オガの冒険
休憩中のはずのオガが早くも受付に戻ってきた。その顔にはなぜか焦りの色が見える。
「すみません、俺の財布見てないですか?」
「いや見てないな…もしかしてないの?」
オガは気まずそうに頷いた。
「いつから?」
「外で牛丼食べて戻ってきた時には持ってたと思うんです。ああまいったな、定期も入ってるのに」
「ブースの中はちゃんと捜した?」
「ええ、もちろん」
「バッグは?」
「休憩中に更衣室には行ってないんですよ。だからバッグに入っていることはあり得ません」
「そうなると…もしかしたら盗まれたのかもな」
「実はもしかしたら俺もそうなんじゃないかって思ってたんですよ。うわあ最悪」
オガは苦悶の表情で頭を抱えた。
「まあまだそうと決まった訳じゃないから、もうちょっといろんなとこ探してみようよ」
「いやもう絶対盗まれたんですよ。それにちょっと怪しい奴を三階で見まして」
「誰?」
「髪と髭が無造作に伸びきった男です。休憩中に漫画を取りに一度四階を行き来したんですが、その間ずっとフロアにいたようで」
新宿のジョン・レノンだ。
「俺は正直あいつに盗られたんではないかと思ってるんですよ」
「うーん、ジョンかあ。確かに怪しいと言われてるけど確証がないからな。一旦時系列整理させて」
オガが言うには十三時に休憩に入ると更衣室には戻らず、すぐに制服のまま近くの牛丼屋に行き空腹を満たしたのだが、十三時二十分頃にほーむに戻った時点では確かに財布を持っていたらしい。その後四階のドリンクバーでコーラを調達して三階の三十六番のブースで休憩をし、十三時四十分頃、漫画を取りに四階へ行くため財布を放置したまま二、三分席を離れ、十四時現在財布がないことに気付いたという。
「今って彼女の方、ヤエコ?はいるんですか?」
パソコンで入店状況を調べると今二十九番は一人となっている。
「今は一人みたいだね。ちなみにヨーコな」
「失礼しました。キャロライン洋子のヨーコでしたね」
「だから誰なんだよそいつは」
「まあヨーコは一旦置いておきましょう。ちょっと俺三階で待機して、あいつがブースを離れたら中を調べに行ってもいいですか?」
オガが大胆な提案をしてきた。こいつは一体何を言い出すのだ。
「さすがにそれはちょっとまずいんじゃないかな。ジョンが盗んだって決まったわけじゃないし」
「大丈夫、気付かれないようにうまくやりますって!もし俺の財布が見つかったら盗難事件が一気に解決ですよ」
「しかしなあ。ずっと二十九番から出てこなかったらどうする気だよ?」
「その時はその時です。ではご面倒ですがよろしくお願いします」そう言うと頭を軽く下げて、僕の意見を聞かず三階へと向かった。困ったことにオガは大胆なだけでなく、強引さも持ち合わせているようだ。
少しすると消耗品の買い出しから戻ってきた莉奈が両手にビニール袋をぶら下げエレベーターから現れた。オガの財布が無くなった経緯を説明すると「プリズン・ブレイク好きのラブさんがはしゃぎそうな展開ですね」と笑顔を見せた。
それからさらに三十分程するとトランシーバーからようやくオガの声が聞こえてきた。
「今あいつが四階へ行きました。見えます?」
すぐにジョンの姿が階段の奥から現れた。
「来たよ」
「では俺は中を見てきますので、あいつが戻ってきそうになったらまた連絡を下さい」
「面白そうですねー!」莉奈は目を輝かせている。
四階の通路ではジョンがオカルト雑誌を立ち読みしている。あの雑誌が読まれているのを初めて見た。ぱらぱらと頁を捲っていたが興味を引く記事がなかったのか、すぐにオカルト雑誌をマガジンラックに戻すと次はコミックコーナーを徘徊し始めた。オガからまだ連絡はない。
「財布あったかなー?」莉奈もジョンの動きとオガの状況が気になって仕方がないようだ。
コミックコーナーの奥に消えたジョンが麻雀の漫画を両手で十冊程挟んで通路に現れたかと思うと、階段の方へ向かった。どうやらブースに戻るようだ。
トランシーバーを口に当て小さな声で叫ぶ。
「戻るぞ!」
オガから返事はない。
僕は居ても立ってもいられなくなり、ジョンを追うように続いて階下へと降りていく。もしまだオガが二十九番の中に居たらなんて釈明をすればいいんだろうと考えていたが、幸いそれは杞憂に終わった。三階に着くとちょうどオガが対面からやってきて、僕とすれ違い様に小さく首を横に振る。ぎりぎりまで捜索していたようだが、残念なから財布は見つからなかったらしい。僕もそのままUターンをして階段を上り受付へと向かった。
「財布あったのー?」
莉奈の問いにオガは僕とすれ違った時と同じように首を横に振った。
「残念ながら…」僕もジョンが犯人であったなら、星君と倉柳さんの潔白が揺るぎのないものとなったので少しだけ残念だった。
「そっかあ。どうする警察に届ける?」
「どうしましょう…そもそも盗んだのはあいつじゃなかったのかもしれないですし」
今更何を言い出すのだと思ったが、一旦その言葉は飲み込んだ。
「紛失届け出すなら今抜けてもいいよ」
「いやとりあえず十七時まで働きます。しかしショックです」
オガはがっくりと肩を落としていた。
「まあそのうち見つかるかもしれないよー」莉奈が明るい声で励ました。
「はい、そう祈ります」
オガは無理矢理笑った後、周りを見渡した。
「あれ、俺のサロン見ませんでした?」
「確か流しの近くで見たよ」
「そうだった」
オガは受付のドアを開いて、流しの辺りをごそごそ探したかと思うと耳を真っ赤にして戻ってきた。
「すみません、サロンと一緒に置いたんでした…」その手にはしっかりと財布が握られている。
僕と莉奈が呆れたのは言うまでもない。
エレベーターの回数表示に動きがないことを確認すると、流し場の方へ向かい、栄養ドリンクを胃袋に収めた。“通し勤務”の日は栄養ドリンクで景気付けをすることに決めている。
各シフトそれぞれ三人を必要とするほーむ新宿店では、単純計算で一日に九人のスタッフが必要となるが、どうしても埋められない日も出てきてしまう。それを補うのが僕や大西さん、ラブ、関さんなど“通し勤務”を行うスタッフの存在だ。
今日の僕のように早番中番通しだと九時から二十三時までの十四時間拘束と比較的マシだが、遅番早番通しになると二十三時から十七時までの十八時間拘束になってしまうため、かなりの体力が消費される。かつてスタッフが突然辞めてしまった時にラブが早番中番遅番通しに挑戦しようとしたが、倉柳さんに「気持ちはありがたいが、統括にばれたらまずい」と断られていたこともあった。
大きなあくびを噛み殺し、レジで滞在中の客の入店状況をチェックしていると、二人の若い男がカウンターにやってきた。
「延長料金ありません。ありがとうございました」
短髪を鮮やかな金色に染め上げて黒縁の伊達眼鏡を掛けた男は、目の前で接客をしている星君を見ると驚いて声を上げた。
「あれえ星じゃん。なに、ここでバイトしてんの?」
どうやら金髪の男は星君の知人のようだ。
「おお、久しぶり」
気まずそうな表情を浮かべる星君に金髪の男との邂逅を喜んでいる様子はない。
「へえ、そうなんだ。最近オーガスタ来てないじゃん。たまには遊びに来いよ」
「うん、そのうち行くよ」
「おう、待ってるぜ」
そう言うと男はエレベーターに向かった。連れの男が「友達?」と金髪の男に話しかけると「前クラブでよく会ってたんだよ」と返事をしていた。星君は明らかに決まりが悪そうな顔をしている。
「星君もクラブとか行くんだ」
そう僕が尋ねると星君は苦笑いをしながら答えた。
「大学の友達に誘われて何度か」
「踊ったりもするの?」
「いや僕はダンス苦手なんで専ら酒飲んでます」
星君の様子から察するに、どうやらあまり知られたくなかった交友関係のようなので僕はそれ以上尋ねるのを止めた。
「じゃあ下の清掃行ってくるね」
そう言って僕は受付を離れた。
先ほどの金髪の男を思い浮かべた。星君はクラブのような享楽的な場所とは無縁だと勝手に思っていたが、どうやらそうではないらしい。以前莉奈が打ち明けた催涙スプレーの件といい、ここの常連たちと同様に星君も知られざる一面を持っているようだ。
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