春の憂鬱

和泉ゆり

閃きは彼方 

 カネコアヤノが新しい新曲を出した。「閃きは彼方」。ロンドンに留学中も彼女の音楽にはひどく救われた。当時の日記を読むと、どれだけの虚無を引っ提げて一人日本を出ていったのかが分かる。ボロボロの状態の23歳だった。何がというわけではない。何となく嫌な事とか、寂しさとか、人恋しさ、自意識、他人との比較とかそんなものから自分ががんじがらめにされていて、それが嫌で海外に逃げたはずなのに。何かを大きく変えたくて、自分に何か変化があるんじゃないか、生まれ変わった自分に出会えるのではないかなどと淡い期待を抱いて逃げ出した。その当時私は身軽で、失うものなんか何もなくてお金も、何でも話せるような友人もなかった。家族が支えてくれていたことはありがたかったが、欲張りの私は、家族からの愛だけでは埋められない何かがあり、それがずっとずっと埋まらず、何か適当なもので埋めようとしてもかえってその虚無みたいなものが輪郭を帯びてしまい、傷がどんどん深くなっていった。映画や音楽、小説に救いを求めるしかなかった。祈りみたいに様々な作品に触れていた。そうすることでしか自分を保つことが出来なかった。自分のことを誰にも話すことが出来ない代わりに、芸術作品に自分が欲しい言葉や表現を求めていく日々はほんのりと幸せでもあり、この辛い何かを経験している自分だからこそ、芸術作品が毛穴から染み渡るように感じられるのだなとも思っていた。


 ツイッターの検索履歴には、27で死にたい、30で死にたい、死にたい、カネコアヤノ。春を感じる何ともいえないこの2、3月がどうも苦手だ。気温が上がって、花がきれいに咲き始めるのは好きなのに、4月という変化が起こる時期の直前が苦手なのだ。特に今年2021年の4月からは社会人になってしまう。もうこの世の終わり。逃げ続けてきたけれどついに囚われてしまった。夢だった仕事に就けたのに、始まる前からもう絶望している私に自分でもあきれてしまうが、これが本当の気持ちなんだと思う。怖い。昨年の2020年の春は新型コロナウイルスで世間が騒ぎ始めた頃。中国から日本にウイルスが入ってきて、なんとなく他人事だった。去年は私にとっては生きやすい一年だった気がする。人と会わなくてよい、会わないことが求められる世の中。時間の流れがいつもよりも早く感じたのは、人との関わりが減って自分の時間が増えたからだろうか。去年の緊急事態宣言中も、今現在出されている緊急事態宣言も名前は同じでも感覚としては全く異なる。


 春が近づいて怖い。会いたい人には会いたい。

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春の憂鬱 和泉ゆり @toumei10

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