新しい仲間

「今日からお世話になります小笠原です。よろしくお願いします」

 タイムカードを切ろうと受付の前を通った時に身長百八十センチメートルは有にあると思われる色白の大男が挨拶をしてきた。辞める前に真鍋が話していた新しいスタッフだとすぐに気付いた。

「どうもはじめまして。森永です」

「彼が真鍋の代わりに入ったんだよ」

 真鍋と口にした大西さんの顔は心なしか引きつったように見えた。

 先日ほーむ新宿店を去った真鍋の送別会で毎度のことのようにテレビ業界のことを講釈していた大西さんに対して、酒が入った真鍋は「でもいろいろ言ったって大西さん全然売れてないじゃないですか。そんなこと言っても説得力ないですよ」と本音を吐露してしまい、険悪な空気にその場は包まれた。またその帰路、ラブが「さっきの真鍋の発言、正直溜飲が下がりましたわ」と言っていたことは当然大西さんには知らせていない。

「なるほど、よろしくね」

「こちらこそよろしくお願いします」

 着替えを済ませ受付に戻ると、彼に早くもオガというあだ名が付けられていた。

「グラフィック系の専門ねえ。俺にはさっぱりだわ」

 どうやらオガは専門学校生のようだ。

「でもまだまだ素人みたいなもんですよ」

「専門一年ってことは十九?」

「いや、早生まれなのでまだ十八です」

 十八歳。秀成の二つ上で星君の一つ下。その歳の僕はまだ役者に興味を持たず、ただの自堕落な学生だった。

「ホームページの求人を見て応募してきたの?」

「そうなんですけど、実は俺、何回かここに客として来たこともありまして。森永さん、大西さんにも接客してもらったこと覚えてます」

 オガの顔を再び注視するが思い出せない。

「申し訳ないが僕は覚えてないや…」

「いえいえ。数える程度ですから」僕の心情を気にしたのか顔の前で手を振った。

「受付を通る時、ここの方たちがよく雑談をされているのを見てて、すごい楽しそうな職場だなと思っていたんですよ。そんな時にホームページの求人を見まして、これはチャンスだなと」

 褒めているのか貶しているのか、オガは僕たちの接客態度に何とも言えない評価をした。

「ふうん。ただ店長の倉柳さんがいる時にはそんなに自由には振る舞えないから注意しろよ。じゃあさっそく入店した時の手順から説明するぞ。客が入店した時に訊くことは喫煙か禁煙か、ブースの種類、そしてパック時間の三点だ。基本料金は常に十五分は百円だけど案内出来るパック時間は時間帯によって変わってくるから注意して」

 大西さんの説明をいそいそとオガはメモしている。

「まずここのブースを実際に目で見てみよう。そうした方がイメージが湧くからな。慎君、ちょっと一人で頼むね」

 大西さんはオガを連れて五階へと上がっていった。

 オガの後ろ姿を眺めて僕が新人の頃、間違えて禁煙フロアの五階に喫煙客を案内してしまい、苦情を受けた苦い思い出が蘇ってくる。

 もうここで働き初めて三年近く経ち、ほーむ新宿店の業務に関しては何から何まで把握したが、肝心の役者業の現在を考えると少し気が重たくなった。


「ここほーむ新宿店には多種多様、玉石混淆、多くの常連がいる。そのうち嫌でも覚えることになると思うけど、その前にここで注目すべき常連たちを教えておこう」

 久々の後輩の誕生に大西さんは異様に張り切っているが、果たして玉石混淆の意味を分かって使っているのだろうか。ここにはほとんど“玉”はいないように思える。

「ありがとうございます」そう言ってオガはメモを構えた。

「おいおい。これはメモをすることじゃないからメモは仕舞え。まず誰から話そうかな。じゃあ二十九番を住処とするジョンとヨーコから話そう」

「はい、ありがとうございます」

「ジョンとヨーコは名前の通り二人組のカップルで、空いていれば二十九番、そうでなければ二十八番を指定してくる。料金パックはその時間帯の最長パックだ。ヨーコ、つまり女の方だな、彼女は途中で退店をし、ジョンがその間ブースで彼女の帰りを待っている。おそらくヨーコは風俗嬢だと俺は睨んでいる」

「なるほど、ちなみにジョンとヨーコってなんでそう呼ばれているんですか?」

「男がジョン・レノンにいろいろと似てるから、愛沢っていうスタッフがそう名付けたんだよ。そしたら女の方は当然ヨーコだろ?」

「ジョン・レノンは分かるんですが、ヨーコって誰ですか?」

「そりゃオノヨーコだよ」

「オノヨーコ?」

「オノヨーコだよ。知らないのか?」

「キャロライン洋子なら知ってるんですが…」

「むしろそいつが誰だよ。ジョン・レノンの二番目の奥さんで、たぶん世界で一番有名な日本人だぞ」

「へえ。勉強になりました」どうやらオガはオノヨーコを知らないらしい。驚きである。

「くそう、調子狂うな。まあいい、次はモハメドでも説明しよう。ここで唯一の中東系の常連でなぜか四十四から四十六を指定してくる。だいたい基本料金での入店だ」

「言葉は分かりますか?」

「片言だがなんとか話は通じる。心配はしなくて大丈夫だ。そしていつもマフラーとかジャケットをブースに掛けているから外から見てそれがあいつがいたら分かるぞ」

「はい、ありがとうございます」

「焼き鳥も忘れてはいけないな。焼き鳥といって週五、六日くらい来てる住人レベルの常連がいる。とにかく臭くて汚い、しかもブースを必ず片さない。どうしようもない奴だ。ブースによく焼き鳥の串が残っているからそう呼ばれている。」

「なるほど、ありがとうございます」

「慎君、他に誰かいる?」

「うーん、“ゲーマー”とかは?」

「ああそうだゲーマーもいた。必ずゲームのコントローラーを使うんだけど、今ではこっちから自発的に渡すことになっている。こいつは割と怒りっぽいから注意した方がよいぞ。一度隣のブースの客がニコニコ動画を観て一人で笑っていたのが癪に触ったらしく『うるせえぞ、くそオタク野郎』なんて激しく罵ったこともあったよ。次にこいつが来たら教えるよ」

「了解です。ありがとうございます」

「他に俺がぱっと思いつくのだけでも、のそのそと動く謎の男“アジア”、関西弁で話す“浪速”、たまにみかんを差し入れてくれる“みかんおばさん”、いつもキャップをかぶっている怪しげな“逃亡犯”など早番、中番だけでもたくさんの常連たちがいる」

「はー。いろんな人がいるんですね」

「遅番も含めるとさらにいろいろなキャラクターが登場してくる。でも基本的に遅番は入らないんでしょ?」

「そのつもりです」

「遅番の時間帯が一番癖のある奴が多いから、その点に関しては早番、中番は楽だね。あっ、あいつを忘れていた。パンクロッカー。実は今ここでは三ヶ月くらい前から盗難事件が続いてるんだけど倉柳さんからそのことって聞いてる?」

「いえ」

「そして犯人の候補の一人と言われているのがパンクロッカーなんだよ。俺もそいつが怪しい動きをしているのを見たことあってね。その名の通りいかにもパンクロックが好きそうな男が来たらまずこいつだ。こいつが来たら行動をちょっと注意してみてくれ。後はさっき話した焼き鳥、ジョンとヨーコもなかなか怪しいから同様に気を付けるんだ」

「了解です」

「逆にオガから何か質問はあるか?」

 オガが少し迷った仕草を見せる。

「入退店の接客、ブースの清掃以外の具体的な仕事はどういうものがありますか?」

「ふむ。各シフトによって仕事内容は少し異なるんだけど、全シフトに共通しているものももちろんある。例えば一時間毎のトイレ清掃な。おい、これはメモしとけよ」

「はい、すみません」オガはポケットに仕舞ったメモを取り出す。

「それから次のシフトに引き継ぐ直前に行うドリンクバーの清掃とレジ点検。レジは一円でもずれていたら原因が分かるまで徹底的に調べるということになっているんだけど、そういう時はみんな面倒だから足りない分は自分たちで出して、多い分はもらってる。まあ自己責任ってやつだな。これは絶対倉柳さんには言うなよ」

「はい、了解しました」

「あとはオンラインゲームのアップデート。アップデートが終わるまでブースで漫画でも読んでいられるからこの仕事は楽だぞ」

「それはいいですね」

「日常的にやらなきゃいけない仕事って言ったらこれくらいかな。あとはコミックが届いたらカバーを付けるとかいろいろあるんだけど、そういうことは追々教えるよ」大西さんが盗難防止のためのフロア見回りを教えていないことに気付いたが僕も無視をした。

「はっきり言って底の浅い仕事だから一ヶ月もすればほとんどのことはできるようになる。安心していいぜ。逆にここの仕事ができなかった世の中のほとんどの仕事はできないと思った方がいいぞ」

「はい、ありがとうございます。最後にもう一点」

「なんだよ?」

「ドリンクって僕たちは頂けるんでしょうか?」

「これはみんなのものだ。好きに飲んでいいぞ」

「よかったあ。では失礼します」

 そう言うとオガは早くもグラスを手に取りウーロン茶を注いだ。「ふー、喉乾いてたんですよ」

「こいつ案外図太いかもな」

 大西さんが隣でひっそりと囁いた。


 十一月ともなるとグラスやカップを洗うのもしんどくなってくる。残念ながらほーむ新宿店ではお湯が出ないので晩秋の水の冷たさに耐えるしかない。莉奈なんかは「手が荒れるから」と言ってわざわざグラスやカップを洗う度にゴム手袋を付けている。

 受付ではオガが「いらっしゃいませ…現在の時間ですと、二時間、三時間…五時間パックがご案内出来ます…どのパックも延長料金は基本料金と同じく、十五分ごとに百円となっております。…また入店後のパックの変更はできませんのでご注意下さい」とぶつぶつと呟いている。どうやら接客のシミュレーションをしているらしい。

 冷たくなった手を吐息で暖めながら受付に戻ると、開けたドアの内側の張り紙にオガが気付いた。


「友人を捜しています。身長170cm。痩せ型。もし見かけたら本人は声を掛けずにこちらまでお電話を下さい。◯九◯-××-××」


「へえ、こんなのもあるですね」

 ほーむ新宿店には警察が指名手配半の張り紙の依頼をしてくることがたまにあり、現に今も防犯カメラで撮ったと思われる大久保で起きた強盗事件の容疑者の張り紙がドアの内側に貼ってある。しかしこういった一般人が知人を捜すためのものは非常に珍しい。

「そうそう、こういうのはあんまり見ないけどね」

 オガはしげしげと張り紙を見つめている。

 文章の下にはスマホで撮ったと思われる男の顔があった。改めて見ると、軽そうな雰囲気をしているがなかなかの男前だ。

「よくある警察のお尋ねポスターと違って、これはどこかへ消えてしまった友人を捜すために作ったものだね。こんな金髪でチャラそうな感じだけど、ここまでしてくれるとは案外人徳のある奴なのかもしれないな」

「でも慎さん、こういう考えはどうでしょう?この張り紙には友人を捜していますと書いている。がしかし実はそういうことでない」

 顎に手を当てたオガがなにやら語り出した

「と言うと?」

「このチャラ男君は実は膨大な借金をしていて、返済せずにばっくれてしまった。そして逃げ出したこいつを捜すために、怖い人たちの捜索網が我がほーむ新宿店にも伸びてきた、というシナリオはどうですかね?」

「それはあり得るかも。『借金をばっくれたこいつを捜しています』とはさすがに書けないもんな」

「ですよね?結局推測の域は出ないけど、もし本当に俺の考えた通りだったとしたら電話するのも悪いかなあ。でも借金踏み倒したチャラ男君に原因があるわけですしね」

「ただこれで最悪、殺されたりでもして、あとでニュースか何かそのことを知っちゃったらさすがに嫌じゃない?」

「確かにそれは気分良くないですね。自分のせいじゃないとはいえ」

 改めて張り紙の男の整った顔を見た。友人に心配されているのか、それとも借金取りから追われているのかはもちろん分かりはしなかった。


「新人の調子はどうですか?」中番で出勤したラブが尋ねてきた。

「ちょっと抜けてるところもありそうだけど、今のところ真面目にやってるよ」

「まあここの仕事なんてたかが知れてますから」

「そうそう。ネットカフェの仕事なんて余裕だもんなあ」

 そう答えた大西さんは新人の頃に更衣室の鍵を失くしてしまい、その時働いていた真鍋と関さんが制服のまま帰る羽目になってしまったことを僕はもちろん忘れていない。滅多に不平を口にしない関さんもあの時ばかりは「さすがに困りました」と漏らしていた。

「ただ男ってのが気に食わないところでありますな。森田飛鳥ちゃんみたいな女の子だったらどれほど素晴らしかったことか」

 確か最近ラブがよく聴いているアイドルグループのセンターの女の子だ。

「で、その新人は今どこに?」

「オガはミルクティーのところにキャラメルマキアートの粉入れちゃって、今五階で必死に搔き出してるよ」

 僕たちスタッフが犯す定番の間違いの一つだ。ミルクティーとキャラメルマキアートの粉はよく似ているので補充をする時は気を付けなければいけない。

「はいはい。俺も五階のドリンクバーでやったことありますわ」

「あれはけっこうみんなやったことあるんじゃない?」

 大西さんも頷く。

「しかも俺の場合間違いに気付いたのがだいぶ後だったから、もう適当に混ぜちゃいましたよ。はっはっは」

 ラブは平然と笑い飛ばしているが、それを聞いた僕と大西さんは唖然とした。

「じゃあ前五階のミルクティーが変な味がするって噂になったのは…」

「そうそう、その時ですよ。いやあ、かたじけない」

「ラブ…」僕も笑うしかなかった。

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