Ⅰ 「魔術師」に遇った日

Ⅰ 「魔術師」に遇った日(1)

 本州の中央に位置する、北アルプス山脈を望む風娘明媚な一地方都市・辰本たつもと市――。


 それは春休みも明日で終わりだというのに、この標高の高い町ではまだまだ寒さを肌に感じる、ある春の日の夕暮時のことだった……。


 カランカラ~ン……パン! パン! と、静かな境内に反響する真鍮の鈴と柏手の音。


「――神さま、お願いします! どうか今年こそは宍戸ししど先輩との距離が縮まりますように!」


 この春で開慧かいえい高校の二年生となる風生零ふりゅうれいは、古びた社殿に向かって独り熱心に手を合わせていた。


 すでに日は大きく傾き、境内を覆う木々の間から零れたオレンジ色の夕陽が、彼女の右前髪だけを縛ったショートボブや、まだ幼さの残るそのロリ顔を金色こんじきに染め上げている。


 もとより神職も常駐していない小さな山の中の社。このような時刻に彼女以外の人影はなく、静かな境内に聞こえるは風に揺れる木々のざわめきと、あとは時折、飛んでゆくカラスの鳴き声くらいの、なんとももの寂しい場所である。


 苔生した石鳥居の脇に立つ朽ちた説明板によれば、どうやら〝三峰みつみね神社〟というニホンオオカミを神の使いとする神社の系統らしく、そのためか狛犬の代りに狼っぽい石造が二体、社殿の左右を守っているのではあるが……その鋭い眼差しと牙の生えた口がこちらを威嚇しているようにも見えて、守られているどころか、よりいっそうの不安感を参詣者に与えている。


 それにしても、小柄で胸も発展途上であり、ライム地の花柄カーデガンに茶のキュロットと緑のレギンスといった、出で立ちもお子さまなロリータ女子高生が、どうしてこんな人気のない淋しい場所に独りでいるかといえば、それはこの大噛おおかみ神社に関する耳寄りな都市伝説を彼女が小耳に挟んだからであった。


 そもそもの発端は今日の昼、クラスメイトで親友の二荒澤珠子ふたらさわたまことともに映画を見に行き、その後、駅前のファストフード店〝マギ・ドルイド〟で遅めの昼食をとっていた時のことである――。




「――まあ、アングラでは密かな注目株の都市伝説〝黒マント〟を題材にしたとこまではよかったんだけどねえ……でも、〝黒マント〟がじつは人喰い鬼で、学生服っぽいの着た黒マント抹殺隊が出てくるとか、もう完全に便乗商売のパクリでしょう? 〝赤マント〟のパロディ的に時代設定を昭和初期にしたのもまあ、わからなくはないけどさあ、あれだって大正時代に寄せるためだってのが見え見えだっつーの!」


 テーブルを挟んで零の前に座る、モスグリーンのモッズコートを着た触角付き・・・・黒髪ツインテールの少女――珠子が、期間限定販売の〝さくら餅バーガー〟を手にしたまま、渋い顔でずっと文句をたらたら垂れ流している。


「あたしとしてはさあ、もっとこう、実際の〝黒マント〟のウワサを扱った作品を期待してたのにさあ……それか昭和設定なら、せめて〝赤マント〟モデルの話にすべきでしょう!? それになに? このパクリを隠す気もないようなサブタイトル!」


 都市伝説好きの親友はさらに続けながら、憤りに任せて『黒マントの修羅場~有限会社変~』と記されたチケットの半券を卓上に放り投げる。


 彼女がいたく憤慨しているのは、今しがた零とともに見て来たばかりの、その〝黒マント〟という都市伝説をモチーフにしたB級ホラー映画に対してのものである。


 〝黒マント〟――それは、近頃、ネット界隈でまことしやかに囁かれている怪人のウワサで、真っ黒いマントを羽織った黒尽くめの格好をしており、運悪くそれに出会った者は命を奪われるという、一種、〝死神〟のような存在だ。


「道理に反した悪人が狙われる…」というように、悪い子への戒め・・脅し・・みたいな感じで語られることもあり、その象徴的な恰好から、昭和初期に流行した有名な都市伝説〝赤マント〟をもじって、そう呼ばれるようになったらしい……。


「これは全国の都市伝説ファンを敵に回したね。もう、大炎上だよ! 大炎上! ……て、零! ちょっと話聞いてる!?」


 だが、独り怒る珠子を他所よそに、零はどこか遠い目をして自分の世界に入ってしまっている様子である。


「……え? ああ、うん。聞いてるよ……そうだよねえ。きっと二人の恋は燃え上がるよねえ……」


「はあ? 恋? ……やっぱ聞いてないじゃん! てか、どしたの? さっきからぼおーっとしちゃって?」


 一応、反応はしたものの、やはりトンチンカンな答えを返してくる零に、珠子は眉間に皺を寄せて再び訊き返す。


「……んん? いやあ、なんかさあ、もう春だし、何か恋の花咲くようなアクシデントでも起きないかなあ…って、ふと思っちゃって。特にこんな映画見た後だとねえ……」


 虚ろげな表情でそう答えた零は、今さっき、珠子がテーブルの上へ投げ捨てた半券へとそのアンニュイな視線を落とす。


「…………はあ!? これ、ロマンスとかじゃなくて一応、ホラーだよ? しかも、むしろギャクか! って感じなふざけた設定の。誘ったあたしですら見に行ったことを後悔してるくらいの超B級クソ作品だよ? なのに、なんでこれ見てそんなロマンチックな気持ちになれるわけ? あたしはあんたの親友だけど、その感覚だけは理解できないよ!」


 一瞬の沈黙の後、そうした零の発言に対して珠子は目を最大限に見開くと、唾を飛ばすくらいの勢いで声を荒げて驚きを露わにする。


「えええ~…だって、黒マントから逃げる内に主人公とヒロインがどんどん仲良くなってって、けっきょく最後には結ばれるじゃん。あたしの身の上にもこんな風に、なんかラブラブになるような一大事件でも起こらないかな~…とか思ってさ」


 だが、驚愕する珠子に対して、零はさも当然というように恋する乙女な憂いをその瞳に湛えて付け加えた。


「あ~あ、そういうこと。またなんともベタな展開だけど、つまりそんなインパクトあるアクシデントでも起きない限り、宍戸先輩との距離をこれ以上縮められないってわけね……夏祭り、クリスマス、バレンタインデーその他諸々…確かにこの一年、すべてのイベントをまったくなんの展開もなく、おもしろいくらいに完全スルーして今まできたからねえ……ま、全部、積極性にかける零自身が原因なんだけど」


 零の説明に、珠子は以前より聞き及んでいる彼女の片思いについての話だと理解をし、フレンチ・フライを指先で弄びながら少々呆れ気味にそう答える。


「それは重々わかってるんだけどさあ~……だって、あたしなんて先輩の眼中にすら入ってないんだもん。あたし、先輩のタイプじゃないし、美人でもないし、チビっ子だし、胸もないし……」


「でも、待ってても何も始まらないよ? もうさ、いっそのことサプライズ的に告白しちゃえば? そんならインパクトあるし」


 夢心地な妄想から一転、脱力してテーブルに上体を倒し、ブツブツと言い訳をする零に向かって、珠子はまるで他人事な感じでさらっととんでもない提案をしてくれる。


「そんなの無理だよぉ~。一撃でもう轟沈だよぉぉ~。まったく先輩の気を惹く要素が皆無な上に関係性すらほぼないに等しいんだからぁ……かといって、生徒会に入るほどの能力も信念もないし。あたしなんて、今年もクラスの風紀委員にでも立候補して、ほんのわずかでも先輩と時間を共有できることにささやかな幸せを見つけることぐらいが関の山なんだよおぉぉ……」


「なに? その電柱の影から憧れの殿方を見守る乙女のような消極的スタンスは……あ! じゃあさ、あれやってみたら? あれ」


「あれ? ……ってどれ?」

 

 その控え目にもほどがある態度に呆れつつも、何かを思いついて珠子が明るい声を上げると、零はテーブルにうつ伏せたまま、顔だけを少し上げて彼女に尋ねる。


「ほら、大噛神社にまつわる都市伝説だよ! いぬの日の日暮れ時、誰にも知られずにお参りに行くと必ず願いがかなうっていう」


「ああ、あの学校の近くの山の中にある小さな神社の……」


 珠子の言葉に、なんか、そんなようなウワサがあることを零も思い出した。詳しくは知らないが、ゴシップ通の珠子に限らず、開慧高校の生徒ならば、だいたいみんな知っている有名な話だ。


「そう! お参りに行くと魔犬が現れるっていうあれだよ! その魔犬を手なづけることができれば願いはかなうって云われてるね。でも、もしその魔犬に気に入られなければ、その場で食い殺されちゃうっていう、じつはちょっと怖い話でもあったりなんかしたり……だから、いくら願いがかなうっつっても、誰も試そうとはしないんだよねえ……なんでも以前、それを確かめに行くって出てったっきり、そのままいなくなった人がいたとかいないとか……」


「ええっ!? ……それ、ほんとなの?」


 ひどく顔を蒼褪めさせ、いたく真面目な声で語る珠子の口調に、思わず零も上体を起こすとその話に食いつく。


「ニャハ! ま、実際に魔犬に遭ったっていう人の話は聞いたことないけどね。でも、試した人はみんな食べられちゃってるから誰も話す人いないのかもしれないし、たとえ魔犬が出なくたって、ただでさえあんな淋しい場所、夕方一人っきりで行くってだけでかなりの勇気いるからね。それだけでも、みんな試す気にはならないんだよ。この好奇心旺盛なあたしでさえ、ガチに戌の日の夕方行くのはちょっと遠慮するもん」


 だが、珠子は不意に表情を崩して愉快そうに笑うと、そう自分の解釈を語ってそのオチを付け足した。


「なんだあ~……もう、珠ちゃんが真剣な顔して言うから信じちゃったよお……ところで、そのイヌの日ってなに? わんこの記念日かなんか?」


 珠子の浮かべた笑顔に、けっこうガチで信じてしまっていた零は眉を「ハ」の字にして再び脱力すると、わからなかったそのワードについて尋ねてみる。


「ああ、それね。戌の日ってのは〝干支えと〟だよ。干支」


「エト? ……えっと……」


「ハァ…もうこれだから近頃の若い娘は……子年とか丑年とかあるでしょ? ま、あれは正確にいうと干支の内の十二支の方だけなんだけどね。ほんとはあれにきのえとかきのととか十干じっかんっていう十種類の分類がくっ付いて計六十種類の組み合わせになるんだよ。それが年だけじゃなく月や日毎にも決零られてて、〝戌の日〟ってのもあるってわけ。例えば甲戌きのえいぬの日とか乙戌きのといぬの日とかね」


 干支と聞いてもピンとこず、小首を傾げる零に対して、珠子はなんだか年寄りのような口振りでどこか物知り顔に説明をする。


「へえ~そうなんだぁ……さすが、珠ちゃん。なんでも知ってるねぇ」


「フフン。まあ、専門外だけど、あたし、占いとかもそれなりに好きだからねえ~」


「あ、じゃあさ、今日はなんの日なの?」


「ん? ああ、ちょっと待ってて。今調べるから……」


 零よりは多少だがある・・胸を張り、得意げに鼻を鳴らす珠子に零が思い付きで尋ねると、彼女はポケットからモスグリーンのスマホを取り出し、東洋系の占いに重宝する干支や二十四節季などの入ったカレンダーアプリを立ち上げた。


「どれどれぇ……あ! 奇遇にも今日が戌の日だよ! 丙戌ひのえいぬだね」


 そして、しばらく画面を見やった後、意外なその偶然に若干驚きながらそう答える。


「ってことは、今日、その大噛神社にお参りに行けば、願いがかなうかもしれないってこと!?」


「んま、都市伝説どおりに魔犬が現れればね。しかも、その魔犬に気に入られなきゃ、こんな風にガブっと食べられちゃうんだけどね……はむっ…」


 今日がその日だと知り、先程の話の都合よいとこだけを思い出して零が明るい声を上げると、珠子はそう断ってから、先程来おあづけを食らっていた〝さくら餅バーガー〟に思いっ切りかぶりついた。


「…もごもご……ふむ。この仄かに感じる桜の香りがなかなか……ごくん…っーわけで、参考までにそういう奥の手もあるって話だよ。もっとも、そんな勇気いることできるくらいなら、もうすでにもっと積極的なアクション起してるだろうけどね……仕方ない。ここはこの情報通の珠子さんが一肌脱いで、なんか宍戸先輩に関する耳寄りな情報ゲットし次第、教えてあげるよ。だから、そうクヨクヨせずに青春を謳歌しなさいって、はむっ…」


 その春季限定新商品の味を堪能しつつ、珠子は彼女なりの言葉で零を励ますと、再び桜の葉の巻かれたハンバーガーに狼のような大口でかぶりつく。


「大噛神社かあ……」


 だが、当の本人にはその言葉も耳には入らず、窓の外へ視線とともに向けられた零の意識は、もうすでに別のところへと飛んで行っていた――。


※挿絵↓

https://kakuyomu.jp/users/HiranakaNagon/news/16817330667903156840

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