生き残った同胞を保護対象とした。絶滅危惧種として。なんたる屈辱!だが、我が一人、息巻いたところで世界は何も変わらぬ。かく言う我も、その保護対象なのだから……。








 伸びきって複雑に絡まり合い、得体の知れない生き物のような様相を呈している勇者の髪を、風魔法でバッサリと切り落とす。汚らしく塵やゴミがこびり付いた髭も剃り落とすと、漸ようやく人間らしい姿になった。




 ハハハッ、そうか。こやつの先程までの異形、我ら魔者に近かったのだ。そうか、そうか、それでか。また一つ、我を襲った得体の知れぬ感覚の謎が解けた。




 勇者の体を風魔法と火魔法を混合した温風で乾かすと手束ら服を着せ寝所に寝かせる。




 不思議なものだ。ほんの100年前なら我とこやつは出会い頭に斬り結んでおった事だろう。だが、今はこやつを知りたいと思う。我の理解者がこの世界でただ一人、こやつなれば、こやつの理解者もまた、この世界でただ一人、我なのだから。




「うっ…、オレは…ゆ、うしゃ…。」




 勇者が目を覚ました。そして起き上がやいなや、


「魔王よ、オレと戦え!」


と言い放つ。




 これである。登場からこやつ、面白過ぎる。




「いいだろう。貴様と戦ってやろう。だが、貴様の願いを聞き入れるのだ。我の願いも聞いてもらうぞ。」




 勇者は訝しげに顔を顰める。




「何だ?魔王が勇者に何を願う?」




 我は解らぬのだ。今もなお我の魔核の内から溢れ出す衝動が何なのか?




「貴様の事を話せ。貴様が如何なる者かを我に示せ。」




 だから、知りたいのだ。この胸を刺す幻痛の正体を。




「なんだ、そんな事かよ。いいぜ。何でも話してやるよ。」




 そして勇者は語りだす。自らが歩んだ絶望の道程を……。




━━━━━━━━━━




 魔王っていうのは魔に連なる者の王って事だ。魔者も色んなヤツがいる。獣が魔核を持てば魔獣だし、そいつ等が突然変異で異形化したら魔物って感じにな。


 で、人型のヤツ等は魔族だ。エルフやドワーフ、ノームにフェアリーと魔族も多種多様に存在するが、共通する事は魔者は魔核を宿してるって事だ。


 でも、まさか今代の魔王が魔族だったなんて思いもよらなかった。何せここ1000年間、魔王達・の姿を見て生きて帰った人間はいない。


 どんな厳つい異形の化物かと思えば男のオレでも魅入っちまうような美形とはな。エルフの血でも入ってんのか?




「思い出せる一番古い記憶は拷問部屋だ。父親はオレが産まれた頃には死んでたから知らねぇ。ジョブが戦士だったから軍属の兵士だったと人づてに聞いた程度だ。」




 選職の儀。数えで17の歳になる日にステータスにジョブが刻まれる。それ迄の17年間の経験と資質が一生を左右するんだ。幼少の教育が大事なのは、何時の時代も変わらない。




「貴様は先程まで、紛れもなく死にかけておった。飲め。」




 魔王が出したポーションを受け取り、ゆっくりと流し込む。胃に落ちて行く液体が、染み入るように全身に広がり、肉が活力を取り戻していく。




「お袋が死んだ……、いや、違うな。殺されたのはオレが7歳の時だ。オレを育てるために隣国の商人相手に娼婦をやってて、その客の中に諜報員がいてな。冤罪のスパイ容疑で拷問の末にオレの眼の前で巨大な万力に潰された。死に際に断末魔の声と共にお袋が残したのは、恨みでも嘆きでもなく、独りになるオレへの謝罪、「ごめんね。強く、正しく生きてね」だった。」




「その言葉が遺言となったのだな。」




「まぁ、そうなるな。」




 その時の衝撃が強過ぎて、それより以前の記憶が無い。




 お袋のジョブは織師だったから間諜な訳が無いんだ。娼婦はいくつかの、女がジョブに関係なく就く事が出来る仕事の中で最も稼げる仕事だ。まぁ、当時は何も分からないガキだったけど。




 オレの右耳は、その時にお袋への見せ締めとして抉り取られた。




「7歳で孤児になったオレは生きるために兵士になった。でも、ジョブ持ちの大人が大勢いる中で、選職の儀も済ませていないガキが出来る事なんてたかが知れてる。オレはガキにしては体もデカかったし、そこそこ体力があったから雑用係をやらされていた。戦場に転がっている怪我人や死体、遺品の回収とかな。」




「孤児の戦場育ち、か……。珍しいケースだ。」




 何言ってんだ?世界のそこら中で殺し合いしてる。無関係でいられる子供なんて一握りだ。まして、オレは孤児だったからな。




「ハハッ、少年兵なんてそこら中に溢れてるよ。」




 この頃、オレは戦場を駆け回っていたから兵士向けのジョブがステータスに刻まれるもんだと思っていた。戦士とか治癒師とかな。同じような境遇の連中が皆そうだったからだ。




「オレの生活が一変……、いや、大差ねぇか。ともかく、意識的には激変したのは17の選職の儀、あの日で間違い無い。オレのステータスに『勇者』が刻まれた、あの日だ。」




 それぞれのジョブが刻まれる条件っていうのは明確には判っていない。判っているのは、それまでの経験と資質が関係してるという事だけ。


 でも、何で寄りにもよってオレのジョブが勇者なんだよ。勇者が現れるのは100年に一人だぞ。医療技術の進歩で現世界人口が70億を超えてるから、この100年で選職の儀を迎えたヤツは確実に100億人はいるっていうのに……。




「その後も、騙しだまし軍で兵士やってたんだが、勇者のオレは人間が殺せない。ジョブ規制が働いて人間に殺意を向けられないんだ。」




 左眼は18の時、敵の魔法師の光魔法を間近で喰らって失明した。あの時、オレは十分に余裕を持って敵を殺せたハズなのに……。戦場で光魔法なんてイタチの最後っ屁だ。魔力が尽きて失神した敵を、オレは医療部隊の展開地まで背負って行ったんだ。




「兵士廃業の決定打は右脚を失った事だな。人間を殺せない、戦場を走り回るだけが能の雑用係が走れなくなったんだから当然だ。」




「聖女がその場おれば、貴様のその状態を放っておかなかったであろうな。そもそも、聖女も賢者も伴わぬ単独の勇者など、我は貴様が初めてだ。」




 この魔王、何度か勇者パーティとやり合っているのか。伝え聞いたエルフの寿命って500年位だったかな?




「まぁ、あいつ等はあいつ等でやるべき事があって忙しいんだ。今の時代、暇なのは勇者のオレくらいだ。」




 右脚を失った時の恐怖にオレは何度もうなされた。右脚を失った事にじゃない。あの時に見た『光』が悪夢となってオレの脚を何度も、何度も喰らうんだ。




 夜中に鳴り響いた空襲警報で目が覚めた。外に出ると辺り一面、火の海で、そこら中に転がっている死体から肉の焼け焦げた臭いが漂っていた。今も鮮明に憶えてる。




「19の夜だった。空から爆烈魔法が降り注いで非戦闘地域だったハズの街を焼かれた。でも、オレの脚を持って行ったのは爆烈魔法なんて生易しいもんじゃ無かった。」




 あれは邪悪な力。混沌と絶望の光だ。




「地平線の彼方で空が昼よりも明るく光った瞬間、全身に鳥肌が立ってヤバいって思ったんだ。とっさに逃げ遅れて大泣きしてた子供を抱えて岩陰に飛び込んだんだが、ひと呼吸の間に爆風が吹き荒んでな。オレの脚だけ間に合わなかった。」




 落ち着いた後で周りを見たら、目に映る全てが何も無くなってた。見渡す限りの更地だ。邪悪な光が爆風とともに敵も味方も飲み込んで、残ったのはオレとオレが抱えた子供ともう一つ、逃げ込んだ岩陰だけ。




「『神殺しの火』と言ったか?文字通り、神を殺す威力と聞く。」




「オレ達の身を守ったのは、1000年以上昔の魔王を倒した勇者の足跡を刻んだ石碑だった。」




 オレは字が読めなかったから何が書かれていたのかは知らない。




「その石碑は……。勇者を守ったのが勇者か。」




「あの光を見て、オレは人間が怖くなった。その時、救けた子供が孤児になったから養子にして一緒に国を出たんだ。まぁ、オレもガキに毛が生えた程度だったけどな。で、向かったのは聖女が居るっていう宗教都市国家だった。」




「聖女か…。貴様のその体が目的も結果も物語っておる。」




 身体欠損を治してもらえば勇者なんていう不遇ジョブでも何とかやっていけると思ったんだ。




「まぁ、そうだ。結果から言うと、オレの体は何ともならなかった。でも、オマエが想像してる感じじゃ無いと思うぜ。」




 旅の道中、ずっとあの光の事を考えてた。何のためにあんな兵器があるのか?散々バカな頭で考えた。出した答えは世界崩壊。人間が世界を壊す。あんな物があって言い訳が無い。


 敵も味方も関係無く、何もかも跡形も無く消失させたあれが人間に制御出来るとは思えない。




「数年かけて聖都に辿り着いた。だが聖女はオレが聖都に辿り着いたその日に死んだんだ。まだ50にもならない歳だったらしいから過労だな。オレは神に嫌われてる。」




「神が個など気にするものか。それは思い上がりというものだ。」




 いや、嫌われてるだろ?少なくとも好かれちゃいない。




 旅の疲れと聖女が死んだ落胆から何もやる気が起きなくて、連れてた子と数年間、物乞いで食い繋いだ。レベル1でも就ける仕事はあるけど、オレはこの体だからな。まぁ、一番デカい理由は右耳の顔面にまで及ぶ傷と失明して腐った魚みたいな色をした左眼だ。まともにオレを見据える事が出来るヤツは殆どいない。




「オレが泣け無しの金で飲んだ呉れてたある日、オレの子のステータスに『聖女』が刻まれた。」




 オレが唯一、殺意を抱いているヤツがいるとしたら、オレのステータスに勇者のジョブを刻みやがった神だ。だから宗教なんて本当はクソ喰らえなんだ。でも、あの時だけは感謝した。娘のジョブがオレのようなクソジョブじゃ無くて。




「あの混沌と絶望の光を見て、何年もオレが物乞い生活を強いていたあいつが聖女のジョブを発現したんだ。」




 ジョブの発現条件で解っているのは、それ迄の経験と資質が関係してるという事だけ。それはつまり、あの絶望の光を見ても誰かを救いたいとあいつは想い、底辺の物乞い生活の中で、オレの知らない所でオレの知らない誰かを救い続けてたって事だ。




「救けた子が聖女とはな。」




「救けた子が聖女だったんじゃない。間違えるな。あいつはあいつの想いと行動で聖女のジョブを発現したんだ。あいつは、他に何も誇れるものが無いオレの人生の唯一の誇りだ。」




 だが、世界が絶望に満ちているこの時代で、聖女が楽なジョブな訳がない。




「聖女になったあいつは凄まじかった。ブッ倒れるまで毎日、毎日、何百何千って人々を救済し続けた。ジョブレベルもどんどん上がって、数年で先代聖女に迫る程になってた。」




 ジョブレベルはそのジョブに見合った行為で上げられる。聖女なら救済とかな。だが、勇者のジョブレベルは魔を討つ事でしか上がらない。正に現代の最不遇ジョブだ。野生の魔者なんて見た事ねぇよ!居ても絶滅危惧種で保護対象だ。だいたい人間にビビってひっそりと生きてる連中をオレはきっと殺せない。




「人口爆発で地に人間が満ち満ちておる。比例して救済を求める者も増えよう。」




 ああ、そうだ。生命が軽すぎて、たくさん背負わされるんだ。


 あの頃のあいつは振らついて帰って来ると「お父さんの体は、いつか絶対に私が治してあげるからね」って口癖のように言ってたな。




「そんな聖女が言ったんだ。オレの体は駄目だって、無理だってな。」




 神様っていうのはオレの事がとことん大嫌いなんだ。まぁ、あっちの気持ちは分からねぇけど、オレの方は大嫌いだ。




「あいつは全然悪くねぇのに毎日、オレの体に癒しの魔法を掛けながら泣くんだ。「お父さん、ごめんなさい」ってな。いや、何もしてねぇのはオレだろうに。ただそこに居る。あいつの好意に甘えて……。」




「我はそうは思わぬが……。続けよ。」




 オレは必死になって全てを救済しようとするあいつを見て、与えられたジョブに対して、どう責任を果たすかを真剣に考えるようになったんだ。


 レベルの上がらない自分の勇者ジョブが恨めしかった。何をしても上がらないジョブレベル。おかげでオレはクソ雑魚だ。


 でも、オレは勇者で、そのうえ聖女の父親だ。何が自分に出来るのか、死ぬ気で考えたがオレはバカだから全然分からない。焦る以上に分からない何かを分からないままに、どうにかしたくなったんだ。考えて、考えて、それでも分からないなら聞けばいいんだ。




「毎日、泣かれると居心地悪くってさ。オレは旅に出る事にしたんだ。賢者に会いに行こうと、いざ旅立ってみたものの、こいつが全然見つかんない。」




「やはり賢者か。最弱でも勇者は勇者という事か。」




「最弱は酷いぞ。これでもレベル20位の一般ジョブよか強いつもりだ。まぁ、こないだ村人にボコられたけどよ……。」




 聖女も賢者も同時期に世界でただ一人だけ顕現する激レアジョブだ。まぁ、100年に一人の勇者に比べれば有り触れてるけどな。本当に何で勇者がオレなんだ。




「思い付くあらゆる所を訪ね歩いた。それこそ世界中な。100の国を渡り歩いた。でも見つからない。オレは賢者ってジョブを勘違いしてて、何処かの研究機関で働いてるって思ってたんだ。」




「だが、会えたのであろう?だから貴様はここに居る。」




 賢者っていうのは宇宙の真理を追求する者だ。これは研究機関で技術開発しててもジョブレベルは上がらない。




「あぁ、そうだ。あの野郎、世界最高峰の山で瞑想してやがった。」




 会って見れば賢者はやはり賢者だった。こいつに会ってオレはジョブが何故、存在するかを知る事が出来た。それは魔科学者じゃ絶対に解き明かせ無い真理だ。




「賢者はもの凄い物知りだった。まぁ、オレは戦場育ちのバカだから、その凄さの片鱗くらいしか解らないけどな。何か難しい事言ってるなぁって感じだ。オレに毎日、勉強教えてくれてさ。字の読み書きが出来るようになったんだ。」




「何?貴様、それ迄、字が読めなかったというのか?」




「今は読めるぞ。まぁ、利き腕失くしちまったから書く方はまた少し練習がいるけどな。」




 賢者が言うにはジョブってのは存在の証明なんだと。極める事で唯一になれるとか何とか…。難しくって半分も理解出来て無いが、何となく解る。まぁ、勇者も賢者もオンリーワンだけど、あいつが言ってた事はそういう事じゃない。




 この世界に生きる全ての命は、その存在としての役割りと責任を担っているんだ。蜜蜂が居なければ花は受粉出来ないし、受粉出来なきゃ花は実をつけない。熟した実は鳥に啄まれ、鳥は種を運ぶ。もちろん役割りはそれだけじゃ無い。でも何処かで誰かが役割りと責任を放棄すると全てが駄目になる。複雑に絡み合った関係性が互いを生かし合ってるんだ。


 意志の疎通が出来ないから確認は出来ないけど、虫にも植物にも、きっとジョブはあるんだ。そして、それぞれの存在を証明するために役割りと責任を担っている。むしろ儚い命しか与えられていない小さな生き物ほど、自分の役割りに懸命に生きてる。


 自分に真摯に向き合った者だけが、自分だけのオンリーワンの命を生きる事が出来るんだ。




 魔王がオレの失くし左腕に、続けて右腕の魔術紋に視線を向ける。




「腕の欠損は賢者との邂逅の後か?その魔術紋、施したのは賢者だな?」




「左の腕は賢者のヤツにくれてやったんだ。こっちの腕の魔術紋はお護りだとさ。水分調整が出来るらしい。これのおかげで灼熱の砂漠も凪の大海原も越えられた。」




 攻撃用の火の魔術紋は利き腕だった左腕と一緒に失くしちまった。まぁ、右腕は残ったからお護りの効果はあったって事だな。




「賢者はオレ程度が思う疑問には何でも答えてくれた。けど、一つだけ、絶対に答えてくれない質問があってな。勇者の役割りは何かって事だけは答えてくれないんだよ。あいつ絶対に知ってて答えないんだぜ。「それだけは自分自身で答えを見つけなければいけない」ってな。」




「いや、おそらく賢者も答えられぬ事だったのであろう。その質問は貴様にとって、『己とは何か』、と同義であるからな。他者が出す答えなど、何の意味も持たぬ。」




 今の世界を見て思うんだ。いびつに歪んで壊れかけてる。原因は人間で発端は魔導機関だ。それは強大な破壊の力になって制御出来なくなっちまった。


 分不相応な力が暴走し始めている。




 魔者が姿を消し、バランスが崩れたんなら、魔者だってこの世界には必要な命だったって事だ。敵対しているからとか、自分にとっていらないからって排除してたら最後は何も残らない。




「まぁ、そんな賢者も山の崩落に飲まれて呆気なく死んだ。オレは確かに崖に落ちて行くあいつの手を掴んだんだが……。転がって来た大岩が一瞬でオレの腕ごとあいつを持って行っちまった。」




 大陸を襲った大地震。人間が開発した新兵器の実験だった。これ以上、いらねぇだろうが!


 あの時、オレに土魔法が使えていれば何か出来たかもしれない。オレはレベル1で初期魔法すら修得出来なかった。この時代の勇者だからだ。いつだってレベル1の勇者だからオレは何も出来ない。




「ならば、今代の賢者が何処かに居よう。探さぬのか?」




「オレの賢者はあいつだけだ。先に言っとくが、オレの聖女もオレの娘だけだ。どっちにしろ、あいつが生きてても此処には連れて来ていない。理由はあんたなら分かるはずだ。」




 勇者は100年に一人だけだ。だが聖女も賢者も継承期を除けば、常に必ず一人いる。それは勇者がいない時にも世界に対して役割りがあるからだ。世界に必要なヤツ等をこれからオレがやる事に巻き込めるかよ。




「そうであるな。我は貴様よりも遥かに永く魔王とは何かについて自問自答して来たのだ。貴様が何のために此処に来たのか、おおよその見当はつく。」




「ここに来るのは簡単だったぜ。魔王城は有名だからな。」




 本当に簡単だった。保護区に入っても魔者には一度も遭遇しなかった。




「レベル1の最弱勇者が辿り着いた答え。さぁ、我に示せ!」




 魔王は、もうオレが通った答えを既に持っている。だが、そんなのは認めない。オレは、もうそこにはいない。オレの答えは、とっくにその先に行っている。




「人間と魔者が他の生物と違う所が一つだけある。それは欲望が底無しだって事だ。互いが互いから奪い合って牽制する事で世界はバランスを保ってた。だから一方がいなくなった途端に崩壊が始まったんだ。」




 オレはクソ雑魚で何も出来ない。何も為せない。そんな命に何の意味がある?




「世界は終わる。人間が終わらせる。なぁ、魔王。オマエはこのままで満足か?」




 オレはイヤだね。オレは何のために生れてきたんだ?何のための勇者だよ?




「オレ達人間にはオマエ達魔者が必要だったんだ。そして勇者オレには魔王オマエが必要だし、魔王オマエにも勇者オレが必要なんだ。こんな所に引きこもりやがって、何を諦めているんだよ。オマエ魔王だろ!オマエにもオマエの役割りと責任がある。それを果たせよ!」




 オレは、こいつを殴りに来た。




「勇者が何でかステータスに刻まれちまったからな。オレは世界を救うために此処に来たんだ。」




 レベル1の最弱勇者に出来る事。勇者の意味。




「オレは弱い。でも、勇者に強さなんか関係ねぇのさ。絶望してるヤツを奮い立たせる希望になる事、勇者ってそういう事だろ!」




 オレはオレの役割りと責任を果たす。




「オレは勇者。魔王よ、オレと戦え!」




 絶対に勝てない。絶対に死ぬ。でもな、勇者オレの命で魔王オマエが本気になるのなら、魔王オマエにだけは刻んでやる。オレの存在の証明を!




━━━━━━━━━━




「着いて参れ。嘗かつての勇者達を屠った謁見の間にて貴様を迎え討つ。」




 なんという男だ。




 我は、こやつを見誤っておった。我のように、ただ世界に絶望し、死ぬために此処に来たと思うておった。こやつは確かに死ぬために此処に来たが、世界に絶望などしておらん。




 我は今宵、魔王を自ら終わらせるつもりであった。


 辿り着いた答えは同じでも、そこに至る過程も意味もまるで違う。


 こやつは我の希望となるために此処に来たのだ。




 我の魔核に軋むような痛みが走る。幻痛などでは無い。魔核が潰れる程に胸が痛い。




 こやつは自分が何を為したかまるで解っておらん。


 戦場で育った勇者だと?日常的に死に触れ、命を脅かされる状況で勇者のジョブを発現する事が、どれほど常軌を逸した事か。




 我が抗えなかった現実に、こやつは片脚で立ち向かっておる。




 何も出来ず、何もしておらぬだと?欠損だらけの体でステータスの基礎値が我を上回っておるのだぞ。それは如何ほどの努力と犠牲の上に成り立つというのか。例え、こやつが最弱の勇者だとしても、その一点だけでも称賛に値する。




 こやつを見ると苦しくなる。我は今まで何をしておったのだ。




「今一つ。貴様、何故死にかけておった?」




 こやつは色々と今までの勇者とまるで違うが、飛び抜けて違う所が一つある。死を覚悟して此処に来たのでは無く、死ぬために此処に来たという所だ。こやつの決意は確かに響く。


 魔核となった心臓が再び脈打ち、ある筈も無い鼓動を刻んでいるかのようだ。




「城門の所で人の頭ほどある雹が降って来て滅多打ちにされた。オレは神に嫌われてるからな。」




 ああ、そういえば雹も雷いかずちもとっくに止んでおるな。


 神に嫌われておるなどとこやつは言うが、瀕死のこやつを治療しようとしなければ、こやつの体を目にする事は無かった。戦慄を覚える程の異形。気に止めぬというのが無理といえよう。存外、神は貴様を気に入っておると我は思うぞ。




「フハハハッ!貴様は弱い。我の知る最弱の勇者だ。我は魔王なるぞ。貴様の拳、我に刻めると思うてか!来い、勇者よ!」




 我がまだ人間・・だった頃、魔王を倒したという勇者を見た。そやつは確かに人間の希望であったが、我は救われなかった。我の全てを奪ったのも人間だったからだ。


 人間を呪い、憎み、怨み、嫌悪し、その感情が我の魔核を生んだのだ。我は魔に堕ち、望んで人間どもの絶望となった。


 我のステータスに『魔王』が刻まれたあの日は、人間どもが希望を見た日だ。だから、我は知っている。字の読めなかったこやつが知らぬ、こやつを守った石碑の言葉を。




『其は希望となりし者、勇者』




 あの日見た勇者がこやつを生かした。1000年の時を越え、救えなかった幼き日の我の元に希望こやつを届けた。




 魔王は全力の結界魔法を展開する。レベル1の勇者の攻撃などでは決して破れぬ障壁だ。




 こやつの拳が、もしも我の頂きに届くのなら……。




「行くぞ!魔王!」




 打ち付けられた勇者の拳が結界で阻まれる。弱い。だが勇者は止まらない。




 殺意などでは無い。こやつがその身に宿すのは別の何か。暖かくて心地よい、1000年の永きに渡り、我がついぞ得られなかったもの……。




 全力で幾度となく打ち付けられる拳。




 だが、届かぬ!永遠に、このまま、この時が続けば良いのに……。




「届け!届けよ!クソッ!」




 このままずっと、我と貴様の二人でずっと……。




 幾十、幾百と打ち付けられた拳は潰れ、全ての指があらぬ方を向いている。


 初撃の勢いは徐々に失われていく。




 もうよせ。よいではないか。例え世界が滅びようとも、貴様がおれば我は……。




「まだだ!まだ!」




 打ち付ける度に血飛沫が舞い、肉が千切れ飛び、骨が削れていく。


 拳など既に無く、抉れ出た剥き出しの神経が血に染まる。


 それでも勇者は腕を振り下ろす。耐え難い激痛に顔を歪めながら。




 無理だ。無茶だ。貴様の拳はもう何処にも無いではないか。




 繰り返し打ち付けられた数多の打撃が、勇者の手首から先を完全に消失させている。




 世界など、どうでもよいではないか。世界に取り残された魔王我と勇者貴様でこのまま此処で……。




 力を失くした虫も殺せぬ程の弱々しい打ち下ろしに、また血が舞い、肉が飛ぶ。




「オレは勇者だ!」




 右腕の消失が刻まれた魔術紋に至った瞬間に、起こり得る筈の無い奇蹟が起こった。




「何だこれは?鑑定アナライズ!」




 雷魔法だと!何故だ?あの紋は確かに水の護符だった筈。




 魔王は、そこかしこに散乱した勇者の血を、肉を、骨を見る。鮮血はおよそ今、体内から飛び散り出たものとは思えないほどに黒々と干からびていた。


 勇者が持ち込んだ氷塊が水蒸気となって右腕の魔術紋に吸収されていく。




 そうか、雹か!雹は雷を伴う。尋常ならざる巨大な雹が、尋常ならざる強大な雷を帯びて降り注いだ。ならば水と共に吸収しておるのは大気電気!




 バリバリッと雷電を帯びた勇者の右腕が光を放つ。




「喰らえ、魔王!」




 重力に任せただけの何の威力も無い勇者の打ち下ろした打撃は、やはり結界に阻まれる。


 だが、その腕から放たれた雷いかずちが爆燦して、結界を勇者の腕ごと吹き飛ばした。血と肉が飛び散る中から、幾度も繰り返し打ち付けられた事で、削れて鋭く尖った骨片が魔王の魔眼を穿つらぬいた。




「フハハハッ、勇者!これが勇者か!」




 気に入られておるどころではない。貴様は神に愛されておる。


 レベル1の攻撃など魔王に届くものか。あのような巨大な雹など見た事も無いわ!


 1000年で一度も経験した事の無いほどの巨大な雹が、今宵、この時に降ったのは、貴様が神に愛されておるからだ。これ程とは……、これ程愛されておるとはな。貴様は神に溺愛されておるわ!




 神も示したのだ、自らの存在の証明を。雷いかずちにはもう一つの呼び名があったな、『神なり』と!




「ああ、届いたぞ。貴様の拳。ならばこそ我も答えねばなるまい。」




 我は腑抜けておった。貴様と伴に、このまま此処で朽ちようなどと……。




「我の全力の拳、受けてみよ!」




 一撃!




 勇者の体を魔王の拳が突き抜ける。魔王のたった一撃で勇者の体に大穴があき、勇者は臓物を撒き散らして吹き飛んだ。


 考えるよりも先に魔王は勇者に駆け寄っていた。


 体の何処を見てもまともといえる所など無い。辛うじて形を残しているのは勇者を支えて来た左脚くらいだ。




 全身を血反吐に塗れさせた勇者を抱き起こす。




「過去に幾人もの勇者との邂逅で知った勇者ジョブの発現条件を教えてやろう。」




 こやつは死ぬ。もうすぐ死ぬ。




「『心正しき強き者』これだけだ。」




 何だ、この感情は?胸が張り裂けそうだ。魔核が砕けそうだ。




「貴様の娘は、自らの想いと自らの行動で聖女となったと貴様は言ったではないか。貴様もそうだ。貴様は母の遺言を守り、己が望んで勇者となり、己が望んだ通りに生きたのだ。」




 胸が苦しい。魔核が内から弾けそうだ。




「そう…かもな。勇者って…ジョブはキツか…ったけど、『心…正しき…強き者』…っていうのは…オレの…なり…たかった…オレだ。」




 血に染まった勇者の顔が、不意に綻ほころんだように見えた。




「なぁ、オレは…希望勇者に…なれ…たか?」




「ああ、貴様こそが真の勇者だ。貴様だけが我の勇者だ!」




 世界の誰もが知らずとも、我だけは知っておる。




「泣い…てる…のか?」




 世界を憂うれい、たった一人で世界を救うために魔王我と戦った勇者を。




「魔王が泣く訳なかろう。貴様が刻んだ傷から血が出ておるのだ。」




「そっちの…眼じゃ…ねぇよ。」




 これほどの男に、我はまたいつか出会えるだろうか?




「黙れ!」




 母の遺言がなければ勇者にならなかった。戦場で育っておらねば神殺しの火を目撃しなかった。逃げ込んだ岩陰が勇者の石碑でなければ……。救けた子供が聖女にならねば……。賢者に会い、真理に触れなければ……。雹が降らねば……。水の護符が……。不屈の精神が……。


 いったい幾つの試練を乗り越え、幾つの偶然を重ねて、貴様は我の腕に抱かれておるのだ?


 運命に抗う者同士が、運命に導かれ出会った。まるで貴様は我のために、この世に生を受けたかのようではないか?


 ならば、今度は我が貴様の運命を変えて見せよう。




 魔王は勇者に、そっと唇を重ねた。




「キレイな…顔…してる…と思ったら、オマ…エ、女…だった…のか?」




 貴様がそれを気にするならば、貴様には教えぬ。最期の刹那まで、我の事を考え、我を想い逝け。




「そんな事、どうでもよかろう?」




「いや…、そこ…大事…だろ…。す…まん。傷……治る…か?」




 今、正に死に行く傷だらけの体で何を言っておるのだ?




「謝罪などいらぬ。この傷は治さぬ。我は嬉しいぞ。この眼が最後に映した者が貴様なのだから。この傷は、貴様が我に刻んだ貴様の生きた証となろう。」




 魔王は勇者が、その眼に刻んだ傷に触れる。




 これからも、この傷に触れる度、我は貴様を想い出すのだ。




「今日という日は我にとって特別なのだ。その特別な日に刻まれたこの傷を歓よろこびとしよう。魔王として戴冠し、丁度1000年の日だ。我は在位1000年の魔王なるぞ。この意味が分かるか?」




「ノス……フェ…ラ……トゥ。」




 フハハハッ、驚いておる。我も貴様には驚かせられた。


 不死者ノスフェラトゥとは死を拒絶した者の事では無い。死してなお、運命に抗う者の事だ。死してなお、運命に抗う者……、やはり我と貴様は似ておる。全く違って、そっくりだ。




 『死者の接吻』。その意味は約束された再会。




「千…年…魔王…。伝…説の……真祖…。」




 そうだ。我は自ら望んで不死者となった真祖の吸血鬼。




「それを知る貴様ならば、死者の接吻の意味も知っておろう。我と貴様は再び会うのだ。貴様の転生は、ここに確約された。」




 真祖の吸血鬼トゥルーヴァンパイアである魔王の接吻ぞ。そこらの吸血鬼のマーキングとは格が違う。




「ハハッ…、次は……オ…マ…エの…事……、聞か……せろ……よ。」




 貴様の魂に我を刻み込んだのだ。貴様は我の獲物。決して逃れられぬと知れ。




「ああ、永くなるぞ。我は千年魔王だからな。勇者よ、また来るがよい。勇者としてな。」




「また…、勇者…か……よ。勘弁……し……て……く……れ…………。」




 勇者の瞳が彩いろを失い、意志の無い闇が落とし込まれる。




 魔王は勇者の瞼まぶたをそっと閉じて、その軀むくろを強く、固く抱きしめた。




「ウッ…、クゥッ…、ウゥッ…、ウゥアァアァァア!ウオォオォオォオ!オオオォォオオォォオォ!」




 眼から泪が止めどなく溢れ出る。魔王は激情が駆り立てるままに慟哭した。魔核が砕けそうな激痛が胸を穿つ。




 この激情が何かは知らぬ。この激痛が何かも分からぬ。だが、知らぬまま、分からぬままでよい。


 我は魔王としていつまでも待つ。だから貴様は必ず再び我の元に来るのだ。次こそは最強の勇者として。


 我もまた、運命に抗う者として責任を果たす努力というものをしてみよう。次に合間見える貴様は最強の勇者なのだからな。




 魔王は魔王城のバルコニーへ、軀むくろとなった勇者を抱き出いでた。


 1000年前の戴冠式の日に、歓声と共に魔王を迎えた魔者達も、今はもういない。


 見上げれば、厚く天そらを覆っていた雲は雹となり切り、遮るものを失くした月が燦然さんぜんと輝いていた。




「見えるか、勇者よ。今宵は月が綺麗だなぁ。」




 地には溶け出した氷塊が宝石のように散りばめられ、月光を反射して爛々らんらんと煌めいている。


 魔王は遠く暗病くらやむ闇を見つめて、勇者の軀むくろと伴に高らかに宣言する。




「今宵、この時が魔王の復活である!」




 さぁ、人間どもよ、灯火無き、永き夜の始まりだ。絶望の悪夢に、恐れ慄おののき、震えて眠れ。


後書き編集

本編が倍切なくなる絶対に知っておいて欲しい基礎知識


①夏目漱石はI love youを月が綺麗ですねと訳しています。


②二葉亭四迷はI'm yoursを死んでもいいわと訳しています。自殺志願=死んでもいいわ


③ノスフェラトゥは吸血鬼の別称です。不死者ノスフェラトゥ≠アンデッド 不死者ノスフェラトゥ=吸血鬼ヴァンパイア


④死者の接吻は吸血鬼の基礎能力でドラキュラが有名です。




この物語が魔王あなたの勇者きぼうになりますように。

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千年魔王 在位1000年の魔王と自殺志願の最弱勇者 @yuquri

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