第137話 深淵を覗くもの

 いつまでも喜望峰の中で安穏としている場合ではない。

 休息というものは必ず終わりがくるものであり、誰が言い出すわけでもなくピリピリとした空気が流れ始めるとそれはもう仕事の合図だった。

 本当の所は細かな仕事が大量に発生しており、交代勤務の中にあったのだが、喜望峰に流れていた空気は帝国の支配領域内のそれに塗り替わっていた。


 しかし、ここは地球から一番離れた宙域。最前線と言っても過言ではない場所。その意識が兵士たちの脳裏に残っていたのもあるのか、言い知れぬ不安のようなものは生じる。

 それが積み重なれば、必ずこう言い出すものが出てくる。

 

『敵に時間を与えすぎるのはまずいのではないか』


 つまり進軍をするべきと言う空気が流れる。

 フリムとリヒャルトに加え、保護されたクローン人類や捕虜となったサラッサ星人から得られた情報の精査は完璧とは言い難いが、それでも全くの情報なしで進むのとは大きく違う。

 ほぼ一直線に伸びる直通最短ルート。敵本星に向けての航路は開拓の準備が整ったと言っても良い。

 さてそうなれば当初の目的を遂行するべく遠征艦隊は出撃しなければならないが、敵のテリトリーに侵入するわけなのだから、当然待ち伏せを警戒しなければいけない。

 かといってそれを恐れていては何も出来ない。

 誰かが虎穴に入る必要がある。


「ならば無人艦隊を有する第六艦隊が適任でしょう」


 艦隊司令たちの会議でリリアンはそう発言した。

 貧乏くじを引くようなものだが、実際それに適している戦力を保有しているのはリリアンたちなのは誰もがわかっていた。

 無人艦隊を先行させることで人的損失は抑えられる。どんな罠が待っていようとも無人だから容易に切り捨てられる。

 コントロール艦であるエリスが赴く必要はあるが、それもリスクに比べれば安いものだ。


「ここまで来たのですから、進む以外に道はありません」


 そうして、話しは手早くまとまる。

 リリアンが名乗りを上げたのはエリスと無人艦隊の特性を活かせるからというのは当然あるが、同時に残り少ない自分の未来のアドバンテージもまた役に立つからだ。

 それは敵の拠点の存在をある程度は把握できているという点にある。

 だが、それらはこの時代から何十年も先の話であり、そもそも建設されているかどうかも怪しいものだった。


 しかし敵の支配領域内であるのなら、その前身となる施設があってしかるべきだろうし、少なくともそれらは成長したステラによる無人艦隊で何とか攻略できた場所でもある。

 当時と比べて地球帝国とサラッサの戦力に絶対的な格差は存在しない。当時にしても艦の性能は言うほど優劣はなかった。

 ただただ圧倒的に戦力の数が乏しかっただけである。

 むしろ、未来の状況とはかけ離れて、帝国側の戦力が整っているからこそ強気に出れる。


 問題があるとすれば、その事実を知っているのはリリアンただ一人という事だろう。

 女の勘だから……という言葉を使って無理を通すのは流石に厳しい。

 それでもこうして率先して前に出る以外にわずかなアドバンテージを利用できる機会はないというわけである。

 かつてのように、考えなしに突撃をしていた頃の自分ではないとはいえ、ここは無理を通すべき場面だと思うのだから。


***


「全艦、ワープアウト完了。各部チェック、報告せよ」


 予定通り、第六艦隊は一部の無人艦を先行させる形で定期的なワープを繰り返す。ちょうど60光年を過ぎた頃。それでも威容を放つのは馬頭星雲の影である。

 一年ぶりに体験する面々であったが、かつてティベリウスに乗り込んでいた手前、意外と順応していた。

 右も左もわからなかった場所で、何とかして地球へと帰還したのだから、それを比べれば帰る道筋がわかるのは安心感が違う。


 途中、ビーコンなどを設置して目印を作っているのもあるし、後方には味方が構えている。これは無限に広がる宇宙の闇の中でも心強いものだった。

 それにかつてはたった一隻の戦艦だったのが、今では艦隊を組んで、栄えある帝国主力艦隊として肩を並べている。

 不安がそれだけで払拭されるわけでもないが、心持ちというものは遥かに硬くなった。


「こうも待ち伏せにおあつらえ向きな小惑星帯があるのは、いささか不自然ですな」


 三度目のワープアウトを終えた艦橋の中で、ヴァンがそう呟く。

 遠い距離では塵にも見えないような小惑星帯も、至近距離にまで近づけば一つ一つは戦艦よりも大きいものがひしめき合っていた。


「私も詳しくは教えられていないけど、ここはかつて惑星があったとされているわ。それこそ、私たちの先祖が光子魚雷で破壊でもしたんじゃないかって話。かつて、サラッサもそれなりには植民惑星を開拓していたらしいし……」


 ともすれば、この周囲に漂う岩石は戦争の痕というわけである。


「惑星すらも破壊する兵器を使う人類が、今では星々を渡るのにも苦労するとはね」


 前世界ではその真実すら知らなかったが、今こうして過去の時代で新たな発見が出るたびに思うのだ。思ったよりも人類は好き勝手していたのだろうなと。

 だからと言って、勝手に滅ぼされる、人体実験の道具にされるのはまっぴらごめんではあるが。


「どうやら暗黒星雲のガスが微量、この宙域に流れ込んでいるようですな。恐らくはレーダー障害も発生するでしょう。なるほど……そのような中ではサラッサが持つテレパシー能力はかなり便利と言えますな」


 ヴァンのこの感覚はむしろありがたい。誰か一人でも警戒をしているという事実があれば、リリアンとしても一見荒唐無稽な意見も通しやすくなる。


「その通りよ、副長。この航路は敵も使う航路。いくら数十万キロ、数百万キロ、そして数光年離れていようと、ここは敵のテリトリー。警戒するに越したことはないし、喜望峰が奪われた事実は敵にも当然伝わっているはず。何かが待ち構えていると考える方が妥当というものよ」


 リリアンがそう言えば、艦橋も気を引き締める。

 レーダー警戒及び探査ドローンの射出などはもう手慣れたものだった。


「それで、フリム。この辺りに敵の拠点は?」

「ない……とは言い切れないわ。私たちがここを通ったのは十五年前よ?」


 十五年もあれば、基地の一つや二つは用意できる。

 リリアンの前世界の記憶でもここでは戦闘があった。


「なるほど……全艦、第二種戦闘態勢へ移行。本隊にも通達。要注意されたしと」


 その指示に頷くデボネアだったが、彼女はすぐさま怪訝な表情を浮かべる。


「これは……艦長、通信妨害です。遮断されています」

「早速仕掛けてきたというわけね」


 なぜとは問わない。

 敵がそう言った準備をするのは当然理解できたからだ。


「副長の懸念通り、色々と障害が発生しているわね。無人艦隊の動きは?」


 それに答えるのはステラである。


「多少、動きにノイズが入りますが、艦隊距離であれば問題はありません。ですが、広域展開は難しいかと」

『距離が遠のけばそれだけコントロールは効かなくなるでしょう。恐らくは周囲に漂うガスだけが原因ではないでしょう。それに紛れて何かが人為的に散布されている可能性があります』


 付け加えるようにニーチェが続く。


「随分とこっちに都合の悪いものがばらまかれているわね。対処方法は?」

『物理的に吹き飛ばす事を推奨します』

「つまり?」

『敵部隊を撃破すればよろしいかと』


 それはつまり、いつもの通りの事をやれば良いという話である。

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