吸血鬼はお経で成仏する

橋本洋一

第1話少し未来のこと

 実はこの世においては、怨みに報いる怨みを もってしたならば、ついに怨みのむことがない。 怨みを捨ててこそ息む。これは永遠の真理である。


 これは法句経ほっくぎょうという経典からの引用である。まあ要するに怨みに対してやり返し続けたらキリがねえって意味だ。怨みを捨てりゃあ争いごとは無くなるとは思うが、お釈迦様がどんなに説いたところで、悟りを得ない衆生は言うことを聞かない。


 個人的に戦うことは決して悪いことではないと俺ぁ思う。たとえば目の前で殺されようとしている人を守るのは、立派な行ないだ――いや、お釈迦様が言いたいのはそうじゃねえことぐらい分かっている。


 未だに悟りを得られそうにない、愚僧である俺――黒蓮寺こくれんじ信念しんねんが目の前で起こっている状況に対して、何のアクションもしなかったら、後々まで悔いることは確実だった。


 そう。目の前で美しき化け物専門の殺し屋と、漫画やアニメではありふれている吸血鬼が戦っている状況で、何もしないのは間違っている――


「――エルマ! しっかりしろ!」


 倒れ伏す赤髪の女性――エルマを抱きかかえながら、俺は電柱の上に立っている吸血鬼を睨む。こちらに襲い掛からないのは、あくまでも『狩り』を楽しんでいるからだ。奴の背後には力を増幅させる満月が見えていた。


「銀の弾丸が効かない……信念、逃げるんだ……」


 鋭い爪で切り裂かれたエルマは苦しみに喘ぎながら、俺に逃げるように言う。

 全身がたがた震えながら「お、お前を置いて逃げられるか!」とお決まりの台詞を吐く。


「くそ、どうしたら――」

「これを、使え……」


 エルマが差し出したのは、彼女の髪と同じ真紅の銃。

 日本では馴染みの無い人殺しの道具。


「君が助かるには、これしかない……」

「で、でも……」


 目の端で吸血鬼がこちらに『飛んで』くるのが見えた。

 選択の余地はないみたいだ。

 慌てて受け取り、吸血鬼に狙いを定めて――撃つ。


 月夜に響く爆音。痺れる腕と震える鼓膜。

 吸血鬼は家屋の塀に足をかけて、にやにやと笑っている。

 まるで『どこを狙っているんだ下手くそ』と嘲笑っているようだった。


 ふうっと溜息を吐く。養父に以前教えてもらったことを思い出す。

 何事も中道が大事である。緊張し過ぎないのも大事だが、落ち着きすぎないも大事である。


 その教えを胸に俺は再び吸血鬼に向かって照準を合わせる。

 奴がこっちに飛んでくる。今度は俺たちをやる気だ。奴は何故か銀の弾丸が効かないから。


南無大師遍照金剛なむたいしへんじょうこんごう!」


 思わず唱えたお経。

 そして銃弾が放たれた――

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