透明な殺人鬼ゲーム 第1章 Vivere est militare.

Kバイン

第1話 選ぶな(1)

 男が目を覚ましたのは、昼とも夜とも分からない、広い無機質な白を基調とした空間の、中央よりやや左端の壁際である。男はそこにいる理由に覚えがなかった。最後の記憶はたまの休日のこと、いつものジャケットスタイルで街へ繰り出そうと靴を履いて――確かにドアノブを握ったのだが、その次に起こったことはどうしても思い出せなかった。


 (何だ、ここは?)

 男は鈍い頭の中の痛みを誤魔化すように眉を寄せると、自分がつい先ほどまで倒れていた場所の周囲を見渡した。


 そこにはすぐ前までの男と同じように横たわっている人たちと、その人たちを揺り動かしている人たち、それから大小さまざまなコンクリートに似たブロックが無造作に散らばっているだけだった。男はその光景に呆気に取られていたが、ともかく自分も何かしなくてはと思い立ち、その群れに加わろうと腰を上げたとき、何者かが男のジャケットの裾を掴んで引っ張った。


 (何だ?)

 反射的に男はその腕を掴んだ。身に覚えのない場所で後ろから触れられれば、誰もが警戒するだろう。男もそうだった。男の想像の中では、気味の悪い醜悪な女が膝立ちとなり薄汚い手で服に触れていた。だから男はその腕を振り払おうと腕を掴んだ。しかし、その腕は男が想定していたものよりも細かった。男が振り返ると、そこにいたのは子供だった。留紺色のだぼついたワンピースを着ていて、酷く怯えていた。


 「大丈夫? 君、どうしたの? 名前は?」

 男はこの異常事態に咄嗟に対応できていなかった。その子供の両腕を掴み、目線を合わせて軽く揺すった。それは誰もが取りそうな日常の、人間らしい行動であった。当然そこには筋書き通りの返答も想定されていた。しかし、男の意に反して、子供は大きく目を見開いて緊張気味にわずかに頷くだけで何も言葉を返さなかった。


 「君?」

 周りの人々が誰かを起こして、他の誰かがそれに答えているのを耳にしながら、訝しむように男は再び問いかけた。それでも、子供は返事をしなかった。男はふと考えると再び口を開いた。


 「Are you OK? May I have your name?」

 その言葉に応答して、子供は首を横に振った。


 「話せない?」

 子供の首が縦に動いた。


 周囲のざわめきは段々と大きくなっている。男は不思議とその中に加わる気分でなくなった。替わりにこの子供に興味を持った。自分の倒れていた場所から考えると、その子供が自分を起こしてくれたのだろう。男はそうとも考えた。事実、近くには他に人はいない。


 男はいつも持ち歩いているメモ帳とボールペンを取り出そうとジャケットの内ポケットに手を入れた。そこには目的の物の別にもう1つ、メモ帳とそう変わらないサイズの何かがあった。

 (何だ?)

 男がまとめて取り出すと、それは見かけないタイプのスマホだった。


 (そうだ。どこかに連絡を……)

男は元々持っていたスマホを取り出そうとジャケットの横ポケットに手を入れたが、そこにあるはずのものはなかった。連絡手段があるならばもうとっくに誰かが試しているはずであることに気付いた男は、この奇妙な一連の事象がこれ以上増える前にまずは目下の未知を片付けようと、子供にメモ帳とボールペンを手渡すと、再び「名前は?」と聞いた。


 『瑞葉』


 「みずは?」

 子供は頷いた。瑞葉はメモ帳にスラスラと素早くペンを走らせ、しかし、読みやすい字を書いて男に見せた。


 『名前教えて下さい。』


 「私? 私は――」

 男は瑞葉に名を告げようとして、ふと、考えるとペンを瑞葉に渡すよう手で仕草をして、受け取ったそれで『柘植廉』と書き込んだ。それから瑞葉の顔を見て、わずかな安堵の中に疑問符が浮かんでいるのを読み取った男は漢字の上に『つげ れん』とルビを振った。


 この短いやり取りの間に、その場に閉じ込められた全員がすでに起きていた。つまり、柘植が意識を取り戻したのは遅い方だった。起きたときに柘植の近くに他の人がいなかったのは、たまたま周りと離れたところにいたことと、誰かが誰かを起こした後に必ず行われる定番の質問のせいで、手が回らなかったことが理由だった。ともかく、柘植が瑞葉を連れて近場の集団に合流しようとしたとき、無機質な空間の上方2.5メートル付近の、左右と中央に数枚ずつ、やや斜めに傾いた半透明のモニターが現れた。





 天井近くに現れたそれに広間のどよめきがほんの一瞬だけ止んだ。しかしすぐに元の大きさとなり、一気にそれを越えた。騒然とした中、モニターに何かが表れることは多くが予想しているが、何が映し出されるかは誰にも見当がついていなかった。誰かが跳躍してモニターに触ろうとしたが、その手は空を切っただけだった。


 「ニニィです。よろしくね。みんなにはこれから、『透明な殺人鬼ゲーム』に参加してもらいます」

 突然、モニターから子供が子供をあやすような、甘ったるい口調の女性のような声が聞こえてきた。映っているのは頭身の低い、わずかに女性のような曲線を盛り込んだ、白と水色を基調とした人型のロボットのようである。場が静まり返った。


 「ルールを言うからね。あ、メモしなくていいよ。スマホからもチェックできるから」

 モニターの中のニニィは、話に合わせて指で長方形を形作った。その言葉と仕草に、何人かが全く同じスマホを取り出した。大多数は混乱してまだ何も状況を掴めていない。


 「えーっと、一、1日に1人、殺す人を決めて投票してね。そこにいる人数が半分くらいになるまで続くよ。匿名だから安心してね。二、点数、あ、点数のことは後で説明するからね、とにかく、その点数が一番多かった人は死ぬよ。三、死んだ人の一番大事な人も一緒に死ぬよ。たぶん、今、頭に思い浮かんでいるよね」

 殺す、死ぬと度重なる言葉に、『透明な殺人鬼ゲーム』という言葉を冗談と思っていた人たちは現実感を取り戻していった。現実感。現実なら、投票で人が死ぬなどあり得ないことだと思われるだろう。しかし、この場の異常さ、ニニィと名乗る声の声質、それから脳裏に勝手に浮かび上がらせられた大切な人の顔はそれを現実のものと認識させるには十分だった。


 「おい、待てよ! ここはどこなんだよ!」

 着崩した学生服の男子が叫ぶ。大半が知りたいと思っていることだ。近場にいた者たちが「そうだ!」と加勢し、また他の者も追従するように頷く。


 「話は最後まで聞こうね。四、一番点数の多い人が何人いても、さっきのルールは変わらないよ。五、自分にも投票できるよ。自己犠牲の精神だね。投票をしなかったときも自分に投票されるからね」

 しかし、ニニィはそれを相手にしなかった。その明らかに上位の者と思われる態度に、その男子はその勢いの行き場を失った拳を下ろし、それに連動するように周りの声も消えていった。話し声はニニィのものだけになった。


 「六、それから、1日に1人、守りたい人を決めて投票してね。こっちは自分には投票できないよ。もちろん、殺す人と同じ人に投票もできないよ。これも後で説明するね」

 もはや説明を妨げる者はいない。ある者は現実逃避している。ある者はこのゲームを制するために必要な情報を漏らすまいと聞き入っている。ある者はそれを聞いている他の参加者の様子をじぃっと観察している。ある者は、隣にいる人の服の裾を握っている。共通しているのは、なぜが誰一人としてそこから逃げ出そうとしないことだ。


 「七、さっき言ってた点数ね。投票数はね、自分のも相手のも毎日ランダムに同じ確率で1.0から1.9倍に、0.1刻みに変わるよ。例えばね、ある日のある人の倍率が1.7だったとして、倍率1.0の人たちに3票入れられたら、点数は1.7かける3イコール5.1の切り捨てで5点、その人が誰かに入れたら1.7の切り上げで2点。ちょっと難しいけれど、大丈夫だよね?」

 「それで、守りたい人の話だけど、ここで引き算をするんだ。さっきの例えの人が、倍率1.2の人たちに2票入れられたら、3ひく2で1、1かける1.7は、そのままだよね。それを切り捨てて、1点。ここまで大丈夫?」

 「自分の倍率が1.4以下のとき自分の投票は1点分、1.5以上のときは2点分、自分に投票された分全部を最後にまとめて、倍率をかけて、切り捨て。おまけだよ」

 モニターの中のニニィはおどけるようにVサインをした。


 「それから、追加ルールね。八、殖えるのは禁止だよ。前はみんな減るよりも早く殖えちゃって、ゲームが成り立たなかったんだ。あ、ちょうど、末広がりの八だね」

 ニニィが両手を使って8の形をとる。

 「九、続けて同じ人を選ぶことはできないよ。最後に、十。投票はその部屋でやるんだけど、もし時間になっても参加者が8割を超えていなかったらゲームオーバーね。10分前に閉まるから気を付けてね。ニニィとおしゃべりしたかったらスマホのアプリ『ににぅらぐ』を使ってね。ばいばい」

 ニニィがそう言い残すとモニターはブラウン管のスイッチを切ったときのような音とエフェクトを出して消えた。

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