第107話 その頃イナリは、神楽殿
神楽が行われる本番前日、リハーサルが行われた。
今回もセンターを務めるのはタマモのタマだ。
家出をして、神楽の時しかプロキオンに戻ってこないくせに、いつまでタマモの座に居座る、恥知らずな奴だ。さっさと、辞めて、その座を私に明け渡せばいいものを、目障りで仕方がない。
「イナリ、少し遅れているわよ。ちゃんとついてきて」
何よ、さっきからその上から目線の注意は。あなたと私は同じ歳じゃない。タマモだからといい気になって。大体、後ろにいる私のことなんか見えないでしょうに。頭にくるわ。
あんたなんか本家の長女だから、たまたま、タマモをやってるだけでしょう。タマだけに、たまたまよ。プププ。笑える。
それに、代々、タマモを出しているのは、本家より、分家筋の方が多いんだからね。
あなたのお母さんの元タマモのアジ様だって、元々は分家の出身で、私のお母さんと従姉妹じゃない。大きい顔をしないでもらいたいわ。
「イナリ! やる気があるの? やる気がないなら他の人に代わってもらって」
「やる気はあるわ。私はね。ただ、普段練習に出てこない人と合わせにくいだけよ」
「ヨーコはちゃんと合わせられているわよ。自分の練習不足を人のせいにしないで!」
そういえば、今回から神楽を舞う三人目にタマの妹のヨーコが入っていたっけ。こいつもタマモを狙っているようだから気をつけないと。うかうかしていられないわ。
「お姉ちゃん。時間がないから、どんどんやろ」
「む。そうだな。もう一度最初から通しでやるぞ。イナリ、下手は下手なりに、人の足を引っ張るなよ」
「誰が下手だ!」
「お姉ちゃん……」
私とタマが度々衝突したが、リハーサルはなんとか無事に終わった。
タマの奴、言いたい放題言って、リハーサルが終わると涼しい顔して、さっさと戻っていきやがった。
全く、癪に触る。
「さて、私も帰ろ。あれ? あれはヤガト様」
私も帰ろうとしたところで、大公様の孫のヤガト様が、何人かの仲間を引き連れて神楽殿の裏手に入って行くのが目に入った。
「こんな所に何の用だろう?」
私は興味をひかれ、ヤガト様の後をつけることにした。
すると、神楽殿の裏手から地下に降りていくではないか。
「こんな所に下りの階段があったなんて、知らなかったわ」
ヤガト様達を追って、私も階段を降りる。
かなり降りた先が少し広くなっていて、そこからいくつもの通路が伸びていた。
通路の先がどうなっているかは、ここからではよくわからない。
「この通路の先にアンカーがあるのか?」
「はい、社を繋ぎ止めるため、太い鎖で繋がれています」
「それで、これがアンカーの解除装置というわけか」
遠目でよくわからないが、壁に何かレバーのような物が見える。
「はい、これを解除しなければ、社は鎖に繋がれたままで、浮き上がることはできません」
「それを知っているのはお前だけか?」
「私が発見して、まだ誰にも話していませんからね」
あ、あいつ、最近よく社にやってくる学者じゃない。
鎖とか浮き上がるとか何を言ってるのかしら……。
「よし、なら、俺がいいというまで黙っていろ」
「よろしいのですか? これが解除されないと、皇王候補は困ることになりますよ」
「少しの間、おとなしくしてもらうだけさ。俺がプロキオンの王になったら改めて呼び寄せて、その時はこれを解除して、うまくいくようにお膳立てしてやるさ。俺の権威を上げるためにな」
「発表を先延ばしにすると、それだけ研究が遅れてしまうのですがね」
「勿論、それ相応の見返りは用意しよう」
「そうですか。期待してますよ」
これは、あれだ、いわゆる、悪だくみという奴だわ。
どうしよう。皇王候補が困ると言っていたから、誰かに知らせた方がいいわよね。
ここは、気づかれないように静かに抜け出さそう。
私がそのまま後ろ向きに一歩下がった所で何かにぶつかった。
後ろには何もなかったはずだ。
慌てて振り返ると、そこには男が立っていた。
「キャー!」
思わず声を上げてしまった。まずいと思って、全力で駆け出そうとしたが、私は男に腕を掴まれ、逃げることができない。
「放して」
抵抗したが、とても敵いそうにない。
「なにごとだ! その女はどうした?」
ヤガト様にも見つかってしまった。
「そこで立ち聞きしていました」
「私、悪だくみなんか聞いていないわよ」
「お前は、イナリか。そうだな。お前は何も聞いていなかった」
「そうよ、何も聞いていないわ」
「そもそも、俺たちに会っていないし、ここにも入ってこなかった」
「私は何も見なかったし、リハーサルの後はそのまま帰ったわ」
「物分かりのいい奴は好きだぞ。そうだな。黙っていたらお前をタマモにしてやろう」
「私がタマモ!」
「その代わり、もし喋ったら」
「もし喋ったら?」
「これだ」
ヤガト様は首を手で切る真似をした。
命がないということだろう。
「決して喋りません!」
「ならいい。行け」
男が腕を離したので、私は急足で逃げ帰ったのだった。
もちろん、その後、そのことを誰にも告げることはなかった。
翌日は神楽の本番であった。
昨日のことが気になったが、私にはどうすることもできなかった。
話の様子から、皇王候補が困ることになるようだが、後で挽回の機会もあるようだ、大した問題にはならないだろう。
そう、自分に言い聞かせて本番が始まるまで、舞台裏に待機する。
「イナリ、顔色が悪いけど、大丈夫」
そうだ、タマモのタマならなんとかしてくれるかも。それに、今なら関係者しかいない。
「タマ……。あのね」
「あー。イナリさん。皇王候補の前で舞うので、緊張してるのですか。あちらに熱いお茶を用意しましたから、そちらで一服して緊張を解されてはいかがでしょうか」
タマと話そうと思ったら、小間使いの男が声をかけてきた。
「え、いや、私は……」
「さあさあ、どうぞこちらに(喋るなと言っただろ)」
小間使いの男は、ヤガト様の仲間だったようだ。
私は恐怖で声も出なくなってしまう。
「イナリ、何も心配しないで、ただ無心で舞えばいいのよ」
「ええ、わかったわ」
タマの言う通り、私にできるのはただ無心で舞うことだけだった。
それが、かえって良かったのか、本番でここ一番の舞ができたのだった。
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