Blue Moon

如月統哉

1.接触

…雪が辺りを覆う頃に、ひとりの少女はその少年と出会う…

…ひどく暗い道を、ひとりの少女が、足早に歩を進めていた。


冬の空には、刃を思わせる三日月が冷たく佇んでいる。

肌を刺すような冷たい木枯らしが、笛にも似た音を立てて吹き荒ぶ中を、少女はひたすらに歩き続けていた。


不意に何かに気付いて、少女は天を見上げた。

そこから、ゆっくりと、白いものが落ちて来る。


「雪…?」


確認するかのように、少女は手のひらを空へと向けた。

ふと、ひとひらが、その上に乗った。

それは少女が冷たさを感じる前に、まるで天使の羽のように、少女の温もりによって消え失せた。


「…雪…かぁ。道理で寒いわけだわ…」


それはだんだんと数を増し、視界の、まだらよりも白が占める割合が徐々に多くなってきた頃…


いきなり、それは『降って来た』。





どさり、と。

それは無造作に、緩やかに…

そして確かに降って来た。


…雪の舞い散る、空から。


「!な…、に、…人間!? 人間が空から…!?」


少女は寒さなど何処へやら、焦り喚いた。

事実、人間ひとが空から降って来たのだ。驚かない方がおかしい。


少女がさすがに唖然としていると、その『降って来た人間』は、僅かに呻いた。


「…う…」

「!」


はっと気が付いたかのように、少女がその『人間』の方へ目を向けた。


…少年だ。歳は恐らく自分と同じ、17歳くらいだろう。

そして、近くにあったスケジュール帳らしきものの表面には、小さく名前が書いてある。

残念ながら、苗字の所は削れていて読めない。


「──“りょう”?」


…名前は確かにそう読めた。


「!ん…?」


その言葉を合図にしたかのように、少年が左肩を押さえて、静かに立ち上がった。

どうやら、落ちた時に体重がまともに左肩にかかったらしく、しきりに肩を気にしている。


少女が、果たして声をかけていいものか迷っていると、人の気配に気付いたらしい少年が、ちらりと少女に目をやった。


「…もしかしてあんた、“シドウ・サイカ”…?」


「!え…」


少女は面食らった。

確かにそれは自分の名だ… だが、何故、彼がそれを知っているのだろう?


「!え、えぇ…、そうです。確かに、私の名は紫藤彩花しどうさいかですけど…」


少女… いや、彩花が訝げに、しかしそれでも律儀に返事をすると、少年は視線を走らせ、彩花のてっぺんから爪先までの一通りを眺めた。


「ふぅん…、随分と遅いが学校の帰りか。

制服だから、他の着こなしや趣味などは分からないが… まあ、見る限りでは元は悪くはないんだな」

「!な…」


無神経なこの一言で、彩花の血圧は急上昇した。

思わず、手にしていた鞄を、力任せに少年に直撃させる。


「!痛っ!」

「何なのよ、いきなり空から降って来て言いたい放題…! 初対面の相手に、そんなこと言われる筋合いも覚えもないわよ!」


憤然として、足音もずかずかと、彩花はその場を後にした。

その場に残された少年は、鞄を抱えたまま、唖然とした表情をしていた… が、やがて意味ありげに、くすくすと笑い始めた。


「…さすがに気が強いな…

これは一筋縄じゃいかないかもな」





「──何なのよアイツは! 何であたしがあんなこと言われなきゃいけないわけ!?」


彩花は、まだまだ怒り沸騰状態で歩いていた。

すると、いつの間に追いついたのか、背後からいきなり聞き覚えのある声がかかる。


「せっかちだな、全く。人の話は最後まで聞けよ」


この一言で、再び彩花の頭に血が上った。

今度という今度はがつんと言ってやろうと、苛立ちながら振り返る。


「聞く耳持たないわよっ! …いい加減にしなさいよ! 堂々と後まで付いて来るなんて、あんた新種のストーカーなの!?」

「…ったく口の悪い。言うに事欠いて、新種のストーカーとは…失礼だな。さっき俺にぶつけた“もの”… 要らないんなら別に構わないけどな、ストーカー呼ばわりも」


少年は僅かに肩を竦めて、右手に持っていた彩花の鞄を、その目の前で振ってみせた。


「!あっ…」


頭に来過ぎていて、少年にぶつけっ放しで置いてきた鞄を、すっかり忘れていたのだ。


「返してよ!」


彩花が手を伸ばすと、少年は右手を自分の頭上まで上げた。当然、鞄は少年の右手によって吊られた形になる。

…少年の身長は、ゆうに170センチを越えている。鞄を持った手をそこまで上げられたら、身長158センチの彩花には届くはずもない。


「!ちょっと…」


彩花は背伸びをしつつ、何とか自分の鞄を取り返そうと、更に手を伸ばした。


少年の左手には、先程、地面に落としたらしいスケジュール帳のようなものが持たれているが、今の彩花には、それを目に入れる余裕はない。

ひたすら鞄を手に入れようと、縋るような表情さえ見せている。


そんな彩花を見ていた少年が、不意に、


「…名前…」


と、全ての動きを止めて呟いた。


「えっ?」


その呟きに、彩花も、思わず伸ばしていた手を引っ込めた。

先程までの少年とは何処か違うその様子に、気おされたように、上目遣いで少年を見る。


「はっきりとは聞こえなかったが…さっき呼んでいただろう? 俺の“名前”を」


少年は、緊迫した面持ちでそう告げた。


「名前…?」


言いながら、彩花の脳裏には、先程の記憶がフラッシュバックしていた。

あのスケジュール帳のようなものに書いてあった名前は、確か…


りょう?」

「!…ああ、そうだ。俺の名は… 梁」


噛み締めるように、少年… 梁は、言葉を続けた。


「まずは、さっきからの俺の失礼な言動を謝る。…色々と済まなかったな」


梁は、そのまま頭を下げた。対して彩花の方は、心中穏やかではない。


「鞄は返す。それと今言ったことは、忘れてくれても構わない」

「…!?」

「でも、ひとつだけ忠告させてくれ。

…自分の身が可愛ければ、今後は目立った行動は慎み、出来るだけ複数で行動することだ」


話し終えると、梁は鞄を彩花に渡し、くるりと背を向けた。

放っておけば、そのまま夜の闇に溶けてしまいそうな彼を、何となく放っておけず、彩花が腕を掴む。


「!…何のつもりだ?」

「何処へ行くの?」


彩花は何気なくも、その時に一番気になっていたことを聞いてみた。


「…帰るんだよ」

「だから、何処へ?」

「……」


繰り返しての問いに、梁は答えに詰まって黙り込んだ。

その様子を見ていた彩花が、軽く息をついた。


「…いきなり空から降って来た人に、帰る所… あるの?」

「……」


梁は無言のままだ。

…だが、その時。


その声は、静かな闇を裂くように、はっきりと聞こえた。



「…紫藤彩花…だな?」



闇の中から、その闇をも上回る静けさを伴って、ひとりの少年が現れた。

だが、その少年に気付き、一瞥した、梁の態度が一変した。

警戒心を露にし、批判するような目で、その少年を見ている。


「梁…、どうしたの?」


梁の突然の変化に戸惑いながらも、彩花が訊ねると、梁は視線を彩花へと向けた。

その瞳には、先程までの感情は少しは薄れていたが、今度は困惑が浮かんでいる。


「──よりによって、一番来て欲しくない人が来ちまった…!」


苦々しい梁の呟きに、少年は敏感に反応した。


「ふん…、その口振りでは、貴様、俺を知っているらしいな?」

「当然だろう」


梁が即答した。



緋藤ひどうじん。お前のことは大体分かっている。…念動発火能力者パイロキネシスだってこともな」



梁は、自分の知っている事を告げただけなので、見た目にも落ち着いたものだったが、少年──

稔の方は、忌々しげに梁を見据えた。


「…貴様、何故それを知っている?」

「さあね…」


梁は挑発するように含み笑った。


「気になるなら吐かせてみたらどうだ?」

「…いいだろう。俺の能力を知ってなお、そんな口を利くのはお前くらいだ」


冷笑すると、稔はその左手に、自らの手と同じ大きさほどの朱色の炎を作り出し、いきなりそれを放った。


「うわっ!」


それは梁の前髪の一部を焦がし、瞬時に消えた。


「…速い…!」


梁が臍を噛んだ。…自分は挑発した手前、決して警戒を怠った訳ではなかった。なのにこのザマだ。

いや、むしろ、前髪だけの被害で済んでラッキーだったと言うべきだろう。


「どうした? …こんなものはほんの小手調べだ。怯んでいるのか? 先程までの威勢はどうした?」

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