アストラ・ゼネカ

草木しょぼー

第1話 めぐり合い1

「なん……だと?」

「ん? キミを婦女暴行の未遂容疑で連行する、と言ったんだ。聞こえなかったか?」

「いや、聞こえたよ。俺が聞きたいのは、何故、そうなるのかだ」

「意識がない娘の衣服を脱がし、堪能したんだろ? しかも相手は高位貴族、それも未婚の令嬢だ。当然、しょ……処女、だからな。これは未遂とはいえ重罪だぞ。連行されてしかるべきだ」

「いやいやいや、おかしいだろ。それはお前の――」


 いさかいを始めた二人を見守るように、木々の隙間から柔らかな朝日が差し込んでいた。

 ここに至るまでの経緯いきさつを知るには半日ほどさかのぼる必要がある。

 そして、少年は知る由もなかった。

 その短い時間に起きた出来事が、気が遠くなるほど長い時間を費やした旅路の『終わりの始まり』となる事を。



 *     *     *     *     *



 街道というには心許ない田舎道。

 持ち上げたフードの端から西の空を覗くと、周囲を赤く染める夕陽がまもなく稜線に掛かろうとしていた。日没までそう長くはなさそうだ。


「ぼちぼち野宿の準備をしないとな」


 ゼネカは道から逸れると、その先に広がる林へと足を運んだ。

 

 落葉を終えた木々が寒々しい姿で居並ぶ枯れ木林は、色取りも寂しく、どちらを向いても代わり映えのしない景色が広がっている。

 鳥のさえずりも、虫の鳴き声も聞こえてこない。

 踏まれた落ち葉のひしゃげる乾いた音だけが、もの淋しい静寂にことさら響いていた。

 

 林の入り口が見えなくなった辺りで立ち止まったゼネカは、目深まぶかに被ったフードに手をやり、その下に隠れていた真っ白な髪をさらけ出す。

 頭を振って、ひんやりとした空気に髪を躍らせると、ふーっと息を吐き出した。

 髪ほどではないが色白の肌に銀色の瞳をしたゼネカの相貌は、殺風景な枯れ木林に妙に溶け込んでおり、どことなく儚げな印象を与える。

 そのまま静寂に身を浸すように、じっと佇んでいるゼネカの脳裏には――場の雰囲気に感化されたのか――久しく忘れていた過日のやり取りがよぎっていた。


(この世界に俺しかいないみたいだ。それはそれで気楽で良い――なんて事を言ったら、またあれに怒られるんだろうな。しかもその後は、お決まりの困ったような顔をするんだ。何を怒っているのか分からず、困っていたのはむしろ俺の方だったんだが)


 今思い返しても腑に落ちない――そんなふうに考えているわりには口元が緩んでいるのだが、当の本人は気付いていない。


(……なんで今になって、あれの事が頭に浮かんだのやら)


 胸中に湧いた、なんとも形容しがたい感情をゼネカが持て余したその時、ねっとりと絡みつく湿った風が頬を撫でていった。

 それまで弛緩していた空気が瞬時に凍てつき、林の奥を睨む銀色の瞳が極寒の凄みを帯びる。年の頃十五、六才の少年にしては不釣り合いな、かなりいびつなものであった。


「こんな所に? 一……いや、二体か?」


 再び歩き出したゼネカの足取りからは粗雑さが消え、何かを探るように集中しているのが伝わってくる。


 しばらく進むと、木々が避けるように開けた場所に男が一人立っていた。

 項垂うなだれた男の顔は真っ黒な髪に隠れ、両腕は無気力にだらりとぶら下がっている。


「これも縁……って、やつなのか?」

 

 木の陰から様子を窺っていたゼネカは頭をがしがしと掻くと、どこか煮え切らない顔で独りごちた。


 男の着る白い詰襟の服。その左胸に飾られた金色の十字架。

 それが、普段は関わりを極力持たないようにしている、とある組織のものだったからだ。

 だが、すぐに思案するだけ無駄と悟ったのか、諦めたように嘆息すると、気負った様子もなく男に近付き始めた。


 踏まれた落ち葉が鳴った分だけ距離が詰まり、男まであと数歩、といった所で再び足を止める。それまで微動だにしなかった男が、鎌首をもたげる蛇さながらに顔を持ち上げたのだ。

 土気色をした顔に並ぶ、白目の無い暗く濁った眼球にゼネカの姿が映り込む。

 口からは言葉にならない音を洩らしながら、男の両手が喉元を目掛けて這い上がってきた。

 

 それとほぼ同時に男の背後から駆け寄る影に気付いたゼネカは、動かそうとした右手をぴくりとさせただけでとどめる。

 乱入者は剣を抜きざま横薙ぎに一閃。

 ゼネカの鼻先を走って止まった剣が、ぬらりと煌めく。

 黒い塊が落ちて転がり、首とたもとを分かった体は両手をさまよわせながら、進路を譲ったゼネカとすれ違うようにして倒れ伏した。

 その背中には、乾いて変色した血の染みが広がっていた。


「一瞬の躊躇もなしか、容赦無いな」


 一部始終を眺めていたゼネカが、棘のある物言いと共に胡乱うろんげな眼差しを投げかける。

 その矛先、血振りした黒い剣を鞘に収めたのは、自身が斬った男と同じ白い隊服を纏う少年であった。


 鮮やかな朱色しゅいろをした、うねりのある癖の強い髪。

 その髪が夕陽にあおられて、まるで火の粉を舞わせて燃え盛る焔のように風に揺らいでいる。

 思わず我を忘れて見惚れてしまいそうな、いっそ幻想的ですらある光景にあって、髪色と同じあかい瞳がゼネカの不躾ぶしつけな眼差しを真っすぐに見返していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る