四面楚歌

「分かってるよ。…だからお父さんは殺さなかったじゃないか」


紫苑は、子どもには凡そ不似合いな残酷な笑みを浮かべる。

その様は、彩花と普通に話していた時のあの屈託のない様相とは、まるで別人のようだった。


「緋藤稔は僕の実の父親。そんなことは分かってる…

でも、お父さんはパパと対立しているし、この組織に属するつもりもない。

だったら…せめて僕だけでも、殺さないでおくようにするしかないだろう?」


言葉の最後は、紫苑の瞳がわずかに陰る。

その意味を痛い程に理解している梁は、いたたまれずに唇を噛み締めたが、やがて伏せ目がちに口を開いた。


「殺すとか殺さないとか…

お前はそういうことでしか、肉親を判断出来ないのか…?」




──否が応にも重なる。

先程の、成長した紫苑と…今の紫苑。




自らが求める者は重視し、それ以外の者は排除するのが当然といった扱いをする。



間違いなく歪んでいる。

病んでいる。

そしてなお恐ろしいことには、それが紫苑の“当然”であるのだから。



「お父さんは大事だよ。だから殺したくも殺されたくもない。

でも…それとママの件とは別問題なんだ」

「何が別問題だ! …そう思っているのはお前だけだろう!?

──紫苑、お前のその言動が、引いては母さんを傷つけることになると、何故気付かない!?

分からないのか!? 母さんは、そんなことを望んじゃいないんだ!」

「…、僕にしてみれば、お前の方が分からないよ、梁牙」


呟くように吐き捨てた紫苑は、その手に集めた雷の力を霧散させた。

我知らず、心底から安堵する梁を戒めるかのように、その言葉は情け容赦もなく、まだ幼い唇から放たれる。


「お前はパパの…氷藤煌牙の、本当の息子だろう?

パパには誰もが羨むような権力も、莫大とまで言われる程の財力もある。その血統には、万人が恐れ平伏すような、強大な雷の能力ちからさえある…

なのに、それだけ恵まれていながら、何が不満なんだ?

お前はどうして、パパに逆らう?」

「!」


梁の表情が一瞬にして青ざめる。

心の奥底に封印したはずの古傷を、紫苑は言葉という名の鋭いナイフで、容赦なく抉り続けてゆく。


「…梁牙、お前だって本当の父親の元には居ないだろう?

お前がお父さんに陶酔していることは、側から見ていても分かる…

なのに、そのお前が僕を非難するのか?」

「俺だって…好きで煌牙の血を引いている訳じゃない…!」


絶望的なまでに暗い表情を浮かべて、梁は低く呟いた。


見ているだけで胸が締めつけられそうなその切ない表情の陰には、自分が確かに煌牙の息子であるという負い目…

そして、それを上回るほどに、自らの体に流れる煌牙の血を呪い、忌み嫌う様が見受けられた。


その感情を、表情という形で目の当たりにした紫苑は、口元にこれ以上ないほどの怜悧な笑みを湛える。


「だけど、お前はパパの血を濃く引いている。それ自体が揺るぎのない真実だろう?

…梁牙、お前は紛れもなくパパの…氷藤煌牙の息子だ。

だったら、お前自身がどう出ればお父さんを救えるのか…、分からないはずはないだろう?」

「!」


紫苑の言葉が示唆するところを察し、梁の体が瞬時、ぎしりと硬直した。



…ただ、意識もしないままに、言葉が口から漏れてゆく。



「…お…まえは…、お前は…、俺に煌牙の手に落ちろというのか…!?」

「そうすれば簡単にお父さんを助けられるし、僕と一緒にママの側にも居られる。違うか?」

「!…っ」


梁は追い詰められた心境を隠せず、同時に反発する糧ともなる反論にも詰まった。


それを事前に見越していたのか、紫苑がそれがさも当然のように先を続ける。


「お前は愚かだよ。お父さんに変に拘り続けるから、物事の本質を見誤るんだ。

…梁牙、お前が未来から来たのは、この世界のお父さんの肩を持つためじゃないだろう?

なのに、何故それが分からない?」

「…ちょっと待て」


今の紫苑の、とある物言いに引っかかった梁は、こめかみをぴくりと反応させて、知らぬ間に声に鋭さを交え、紫苑に問いかけた。


「お前…まさか…」




「ああ。僕は未来の僕──緋藤紫苑と逢ったよ。ついさっきだけどね」




「…、成程、だからさっき会った時、紫苑がお前の居場所を知っていたのか…!」


梁は忌々しげに舌打ちをする。

…通常なら、本来、過去と未来に存在しているはずの同一人物が遭遇するようなことがあれば、それこそタイム・パラドックス(時間逆説)と呼ばれる、それに関する全てが消滅する系統の現象が起きてもおかしくはない。


だが、それが現在、全く起きていないところをみると、未来の紫苑は相当に巧妙に立ち回っているのだろう。


或いは、常人にはあり得ない超能力と呼ばれる特別な力を持った者たちには、相応に、その事象そのものが当てはまらないものなのかも知れない。


それに、その事実にはもうひとつ、真実がある。


「…紫苑がこれを知っていたのは、自分が過去で、既にこの事を“経験”していたからか…!」



…そう。

目の前にいる紫苑にとっては、これは今起きている現実…

つまり、“現在”。


だが、成長した未来の世界の紫苑にとっては…

この事実そのものが、彼の言う通り、“既に起こってしまった過去”…!



「! だとすれば…」


ここまで考えて、梁は気付いた。

…その考えに基づけば、紫苑は、この先に起こる全ての出来事の結果を、既に知っているということになる。

これは恐らくは今の紫苑、そして未来の世界の紫苑に共通して該当するはずだ。




…何故なら、二人はとうに接触を果たしてしまっているのだから。



「…っ」


梁は動きが取れずに臍を噛んだ。

退けば煌牙が待ち受けている。

逃れようとすれば成長した紫苑に遮られる…そして、

前に進もうとすれば、幼い紫苑に行く手を阻まれる…!


まさしく四面楚歌だ。

どうすればいい。

どう動けば…この事態を好転させることが出来るのだろう。



梁は我知らず冷や汗を浮かべた。

つうっと、前置きもなしにそれが頬を伝う。



紫苑の瞳は、相変わらず梁を捉えている。

…まるで蛇に睨まれた蛙だ。


年齢は明らかに向こうが下であっても、何しろ紫苑は自分の兄。

そして今となっては、全てでは無いにせよ、未来の、己の記憶をも得ている。

──母をも手中にしている。



まさに、“敵は無い”。



「反論は終わりか? だったら、そこの扉から裏庭に出るといい…

未来の世界の僕が、そこでお前を待っているから」


紫苑の言い聞かせるような物言いに、瞬間、梁の体はびくりと震えた。



──酷く恐れるように…

そして何かを怖がるように。



「成長した僕は、お前に何か話があると言っていたよ。

僕はここで、もう少しママを眠らせている。逃げも隠れもしないから…早く行って来るんだね、梁牙」


子ども特有の幼い声で呟きながら、紫苑は優しい手つきで彩花の髪を撫で続ける。


どうやら危害を加える気はなさそうだと判断した梁は、不承不承頷くと、静かに裏庭へと続く扉へと近寄った。

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