第2話 ブラックダイヤモンド


 上野の桜並木を走って帰ってきた先ほどの女の子は『森キャスト』とかかれた古ぼけた看板の町工場の前で立ち止まった。見慣れたわが職場。それにしても・・・・汚い!壊れかけた木でできたドアは年季が入って茶褐色でかしいでいる。ドアの鍵は三回挑戦しないと開かない。戸口の周りには石膏の破片が氾濫している。現実は厳しい・・・と実感しながらも元気よく良くドアを開きながら彼女は言った。

「ただいまあっ おじさん、届けてきました」

「おお、お帰り、ルビちゃん。相変わらず元気だねえ。ご苦労さん!・・あ、だけど」

出迎えた男は小声で続けた。

「おじさんじゃなく、シャチョウって言ってね。」

「社員もいないのに、何が社長さねえっ」

 横で聞き耳を立てていたパートのおばちゃんが突っ込みを入れた。


 女の子の名は杉本流美(ルビ)子供のように見えるがれっきとした22歳。上野の町工場「森キャスト」で住み込みで働いている。キャスト屋とは宝石の型を取り、金などを流し込み鋳造する工場だ。一階には大きなキャストの機械が所狭しと並んでいる。その周りはゴムの型と石膏型が散らばっている。汚い室内には、不釣合いな立派な仏壇があり優しい女性が微笑んでいた。

 

 この町工場には、50を過ぎた薄毛で風采の上がらないそして幾分気の弱い「社長」こと森建造と、パートで来ている眼鏡で少し歯の出たおしゃべりなおばちゃん辰子さんと、住み込みのルビしかいない。おじちゃんの息子でバイクの修理屋で働く英太(エイタ)が手伝いに来るだだけだ。 


 「で、どうだった。ペリカンホテルの展示会は。」

 「ばかだねえ、このおっさんは。ペリカンじゃないよ、ペニシリンホテルだってばねえ、ルビちゃん」

 「え、あのお」

この2人のこんなやり取りは今始まったことではない。

「なんか、もう全然、こことは世界が違うって言うか、すごく豪華で綺麗で、ダイヤモンドがキラキラしてて、目が回りそうに素敵でした」

 「そうかい。そりゃたいしたもんだ。こことは違って…悪かったね、うちは汚くてけちくさくて」

 「ほんとにきったないよね。で、どうだったのさ。参考にはなったのかい。ルビちゃん、ジュエリーデザイナーになりたいんだもんね。」

「少ししか見れなかったんで雰囲気だけですけど、でも黒いダイヤとゴールドとのコントラストが印象的でした」

 「ふうん?。黒いダイヤ?ダイヤが黒いったら、そりゃススか灰とはちがうんだろうね、へえ?」

「ブラックダイヤモンドってあるんですよ。天然のものと着色浸透させたものとあるんですけど。スイスのバーゼルフェアで、初めて発表されてセンセーションを呼んだもんなんです」

「へえ、ダイヤは白くて光ってなくちゃ、なんか意味がないように思うけど。でも、すごいね、詳しいんだねえ」

「全部、これの受け売りですけどねっ」

ルビは、ペロっと舌を出すと、さっきホテルの入り口でもらった、アリモトのパンフレットを、差し出してみせた。


 ルビはこの町工場で住み込みで働きながらジュエリーの世界を目指している。もともと早くに両親をなくして経済的なゆとりがなかったので、住まいを提供してくれてワックスの鋳造の現場が見れるキャスト屋は格好の場所だった。一流会社が製作するジュエリーの蝋でできたその型を、ここでは見れるし、夜になると余った蝋で自分の作品を作ったりすることもできる。ジュエリーデザイナーになる学校はとても月謝が高いので、行くことはできないが、せめて、きらきらと輝くジュエリーのそばにいられる仕事を選びたかったのだ。


 「そっか、良かったね、そんなん、見れて。」

 「はい!」

 ルビは嬉しそうに答えた。

「何が見れたって?」

ヘルメットを片手に白い袋を抱えて入ってきたのは、エイタだった。

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