季節の変わり目

 中番からの出勤だと起床に余裕がある。目覚ましに起こされることなく昼過ぎに目を覚ますと、溜まっていた洗濯物を洗濯機に放り込む。スマホをチェックするとラインが一通。相手は役者友達で、内容は「今度舞台をやるから是非観に来て欲しい」というものだった。とりあえず返信をせずに布団の上に放り投げる。本音を言えば行きたいとは思わないが、今後の付き合いを考えると無下に断るわけにもいかない。

 ほーむ新宿店に向かう頃には空は橙と群青のグラデーションになっていた。家賃六万円のワンルームのアパートから新宿歌舞伎町の雑居ビルの四階までは京浜東北線と埼京線を乗り継ぎ徒歩の時間も含めると五十分近くかかる。ただ中番から出勤のこの時間は座れるのがありがたい。車内で先ほどのラインに「たぶん行けると思うけど、念のため予定を確認してまた連絡します!」と返信をした。赤羽で乗り換えた列車が埼京線ホームに着いたのが十六時四十分。普段は地下のサブナードを通っていくが、今日は気分転換に東口を出て地上から向かうことにした。アルタ前では若者二人組がスマホで何やら動画を撮っていた。Youtubeの撮影かもしれない。

 ほーむが入居しているビルに隣接しているビルの一階の牛丼屋では常連の逃亡犯が牛丼を食べていた姿が目に入った。これからほーむに向かうのか、あるいは退店後かもしれない。

 受付では秀成が外国人に対して英語で接客をしていた。秀成は三年間の引きこもり期間に、海外の人間とネットゲームを楽しむため英語、中国語の簡単な読み書きを覚えたらしく、その語学力はほーむ新宿店になくてはならないものとなっている。秀成に接客をされた男がカーディガンを脱ぐと、背中に明朝体で“初来日”と大きく書いてあるTシャツが現れた。そうであるならこんなところには来ないでもっと行くべき場所がある気がするが。

 タイムカードを押してパソコンをちらっと見る。滞在客数四十九。今日は忙しそうだ。

「今逃亡犯が下で牛丼食べてたけど今日来た?」

「はい。あの人、ついさっきまでいました」

「やっぱり、いらっしゃいませ」

 新たな入店客を接客する秀成を背に三階へ降りると莉奈がドリンクバーをダスターで必死に磨いていた。

「やあ、今日忙しそうだね」

「今日は大変でしたよ〜」そう言う莉奈の横には空いたグラスが大量に積み上げられいる。

「さっきまでグラス無くなりかけたんですから」

「げっ、それはやばいね」

 莉奈から今日の多忙さを愚痴られていると更衣室から真鍋が出て来た。

「おはよう。さっきちらっと見たら、今四十九人だってさ」

「今日はけっこう大変そうですね」

「うん。でも今日は幸いに川島さんだし」

 川島さんは既に着替えを済ませ、早くも物販のチェックをしてくれていた。彼女には頭が上がらない。

 面映そうな顔の真鍋が口を開いた。

「あのう慎さん、おそらくもう知ってると思うんですけど、俺来週で辞めることになってまして」

「大西さんに聞いたよ。就活に備えるんだろ?」

「はい。倉柳さんから聞いたんですけどもう新しいスタッフ決まったらしいですよ」

「へえ。今回はずいぶんと仕事が早いのな」

「ホームページの求人かなんかを見て応募してきたらしいです」

「ということはここに客として来た可能性もありそうだね」

「そうですね。俺はこれから就活頑張りたいと思います。もし俺が敏腕テレビマンになった時、慎さんが役者を頑張っていたらぜひ一緒に仕事させてもらいたいと思います。大西さんは正直使いたくですけどね」真鍋は白い歯を見せて笑った。

「何言ってんだ。まずはちゃんとテレビ業界に入れること考えなよ」

「その通りですね。じゃあ先に行ってます」

 就活という言葉を聞いて、僕が就活をしないなんて言い出すとは夢にも思わなかった両親と揉めに揉めた大学三年から四年の季節を思い出す。今でこそ険悪な雰囲気は時間と共に薄れたが、当時は僕の気持ちにまるで理解を示そうとしない両親に本気で嫌悪感を覚えたものだ。


「いやあ、何かと思いましたよ」

 休憩から戻ってきた真鍋の開口一番だった。

「どうしたのさ?」

「俺が休憩中に漫画を読んでたら、何やらドアをノックしてくる奴がいるんです。最初は無視してたんですけど、またコンコンコンとしてくるんでドアを開けると革ジャンにスキニージーンズの奴がいて」

「ほうほう」

 コンコンコンという擬音語を聞いて、僕はトイレの花子さんを久しぶりに思い出した。あの話もノックを三回だったはず。

「それで俺が『なんでしょう?』って尋ねたら、なんか『いや、別に』とかなんとか言いながら慌てて階段へ行きました。猛烈に怪しかったですね」

「ああ、あの背の高くて頬がこけてる奴かな?」

「そう、そいつです!」

 革ジャンにスキニージーンズ。間違いない、先日大西さんが盗難事件の犯人の本命と疑っていたパンクロッカーだ。今の真鍋の話を聞くとますますその可能性は高まってくる。

 クリーナーをカッペートの上で転がしていた川島さんも話題に交ざってきた。

「そのお客さんは入店後、十五分ほどで帰られましたね」

 川島さんはそう告げると髪の毛やゴミで覆われた粘着シートをべりっと剥がし、丸めてごみ箱に捨て、再びカッペートの上で転がし始めた。

「じゃあ俺の休憩を邪魔した後すぐ帰ったということか。なんとも怪しいな」

「この間大西さんが言ってたんだけど、あいつよく三階をうろうろしてるらしいぞ」

「まじですか?それは盗難犯の最右翼ですな。奴の悪事を見逃さないため、この情報はみんなで共有した方がいいですね。連絡ノートに書いておこう」

 そう言って真鍋は連絡ノートに注意喚起を記した。書き終えると川島さんにも「あいつは要チェックですよ!」と伝えたが、と彼女のリアクションは「承知しました」といつも通り無味乾燥なものだった。


「あれ、いつの間に?」

 二十二時五十分。制服に着替えを済ませたラブがドリクンバーを見て声を上げた。どうやらドリンクのラインナップが変化したことに早くも気が付いたらしい。

「今日の早番さんの時からです」

 川島さんがレジ金のチェックをしながら答えた。

「オレンジジュースからりんごジュースに。そして、おお遂にコーンポタージュが!」

 コーンポタージュの表記を見つけたラブは嬉しそうにはしゃいだ。

「この間のアンケートでのロビー活動が功を奏したようで俺は嬉しいですよ」

 ここでは定期的にドリンクバーの種類が入れ替わる。人気のあるドリンクは当然そのまま継続されるが、あまり提供されていないものは新しいものと入れ替わることとなる、その際にスタッフ全員に“人気の出そうなドリンク”のアンケートが行われる。とは言ってもほぼ全てのスタッフが“人気の出そうなドリンク”ではなく、“自分の飲みたいドリンク”を記入するのだが、アンケート用紙に記載されていたコーンポタージュを熱望したラブが多くのスタッフにコーンポタージュを推すように嘆願していたのは記憶に新しい。

「その代わりここからはミルクティーがなくなったけどね。ミルクティーが飲みたいときは五階へどうぞ」

「いやいや構いませんぜ。俺ずっとミルクティーの需要には疑問に思ってましたもん。どれどれ、まず一杯」そう言ってカップをコーンポタージュの射出口の下に差し出した。

「慎さんはもう飲みました?」

 カップから湯気がほんのり立っている。本来スタッフがドリンクバーの飲み物を勝手に飲むことは禁止されていたが、いつの間にかそのルールは有名無実となり倉柳さんにも公認されている。

「いやまだ。というか僕、基本的に温かい飲み物飲まない主義だから」

「そういえばそうでしたね。ではお先に頂きます」そう言ってずずっとコーンポタージュを啜った。

「おお、こりゃいける!」

 そこに関さんもやってきた。

「そんなに美味しいのかい?」

「ネットカフェで飲むクオリティではないですよ。俺が俵万智だったら今日はコーンポタージュ記念日になっていたところでした」ラブはカップをさらに傾けた。

「やっぱり寒さ身にしみる季節ですからね。こういうものを待ちわびていました。これで日々の仕事にもより一層力がはいるってものです。どうです、関さんも一杯?」

「ではお言葉に甘えて」そう言うと関さんはアルが差し出したカップを受け取った。

「確かにこりゃいいね。そこら辺のファミレスのドリンクバーくらいはありますよ」

「ですよねー」

 同意が得られてラブはより嬉しそうだ。

「慎さんも飲んだ方がいいですよ。この季節にコーンポタージュを飲まないなんて、人生だいぶ損してますよ」

「そんなもんかねえ」

「これ本当美味いな。ただ粒入りじゃないところだけが惜しい。今度業者来たら言っておこう」

 そんなことを話している間に時刻は二十三時を回った。川島さんは早々にタイムカードを切り、更衣室へ向かった。

「なに、今日そんなことが有ったのですか?」連絡ノートを手にした関さんが尋ねてきた。どうやら真鍋の連絡事項を見たようだ。

「そうみたいですよ。この間大西さんもそのパンクロッカー風の男が不審な動きをしていたのを見たらしいですね」

「これが真鍋の最後のメッセージってわけか」

「死んだみたいに言うなよ」

「失礼。ピストルズの時代からパンクスの連中は何かに逆らい生きてきたからね。ちなみに俺はピストルズよりクラッシュの方が好きですけど」

 ラブが遠い目で語る。

「お、僕もクラッシュの方が好きですよ」

「さすが関さん、分かってますね。さすがリアルタイムで時代を目撃した世代は違いますなあ」

「ちょっと愛沢さん、僕そこまで年とってませんよ」

 ラブが関さんをからかっているところに五階でトイレ清掃を終わらせた真鍋が戻ってきた。

「連絡ノート見てくれました?」

「見た見た。もうこいつの好きにはさせないから、安心してここを卒業してくれ」

「本当ですか?」真鍋は間違いなく話半分で聞いている。

「兎にも角にもこいつ、マジで怪しいんで現れたら注意して下さいね」

「かしこまりました」関さんが答え、

「パンクスが怖くてバンドはやれねえよ」ラブが言い放った。

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