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執務室に響くはペンを走らせる音。必要以上の照明は付けられてなく、彼の周辺だけが明るい。宛てられた部屋の広さの割に所属人数は少なく、いつもこの部屋は肌寒かった。
もう日も落ちてからだいぶ経つ。この詰所には他に誰も居ない。守衛門に交代で1人2人居るくらいだ。この建物は然程大きくはない。名称を示す札もなく外から見ると何の施設かわからないこの建物だが、とりあえず何らかの軍事施設だろうと言うのが周囲の見解だった。小さい故にちょっとした研究施設か保管庫だと思われているのであろう。
ここは『東方』と名付いておきながら東方にあらず。所詮、名称や外観なんてどうだって構わないモノ。彼等にとって重要なのは任された仕事を完遂する事のみ。
彼の目の前にある書類は、今現在存在する仕事が終わったら使う物。誰にも文句は言わせない、それが出来る書類。
ずっと…と言うのは無理だと理解しているが、自由にさせた分くらいはこちらで仕事をして貰うつもりだった。 数日後の日付を入れ、内容を改めて確認する。下方に2つ存在する記名欄の内、上側に自身の名前を記入した。あとは相手方の名前を記名して貰えばこの書類の効力が発生する。
一旦オフィスチェアから立ち上がると備品のキャビネットから大判の封筒を取り出した。それに書類を納めるとしっかりと封緘し、印を施す。
──丁度良い仕事が来たものだ。
デスクの引き出しから1冊のファイルを出すと、それを広げる。建物の図面や近隣の地図、ターゲット及び関係者の詳細、それらが納められていた。 そこへ潜入する為に、今回ある部署を利用する事に決めた。利用する事により、本来のターゲットが自発的にこちらへ来る様に仕向けた。本来のターゲットにとって、シュタールの存在は無視出来る筈がない。その為に、今回部下が滅多に曝さない姿を曝した。
コンコン…と、されたノックのあとにドアが開く。入って来たのは部下であり同僚でもある女性。勿論、彼にとってはそれだけではない。
「ただいま」
「おかえり、スミ。手筈は?」
「問題なし」
「アイゼンはやれそうか?」
出て来た名前に少し嫌そうな顔をしたのは菫だった。持っていた薄手のファイルを乱雑にデスクへ叩き付ける様に放った。
「そんなにアイ君が心配?」
「あまりにも向こうの居心地が良さそうだからさ」
「シュタールはアイ君の事ばかり」
「まぁ、弟だからな」
ふてくさった様な表情をする菫を強引に引き寄せる。デスク越しとは言え、菫の腕を更に引き自身の唇を菫の耳元へと付ける。
「だが所詮は弟だ」
心地よい低さのシュタールの声が菫に響く。
「上層部の考える事にいちいち付き合っていたら疲れる。わかっているのは、あいつが裏に向いていると言う事」
──そうなる様に仕向けたからな。
「ここは『東方』と名付いていながら東方にあらず。ここが裏を専門に扱う特殊部隊なのはスミだって知っている筈だ」
「だから私達は一般的な軍部の仕事はしない」
「反面中央の6小隊は『表向き』の特殊部隊だ。技術を身に付ける通過部隊と言っておきながら、構成メンバーを変えるつもりもない。あれが『壁』になり我々を隠すからこちらの仕事がやり易くなる。…とは言え、6隊は我々の壁になっている事すらまだ知らない」
指先を振り、菫をデスクのこちら側へと呼ぶ。ちょっとばかり程度の良いオフィスチェアを横に向け、菫を受け入れる。動き辛い筈のタイトスカートで、シュタールの腿に乗り上げると、黒いシャツを纏った腕をシュタールの首筋に絡めた。
「上層部は父さんの年齢を口実に、既存の『表向き』を2年前に切って、6小隊を『表向き』にした。…と言うより、そうさせた。それは父さんの意向もある」
「アイ君が本格的に軍属になるから?」
「…アレスの名を持つ者はその名の通り本来は残虐だ。ひと度仕事になれば非常な振る舞いを平気でとる。表よりも裏に向く。だがアイゼンがここへすぐに来るとは思わなかった。俺がアイゼンの我儘を許容したから。その為に準備期間が必要だった」
シュタールの右手が菫の頭をそっと撫でる。
「スミだってもう染まっているだろ?」
「…そうね。ずっとシュタールと居たから」
「これからも居る気だろ?」
「…当然よ」
菫の顔がシュタールの肩口に埋まる様に触れた。上着を羽織っていない菫はここの肌寒さに小さく震えていた。
「スミ、ここは寒い。もう帰るぞ」
先に菫を立たせ、自分も席を立つ。シュタールは自分が羽織っていた軍服の上着を菫に着させると、デスクの上の封書をロック付きのキャビネットを納めた。ロックもきちんと掛け、筆記具も所定の場所へと仕舞う。
菫を伴い執務室を出ると、ドアにも鍵を掛け詰所をあとにした。
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アイゼンが6小隊を離脱するまであと数日。
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2020/03/16
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