第25話 悪意に立ち向かう
「調査官のロイド・レーゲルです。本日から二週間、よろしくお願いいたします」
今日から二週間、我が迎賓館の職員と設備に問題がないか、調査が入る。
早朝の会議で私たち迎賓館職員に挨拶する彼――調査官のロイドさんは、実に真面目そうなお方だった。
整髪料で七三に整えられた髪形に、神経質そうな顔立ち。お辞儀をした時にずれた眼鏡を直す仕草まできっちりとした男性。
話し方、仕草、容姿、どれをとっても威厳に満ち溢れている。
女性職員は明らかに怯えた表情をしていた。
私はといえば、そこまでロイドさんに恐怖心を抱いていなかった。
なんとなく、親近感がわいてしまう。
もし私が男性だったら、年を重ねた時、彼のようになっていたかもしれない。
「それでは今日も頑張りましょう」と始業の挨拶をした館長を制して、ロイドさんが一歩前に出た。
「失礼、私から一言申し上げたいことがあります。よろしいでしょうか館長」
「は、はいっ!」
温厚だが気弱なところがある館長が、明らかに怯えた様子で場所を譲る。
ロイドさんは、ピンとした背筋をさらに伸ばし、鋭い目つきで私たちを見回した。
職員全員が、一瞬にして凍り付く。
「この場で、はっきり申し上げます。私が好きな言葉は事実です。よって、私は噂の類は信じません。この目で見て、聞いたことをもとに判断します。以上です。ああ、それと誰かお一人、私の案内役になっていただける方はいらっしゃいませんか」
調査官の案内役。それはつまり、四六時中、厳格な彼に監視され、評価され続けるということを意味する。
案の定、すぐさま名乗りを上げるものはいなかった。先輩たちが視線を交わし合い『お前が行けよ』『いや、お前の方がいけよ』と目で押し付け合っている。
そんな中、私は天を衝く勢いで、まっすぐ手を上げた。
「私が、ご案内いたします。まだ入ったばかりの若輩者ではありますが、なにとぞ、その大役お任せいただけないでしょうか!」
普段よりも大きな声で、はきはきと喋る。
ロイドさんがこちらをじっと見つめ「お名前は?」と尋ねてきた。
名乗ると、彼は手元の職員一覧表に目を落とし、数秒考えたのち……。
「では、オルランドさん。二週間、よろしくお願いいたします」
丁寧に頭を下げた。
私も、彼にまけないくらい丁寧に、きれいな角度でお辞儀をする。
「似た者同士が組みやがった……今年は大変なことになるぞ」
先輩たちの囁く声を聞きながら、私は決意した。
このロイドという調査官に賭けてみよう。
彼が本当に見聞きしたことだけで判断してくれる方なら、モニカの職員にあるまじき勤務態度や企みを絶対に許しはしないだろう。
(私は『いい子』じゃいられない)
ただ悪意を向けられ傷ついたまま、気持ちを抑え込んで我慢する。我儘も泣きごとも言わない良い子。
今までは、そうだった。だが、今は違う。
(戦うわ。大切な人を守るために。もう、逃げない)
それからの日々は多忙さを極めた。日常業務に加え、日中はロイドさんをあちこちにご案内しなければならないのだ。
案内の仕事が一段落して自分の机に戻ると、あるはずの未処理書類の山が消えていた。
(え、どこに?風に吹かれて、開け放った窓から外にばらまかれてしまったのかしら。いいえ、あんな量だもの、それは無理。じゃあ、足が生えて逃げた?ああ、忙しすぎておかしな事まで考えてしまうわ!)
机の近くで頭を抱えてうずくまる私の肩を誰かが叩いた。
振り返ると、アンバー先輩が書類を手に持ちながら苦笑している。
「はい」と手渡された紙束を見ると、そこには『処理済み』の文字。
「先輩がやって下さったんですか?あ、あの量を!?」
「私がってより、職員全員で振り分けて終わらせたのよ。あなたは案内役もあるんだから、しばらく通常業務は私たちが手伝うわ。体だけ壊さないようにね」
申し訳ない。なんとお詫びしてよいやら――と考えて、はたと思い至った。
それでは駄目なのだ。
謝るのが最善とは限らない。
私は変わったのだ。
昔は他人に向き合う言葉を持たなかった私だが、今は良い言葉を沢山知っている。ベネディクトからたくさん教えてもらった。
処理済みの書類を胸に抱えて頭を下げると、すぐさま顔を上げて微笑んだ。
自分の持てる言葉の中で、一番喜びを伝えられるものを選ぶ。
「アンバー先輩。他の先輩方、助けて下さり、本当にありがとうございます!嬉しいです。皆さんの優しさが、心から嬉しいのです」
感謝と喜びの感情を込めて言うと、アンバー先輩が勢いよく抱き着いてきた。
柔らかな腕と胸に抱かれて、頭をよしよしと撫ぜられる。あったかくて、穏やかで、いい匂い。
アンバー先輩は私と年も近いが、彼女の温もりは亡くなった母にどことなく似ていて、目の奥が一瞬ツンと痛んだ。
「ミスティ。あなたの凛とした所はとても素敵だけど、そんなに頑張らなくていいのよ。ふふ、私、今のあなたが大好き!仕事は器用にこなすのに、女の子としては不器用で可愛いわ。変わろうと努力する女の子って、私好きなの。ねぇ、私たち、いいお友達になれると思わない?」
体を離して茶目っ気たっぷりに言うアンバー先輩はとても魅力的だった。
容姿や服装も素敵だが、彼女の心はもっと素敵なんだろうなと直感的に思う。
彼女の雰囲気は、どこかベネディクトに似ていて、まっすぐで嘘がない気がする。
友達を作るのは怖い。マリーのように、先輩も何か意図があって近付いてきたのかと疑う気持ちもある。裏切られる可能性もある。
頭の中に浮かんだ嫌なことを振り払うように、一瞬目を閉じて、すぐさま開ける。
目の前には、私の答えを急かすことなく、穏やかな表情で見守ってくれるアンバー先輩の姿があった。
(人に心を預けるのは怖い。それでも、怖くて、不安でも。私は、信じて前に進みたい)
私は自分からアンバー先輩の手をすくい取り、そっと両手で包み込むと、出来る限り最高の笑顔を向けた。
「ぜひ、お友達になって下さい!」
先輩は一瞬驚いた様子で目を見開くと、私の手に自分の手を重ね、上下にぶんぶん振った。
あまりの勢いに、私の体が上下にグラグラ動く。
「せ、せんぱい。や、やめてください。めま、めまいがします」
「あはは!ごめんごめん、私、嬉しくなると言葉より先に体が動いちゃうの」
悪戯っ子みたいな表情は、どこか兄様にそっくりだ。
穏やかで、お茶目で、お洒落好きで素敵な私の新しい友達。
いつか、もっと仲良くなれたら我が家に招待しよう。
友人と過ごす楽しい未来を想像して心躍る。こんな経験は久しぶりだ。
悪意ある出会いもあれば、思いがけない素敵な出会いもある。
今までの私は、お別れを言うばかりの人生だった。
もう、悲しいサヨナラはごめんだ。
これからの私は、楽しい『またね』を積み重ねてゆきたい。
(そのためには、前に進まなきゃ)
♢♢♢
調査開始からあっという間に10日が経ち、気付けば終了まであと4日に迫っていた。
モニカはロイドさんが来てから、表向きは必死に働き、勤勉さをアピールしている。
取り巻き騎士たちとのサボりも談笑もせず、悪口も言わない。
モニカと言う女性は考えなしに見えるが、その実とても強かだ。自分が逆らっても、やり返してこないだろう相手をとっさに見極めている。
例えば、私は彼女に言わせれば『いい子』だから、伯爵家の力を使うなんて卑怯な手段を取れないと知っている。
館長は温厚だが気弱で、自分を迎賓館から追い出せないと踏んでいる。
対して、ロイドさんのことはとても警戒しており、絶対に尻尾を見せまいと用心しているのだ。
それでも、人の習慣はなかなか変えられないものだと、私は思う。
例えば、いつも食後に甘いものを食べる人は、禁止されていても食べたくて仕方なくなる。
葉巻を吸う人は、どんなに値段が高くなってもついつい買って吸ってしまう。
モニカも、今は我慢して猫をかぶっているようだが、何かきっかけがあれば、サボりと悪口を言う癖を出すはず。
(彼女がボロを出すのを待っている時間はない。ここは、仕掛けてみましょう。でも、どうやって言おうかしら)
施設の点検をするロイドさんの後ろで考えていると、廊下の向こう側からベネディクトが歩いてくるのが見えた。
彼はいつものように笑うことも、私に話しかけることもしない。
私たちは、相棒となったあの日から、なるべく接触しないようにしていた。
顔を合わせても、お互いに無関心を装っている。
ほら、今も私の横を、彼が無表情で通り過ぎてゆく。
だが、通り過ぎるほんの一瞬、彼の手が私の小指に触れた。
瞬きより短い瞬間。彼の体温が私の肌を撫ぜて、すぐさま離れていく。
『がんばれ』『信じてる』と言われた気がした。
相棒だから言葉にしなくても分かる、私たちだけの合図。
ベネディクトの声なき励ましに背中を押され、私は思い切ってロイドさんに声をかけた。
「ロイド調査官。私から一つ、ご提案があるのですが、よろしいでしょうか!」
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