第14話 負けヒロインはアイドル⑥

 今日は、瑠羽のドーム公演当日。


 開場時間よりもずいぶんと早く、俺は会場近くの人気のない公園にいた。




 ……というのも、瑠羽から呼び出しを受けていたからだった。


 俺が公園に行くと、瑠羽は珍しく先に着いていた。


 ジャンパーを着て、フードを被った瑠羽は、滑り台の上で体育座りをしていた。




 ――どうして君たちヒロインは、そんなに滑り台が好きなのか、誰か教えてくれないか?


 俺は首を傾げつつ、滑り台の近くまで歩み寄り、彼女に声を掛けた。




「愛堂、どうしたの?」




「あ、来てくれたんだ。ごめんね、呼び出しちゃって」




 俺の呼びかけに気づいた瑠羽は、滑り台を滑り降りた。


 そして、俺の目前に立ってから上目遣いにこちらを覗き込んで言う。




「うん。ライブ前に少しだけ時間取れたから。……ちょっと話したいなって思って」




「話って、何を?」




 俺の言葉に、瑠羽の瞳は揺れる。




「……何でも! どんな話でも良いんだよね。気晴らしがしたいだけだったから」




「緊張してるんだ」




 俺の言葉に、瑠羽は苦笑する。




「流石に、ドームでのライブは今回が初めてだから。緊張するんだよね」




「……瑠羽は、凄いな」




「全然。すごくなんてないよ。……今も、失敗することを考えちゃって。どうしても緊張も不安もする。これまでは何とかダンスも歌も、上手くやってこられたけど、今日も上手くできるとは、限らないし。……だからこうやって、君と話をして、気分を紛らわせたかったの。こんな風に頼れるのは、君だけだしね」




 暗い表情を隠しもせずに、瑠羽は弱音を吐いた。




「やっぱり凄いよ」




 俺の言葉に、瑠羽は弱々しく笑う。




「ありがと、気休めでも嬉しいよ」




「気休めなんかじゃない。愛堂は、いつだって不安や緊張と戦って、それを押し殺して。ステージ上で笑顔を浮かべ、それを見た沢山の人を笑顔にさせている」




「それは……私は、ファンの皆の笑顔を見るのが好きだから。なんとか出来てるのかも」




「俺も、今日は楽しみにしてる。歌もダンスもMCも。上手くできなくっても良いから……」




 俺の言葉に、不審そうに、瑠羽は俺を見る。


 彼女をまっすぐに見つめて、俺は言う。




「俺は、愛堂の最高の笑顔を見たい」




 俺が言うと、瑠羽はキョトンとした表情を浮かべてから、「な、何言ってるんだよ!」と慌てた様子で、顔を真っ赤に染めた。


 それから、俺をじっくりと見てから、




「君ってばすっかり私のファンの鑑だね」




 と、揶揄うように言った。


 俺はその言葉に「そうなのかも」と頷いて応える。


 瑠羽はそれから、




「よしっ! 熱心なファンのおかげで、不安も大分和らいだよ。私、会場に戻る。……楽しみにしててね、ライブ」




 そう言って、立ち去ろうとした時。




「瑠羽ちゃん……その男は、誰なの?」




 低い声が耳に届いた。


 見ると、そこには様子のおかしな男がいた。


 瑠羽はその男を見て、驚いたような表情を浮かべた。




「えーっと、スネイクマンさんだよね!? 今日もライブに来てくれたんだ、嬉しいよっ! この人は、さっき偶然会った、私のファンの人! ちょっとお話をしてたんだ」




 男は、瑠羽の追っかけだ。


 握手会にも頻繁に来ているため、瑠羽も彼のことを知っているのだ。


 俺と一緒にいたのを見られて、まずいと思ったのだろう。


 瑠羽は取り繕うように言った。




「嘘だっ!」




 男スネイクマンは大声で否定の言葉を叫ぶ。




「その男とは、先週飲食店で、その前はカラオケで一緒にいたくせに! どうして嘘を吐くの……? 瑠羽ちゃんは天使みたいな女の子で、優しくて、笑顔が可愛くて、誰よりもファンを大事にする、アイドルなのに」




「え、いや……落ち着いて?」




 瑠羽はまくし立てる男に対して不安そうにそう言うが、




「ファンを裏切るなんて、瑠羽ちゃんは堕天したんだ! 」




 彼には一切、瑠羽の言葉が通じていない。


 男は憤り……カバンから、ナイフを取り出した。




「ちょ、ちょっと待ってよ。落ち着いて私の話を聞いて!」




「うるさい、うるさい、うるさい! もう黙れよ、クソ女!」




 そう叫んだ男は、ナイフを構えて、ツッコんできた。


 瑠羽は、恐怖で足が動かないようだ。




「危ないっ!」




 俺は瑠羽を突き飛ばして、彼女と男の間に立ちはだかった。


 そして――振り下ろされたナイフは、俺の腕を切りつけた。


 鋭い痛みに眉をしかめるが、気にせず俺は彼の腹を蹴りつけた。


 尻餅をついて倒れた男は、手からナイフを離していた。




「クソッ! 邪魔しやがって、クソックソクソッ!」




 俺を睨みながら、男は悪態を吐いた。


 放り出されたナイフを男が拾わないように、俺は踏みつけた。




「ああ、クソ……クソ!」




 男は動揺を浮かべた。


 武器が無くなったことと……今更ながら、自分の犯行を見て怖くなったのというのもあるだろう。


 彼は本来の目的だった瑠羽には危害を加えないまま、公園から逃げ去っていった。




「嘘、そんな……いやぁっ!」




 瑠羽は俺に駆け寄り、涙を目尻に溜めながら縋りついてきた。


 俺は痛みを我慢しながら、瑠羽に向かって言う。




「落ち着いて。傷はそんなに深くないから」




 俺は瑠羽に向かってそう言う。




「でも……」




「興奮してるからか、痛みもそんなにないし。大丈夫だよ」




 俺は掌を握ったり広げたりして見せる。


 問題なく動いて、俺自身ホッとした。




「バカッ! バカ、バカ! 無茶しないでよ……君が死んじゃったら、私は――」




 辛そうに、瑠羽は言う。


 申し訳なく思う。


 俺がこのイベントで怪我を負うことは、織り込み済みだった。




 先週、瑠羽とランチを食べ終え、店を出た時の嫌な視線が、あの男のものだと俺は知っていた。


 公人と付き合えないまま、彼にデート現場を目撃されるのが、前ルートではフラグだった。 




 そして、死亡フラグが立った瑠羽は――奴に刺されて死ぬことになる。


 本来、このイベントが起こるのはもっと先の出来事のはずだが、俺が強引に攻略を進めたため、このタイミングでイベントが起こったのだろう。




 ある程度準備をすれば、無傷でやり過ごすこともできただろうが……そうしなかったのには理由がある。


 このイベントで、『危険を省みずに瑠羽を救った』という、強烈なインパクトを残したかったからだ。 




「死なないよ。愛堂のライブ、見なくちゃいけないんだから」




 白々しくも、俺は瑠羽にそう告げた。


 しかし、命がけで助けられたと思っている瑠羽は、俺の言葉を聞いて顔を真っ赤にした。




「ホントにバカッ!」




 瑠羽は、今にも俺に抱き着いてきそうな様子だ。




「せっかくここまで身体張ったんだから。ちゃんと、最高の笑顔を見させてくれるよね?」




 俺の言葉に、瑠羽はコクリと頷いた。


 それか、潤んだ瞳で真直ぐに俺を見つめてから、言う。






「今日は……君のためだけに、歌います」








「いや、それは止めて」




 俺が即答すると、瑠羽は露骨にショックを受けた様子で、口をポカンと開いた。


 言葉が足らず、誤解を与えてしまったようだ。




「天塚瑠羽は、皆のアイドルだから。ファンの皆の前に立つ時は、特定の誰かのためじゃなく、皆のために歌ってほしい」




 俺の言葉に、瑠羽は納得していない。


「でもっ!」と言って、俺をまっすぐに見てきた。


 俺は、彼女が何かを続けて言う前に、口を開いた。




「でも。……初めて屋上で会ったあの時みたいに、愛堂瑠羽の歌を俺だけに聞かせてもらっても良いかな?」




 俺の言葉に、瑠羽は驚いたような表情を浮かべる。


 それから――あからさまに喜んだ様子で、頬を紅潮させる。




「うん、今回も、その次も……これからずっと! 君にはいつだって最高の笑顔を見せるって、約束するよ!」




 瑠羽は最高の笑顔を浮かべながらそう言った。


 俺は彼女の言葉に、無言で頷くのだった。

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