ⅩⅤ 「愚者」の一歩(2)

 また、さらにその翌日火曜。事件説明のために開かれた臨時の全校集会の後、一応、通常通りに再開された授業も浮ついたままに終わったその日の放課後……。


「――零、一緒に帰ろう?」


「ん……あ、ごめん。わたし、ちょっと用があるんだ。また明日ね!」


 夜には保護者説明会があるために部活もまた中止となり、暇になった生徒達がぼちぼちと帰り支度をし始めている中、声をかけてくれた珠子の誘いを断ると、早々に教室を出て行こうとする史郎・・の後を零は追いかける。


「零……」


「……あ、珠ちゃん」


 だが、心配そうな顔で見つめる心の友・珠子に、零は入口のドアの前で立ち止まると、不意に彼女の方を振り返る。


「わたしはもう大丈夫だから。心配いらないよ? それよりも、ここんところの騒ぎで湯追会長やお千代さんもいろんな意味で・・・・・・・大変でしょ? そっちのお世話してあげてよ。じゃ、そゆことで!」


 そして、笑顔でそう告げると踵を返して、再び廊下へと走り出て行く。


「……フゥ…零もなんだか成長したねえ……逆境は人を育てる…ってか?」


 そんな、少し大きくなったようにも見える零の小さな背中に、珠子はまるで姉か母親ででもあるかのように、人知れず優しげな笑みをその顔に浮かべていた。


「白アリスちゃん! 黒アリスちゃんを出して!」


 一方、廊下へ出た零は史郎・・の後姿を見つけると、駆け寄りながら彼の中の〝久郎〟に言葉をを投げかける。


「……黒アリス? 風生さん、前にも言われたけど、その白黒っていったいどういう…」


 その声に振り返ると怪訝な様子で小首を傾げ、眉根を「ハ」の字にして尋ねる史郎だったが。


「……だから、人のいる所でを呼び出すのはやめろ。存在を知られたくないと言ってるだろう? それに、その呼び方では、まるで俺の中の〝性悪な裏の顔〟を言い表しているみたいに聞こえるしな」


 その場に立ったまま、いつものようにカクン…と一瞬、項垂れると、久郎の冷徹な表情になってその顔を上げる。


 しかし、零の軽率な言動に対して文句をつけてはいるが、その名前の響きに対してのクレームは、むしろその通りのような気がすると零は思ったりなんかもする。自分でつけておいてなんだが、まさに言い得て妙である。


「そもそも、その〝アリスちゃん〟という呼び名からしてどうにあならないのか?」


「……あ、ちょっと待ってよ! あのさ、聞きたいことがあるんだけど……」


 不平を垂れるとそのまままた歩き出す久郎に、慌てて零も後を追うと、その横に並んでおそるおそる断りを入れる。


「なんだ? らしくもないな。用件があるんならとっとと言え」


「……あの、その……アリスちゃんはああなる・・・・ってこと、最初からわかってたの?」


 それは、ずっと怖くて訊けなかったことである。無論、彼自身が手を下したわけではないが、宍戸と亜乃が命を落とすというあの結末をもしも彼が知っていたのだとしたら……いや、それどころか、あれはすべて彼が仕組んだ筋書き通りだったとしたら……それは、久郎が二人を殺したのも同然である。


「いいや。当麻亜乃の行動は想定外だった。宍戸の刺殺も、彼女の自害もな……」


 だが、久郎は即答すると、零の不安をいい意味で完全に裏切るような答えを返してくれる。


「……ただ、宍戸も当麻も、少なくとも二人以上の人間を殺している。人を殺した者は、自分が誰かに殺されても文句は言えん。誰かを殺めた時点で〝人は人を殺してもいい〟という世界を選択してしまったのだからな。やつら二人の死という結果は、それ以上でもそれ以下でもない……自分達の作った因縁によるまっとうな報いだ」


 さらに続けて、久郎は前を向いたまま、あくまで淡々とした口調でそう付け加えた。


「報い……かぁ……」


 それを聞いて安堵した反面、彼の言うことは確かに正論かもしれないが、やはり遣り切れない思いを拭いきれないまま、零はしばし黙って久郎のとなりを歩く。


 そうして二人静かに校内を校門へと向かう途中、零達は奇遇にも、勝ち犬倶楽部のメンバーと思しき面々の姿を見かけることとなった。


「うううぅ~……なんか、全っ然ん、頭が働かなくなっちゃったよお~……まあ、勉強ぜんぜんしてないからあたりまえだけど、今度の数学の試験、どおしよお……このままじゃ赤点確実だよお~!」


 ギターケースを背負った清海緑が、頭を掻きむしりながら非常に困ったという顔で悲鳴を上げている。


「ああ、なんかすっげーだりぃ……俺、しばらく部活休むわ……」


「おい、だいじょぶかよ? ここんとこ顔色も悪いし、やっぱ練習しすぎだろ? いつかそうなると思ってたんだよなあ……」


 サッカー部の仲間と廊下を歩いて来た的午貞悟が、いつになく元気のない様子で歩くのもしんどいようにその友人に寄りかかっている。


 また、昇降口を出た所では……。


「おい、おまえ、二年壱組の知戸礼だな?」


「そ、そうっすが……何か……?」


 チャラ男の知戸礼が強面の三年生と思われる複数の男子生徒に囲まれている。


「俺の妹に随分とひでえことしてくれたみてえだな。昨日、おまえに殴られたって、泣きながら話してくれたよ」


「ちょっと、そこまでツラ貸してもらおうか……」


「ひいっ……ちょ、ちょっと待って……な、何かの間違いっすよ……あ、ちょ、ぼ、暴力反対っす…あああっ!た、助けてぇぇぇ~っ…!」


「待てぇ、ゴラぁっ!」


 暴力を振るったカノジョの兄とその友人達に追い駆けられ、知戸は情けない声をあげながら、どこか彼方へと全速力で逃げ去って行く……ま、この時期にまた暴力沙汰になりそうなので、学校側ももう少し治安維持に努めた方がいいと思うが……。


「ふむふむ……人に好かれる第一歩は、自分中心に世界が回ってるのではないと理解すること……か。ですが、この世界はわたくしを中心に回っているんですもの。困りましたわねえ……」


 さらに昇降口前の庭に置かれたベンチの上では、先日、退院してきた別当絵梨紗が『人からモテる方法』というハウツー本を熱心に読み耽り、誤解甚だしいコメントを呟きながらも今までにしたことのない努力を一応はしている。


 皆、久郎に記憶を消されて勝ち犬倶楽部のことは憶えていないだろうが、これが久郎の言っていた本来あるべき自然な報いというやつなのだろう……。


「そういえば、どうしてわたしの記憶だけは消さなかったの?」


 そんな元メンバー達の姿をなにげなく眺めていて、ふと疑問に捉われた零はそのことを久郎に尋ねてみた。


 とりあえずそのつもりはないとはいえ、零が誰かに事件の真相を話す可能性だってあるわけだし、彼としてもその方が都合いいはずである。


「ああ、そのことか。ま、他のやつら同様、無論、そうした方が手っ取り早かったんだが……なんとなく、おまえの記憶まで奪うのは少々不自然に感じたんでな。因果に反するというか、自ら進んで首を突っ込んで来たわけだし……勝ち犬のメンバーと違って、このまま放っておいてもそれほど害はなさそうだしな……」


 その問いに、久郎は零の方を見ないまま、目を細めて何か思案するようにそう答える。


「まあ、おまえにとってはむしろ酷だと思うがな……記憶を消してほしかったか?」


「ううん。先輩の亡くなったこととか、当麻さんのこととか……確かに辛くないっていうと嘘になるけど、やっぱり知らないよりは真実を知っておきたいし……」


 そして、横目でチラと冷徹な視線だけを向けて尋ねる久郎に、零は淋しげな笑みを浮かべながら、その首を横に振ってみせた。


「おまえのことだ。きっとそう言うと思っていた……なんせ、おまえは〝愚者〟だからな」


「あ、ひどーい! また愚者って言ったあ!」


 すると、そんな彼女をまたも〝愚者〟扱いするデリカシーのない久郎に、零は一転、プンスカ頬を膨らませて真っ赤な顔で怒る。


「いや、バカにしてるわけじゃない…ま、愚か者という意味も多少は込めていたりするが……ほら、これだ」


 だが、ポカポカ殴りかかりそうな勢いの零を久郎は手で制すると、何やら絵の描かれたトランプカード大のものを一枚、ブレザーのポケットから取り出して彼女に見せる。


「こいつはタロットの大アルカナの0番フール……つまり〝愚者〟だ」


「愚者? ……確かに、なんか、なんも考えてなさそうな人だけど……」


 零が覗くと、そこには燦々と輝く太陽の下、左手に一輪の白い花を持ち、右手には荷物を引っかけた棒を担ぐ花柄の服の若い男が、足元に白い犬を一匹従え、今にも切り立った崖の縁から楽しそうに一歩を踏み出そうとしている。


「タロットにおけるこのカードの意味は自由、無邪気、天真爛漫、可能性、発想力……魔術カテゴリでは無の境地、また指導者である〝隠者ハーミット〟と合わせて、魔術を学ぶ魔術師見習いをも表す。何ものも恐れず、真理を求めて道を突き進む……この絵のように、やはりおまえは〝愚者〟そのものだ」


 怪訝な顔でカードを見つめる零に、久郎は愉快そうに口元を歪めながらそう説明をする。


「あ、愚者ってそういう意味だったんだぁ……って、もしかして、あたしのこと褒めてる? ねえ、褒めてる?」


「べ、別に褒めてるわけではない。ただ、真実を客観的に言っているまでだ。他意はない。それに、このカードの逆位置では夢想や愚行という意味もあるしな」


 ところが、予想外にもうれしそうに目を輝かせ、思いの外に激しく零が食いついてきたものだから、久郎は照れ隠しにか? そう補足説明を加えると慌てて誤魔化そうとする。


「ああ~……ひょっとして、慰めてくれてたりもする?」


「慰めてなどいない! だから他意はないと言っているだろ! さあ、用がすんだんなら俺はもう帰るぞ? ヤツらがいなくなった今、放課後こそこそ残ってすることもないしな」


 さらに、そんな久郎のそこはかとない気遣いをからかうように零が突っつくと、よりいっそういつにない慌てっぷりで、久郎は強引に彼女との話を切り上げた。


 気がつくと、二人はもう校門の前まで到り着き、そこで足を止めて立ち話をしている。その傍らをやはり下校する生徒達が、ワイワイと騒ぎながら途切れることなく通り過ぎて行く。


「そっか。わんこのクラブもなくなっちゃったもんね……そういえば、これからどうするの? もしかして……東京の学校に戻っちゃうつもり?」


 久郎の言葉に、零はふと、そのことを思い出して不安そうに尋ねる。


 久郎がこの辰本に来たそもそもの目的は、勝ち犬倶楽部を潰すことだったはずである。それも彼の手によって見事壊滅し、その存在した記憶を持つ者ですら自分と零の二人以外誰一人としていなくなった今、もう久郎がこの場所に留まっている理由は何もないのだ。


「いや。そうそう転校ばかりもできんしな。借りてるマンションの契約もあるし、もうしばらくはこっちにいるつもりだ」


「え……」


 だが、また新たな別れを予感しながら淋しい顔でその答えを待っていた零に、久郎は意外な言葉を口にしてくれる。


「それに、宍戸が最後に言っていたことも気になる」


「先輩が、最後に言ってたこと?」


「ああ。ヤツは〝この辰本の地はなぜか魔術師を呼び寄せる〟と言っていた。ヤツが実際何を知っていたのか? それは今となっては知る由もないが、この地は大地溝帯フォッサマグナ――巨大な〝龍脈〟の通る土地だ。〝龍脈〟とは地熱とか地磁気とか、そういったエネルギーの流れ……それは生物の肉体と精神に大きな影響を及ぼす。カテゴリ〝スター〟も〝気〟に関する魔術であるし、魔術師にとっては確かに魅力的な土地ではある。今後も勝ち犬倶楽部のような因果を魔術で歪める輩が現れんとも限らんしな。網を張るにも好都合だ」


「そっか……とにかく、まだここにいるんだね!」


 今日も久郎の語る話は小難しく、その言っていることの半分もよくは理解できなかったが、ともかくも彼が東京に帰ってしまわないとわかり、零はとてもうれしそうにとびっきりの笑顔を久郎に向かって浮かべてみせる。


「うっ……今の話、ちゃんと理解したか?」


 その眩しい程のカワイらしい笑顔にちょびっと怯みつつ、その反応を隠そうとするかのように久郎は尋ねる。


「そうだ! そいえば、アリスちゃんの歓迎会をまだやってなかったね! じゃ、改めまして、これから歓迎会代わりになんか食べ行こう! 歓迎会だからあたし奢るよ? 何がいい?」


 だが、零は急に思いついたらしく、はしゃいだ声でそう言いながら久郎の言葉を無視すると、跳ねるように校門を一歩外に出て、くるりと彼の方を振り返る。


「別にそんな会は開いてくれんでもいいが……そうだな。じゃ、なんかうまい和菓子がいい。おはぎとか練り切りとか春らしく道明寺とか……ああ、またあの辰本名物のりんご団子でもいいぞ?」


 零に続いて久郎も校門を出ると、夕焼けを始めた空を見上げながら、思案している様子でそう答える。


「また~? アリスちゃん、ほんと和菓子好きだね。特にあんこ系。魔術師なのに超甘党なんだから」


「悪いか? 別にいいだろ。糖分は脳に不可欠だからな。思考を助けるんだ……というか、魔術師関係ないだろ?」


 校門から続く街路に植わる桜の木々も早や花の季節を終えようとしており、淡いピンクの花弁はなびらを春の暖かな風の中にひらひらと散らしている。


「ええ~関係あるよお。魔術師って、なんかこう火を噴くような辛いものとか、すっごく苦い薬草とか……そういうの大好きな感じ?」


「それはおまえの勝手なイメージだ」


 そんな桃色のドットが散りばめられた夕暮れ少し前の道を、零と久郎は他愛のない論争を繰り広げながら歩いて行く。


「でも、イメージって魔術では重要なんでしょ? カテゴリ〝隠者ハーミット〟だか〝パワー〟だかとかとか」


「まあ、それはそうだが……って、おまえ、じつは案外物憶えいいな……」


 そうして、いつの間にやら友達になった本物の・・・・魔術師のとなりに並び、何かまた新しいことが始まりそうな予感を心のどこかで感じながら、零はあの〝愚者〟の絵の人物のように、意気揚々とこの世界へ一歩を踏み出した。


(魔術師達の信仰告白コンフェッシオン 了)

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