クラウン・スラッシャー

東泉真下

夜が終わり、新しい朝がやってくる。

ユウト 1

 ドロシーが、背もたれの大きな椅子に腰掛けている。

 ゆったりとしたナイフさばきで、卓上にある肉料理を、食べやすいように一口サイズに切り分けていた。

「何してるの?」

 部屋に戻ってきたユウトは、呑気に食器を動かしている彼女の姿を見て、思わず声を洩らした。

「何って、見ての通り朝食だよ」

 そう言って、ドロシーは切り分けた肉をフォークでとらえて口に運ぶ。お気に入りの三角帽子を、テーブルを挟んだ向かい側の椅子に掛け、服が汚れないように、丁寧に前掛けまで身に付けていた。

「のんびり食べてる場合じゃないよ。出発するなら、急がないと」

 もごもごと幸せそうに口を動かすドロシーを見て、ユウトは眉を寄せた。

 どうして、こんなに急いでいる時に、落ち着いて食事ができるのだろうか。呆れた様子で、ため息を吐いた。

「わかってるって」

 ドロシーに食事を中断する様子はない。

 それどころか租借を終えた肉を飲み込むと、次の肉をと、またナイフを皿の上に向けていた。

「別に今、食べなくてもいいじゃないか」

「だって、お腹が空いちゃったからさ」

「少しくらい我慢してよ」

 ユウトは、腹の虫が鳴り出しそうなのをこらえた。

「我慢ってのは、よくない言葉なんだ。ボクらの原動力は欲望を満たそうとする意志なんだからさ。自分の欲には素直じゃなきゃね」

 ドロシーは得意げな顔をしていた。いいこと言うでしょ?と言いたそうでもあった。

「君の場合は、欲を貪り過ぎなんだよ」

「そんなことないよ」

「あると思う」

「ないさ」

 ずい、と目の前に、フォークに刺さった大きな肉塊が差し出された。

「ほら、キミもお腹が空いているんでしょ。一口どう?」

 よく焼けた肉の香ばしい、いい匂いが鼻腔をくすぐった。空気を吸い込んだ途端、口の中に唾液が溢れてきた。それを、ごくりと飲み込む。

 我慢しろとドロシーに言っておきながら、実のところ、朝から何も食べていなかったのでユウトも空腹だった。匂いにつられ、お腹がくう、と小さな音を立てる。ドロシーの目が、ニヤリと歪んだのがわかった。

「我慢はよくないんだよ」

 囁くように、ドロシーが言う。

「いや、俺は食べないよ」

 目の前の肉に齧り付きたい衝動を抑えながら、ユウトは言い切ってみせる。

 ここで一緒に食事を始めてしまえば、ドロシーの思うつぼだ。彼女を急かしている言葉にも説得力が無くなってしまう。

 今は急いでいるのだから、そうゆっくりとしてはいられない。早いところ、何とか彼女を説得しなくては、と逸る気持ちばかりが募る。

 ドロシーは、我慢しなくていいのに、と笑い、再び食事に戻った。

 開けっ放しにしていた扉を閉める。

 部屋の中央の食卓テーブルで食事を続けるドロシーを横目に、ユウトは窓際まで移動した。

 窓の傍には、背の高い本棚が二つ、間隔を空けずに並んでいた。かなり年季の入った代物で、どちらも同じように、側面が日焼けしていた。姿形の似た物同士が、仲良さげに隣り合う様子は、兄弟のようにも見えた。

 本棚の兄弟、か。その言葉に、不思議とメルヘンチックな雰囲気を感じ取り、自然と口元が緩んだ。

 ふと、本棚にある一冊の本に目が留まった。

 赤い背表紙の分厚い書物だった。題名を見るに、歴史書か、何かの研究に関する本のようだった。

 本の題名が記されているその下に、ユウトの注意を奪った著者の名があった。

「アイシャ・ミスト」と、黄金色の文字は鬱陶しいくらいに目を引く。自らの名を輝かせるとは、なんて趣味の悪いやつだ、とげんなりする。

 そして、首を傾げる。聞いたことのない名前だった。有名人なのだろうか。

「アイシャって、誰だか知ってる?」

 ドロシーの方を振り返り、訊ねてみる。

「ひららーい」

 興味がない、といった調子で声が返ってきた。口に料理を入れたまま喋っていたが「知らない」と言ったのだろう。

 そっか、とユウトはもう一度、本棚に視線を戻した。さほど有名人でもないようだ。手に取り、一読してみようとも思ったが、やめた。

 ぐるり、と部屋中を見回し、そのまま窓の向こうに視線を泳がせた。

 山の端から離れ、高く昇った日の光が、ユウトと顔を合わせる。

 光は窓から斜めに差し込んでいた。おかげで灯りを点けずとも、室内はとても明るい。

 あれ、と思う。 

 先ほど確認した時には、この部屋を照らすほどではなかったはずだ。つまりそれだけ、時間が経っているということを意味している。

「もう昼じゃん」

 ユウトは内心で焦っていた。

「さっき起きたばかりのボクにとっては、まだ朝みたいなものだけどね」

 ドロシーに向けて言ったつもりはなかったが、急すように聞こえたらしい。すぐに返してきた。

「いや、君は起きるのが遅すぎるんだよ」

「だって、眠たいんだもん」

 カチャカチャと食器が触れ合う音が、静かな室内に漂う。ドロシーは焦った様子も、急ごうとする様子もまったく見せず、せっせと料理を口にしていた。

 緊張感がないというか、自分たちの置かれている状況と、これから、どう行動するべきなのかを本当に理解しているのだろうか、とユウトは不安になった。

「ねえ、なるべく早めに出発しようって言ったのは君だよ?」

 ユウトは、聞き分けのない子どもをしつける親のような目を、ドロシーに向けた。

「言った気がする」

 ドロシーは、ナイフを動かし続ける。

「なのに、いつまで食べてるわけ?」

「うーん、食べ終わるまでかな」

 ユウトは、また一つ息を吐く。それ以上、言葉は返さなかった。

 どれだけ急かしたところで、ドロシーが素直に食器を置き、その腰を上げるとはとても思えなかったからだ。

 付き合いこそ浅いが、この今もなお、黙々と食事を続けているドロシーという少女が、そういったマイペースで自分勝手な性格なのだということを、ユウトは見抜いていた。

 気分で発言し、前言の撤回などは得意技。とにかく周囲の都合などを気にも留めず、世界は自分を中心にして動いていると勘違いしているのではと疑いたくなるほど自己中心的な人物だった。


 ドロシーのことは、初めて出会った時から、不思議な人物だと感じていた。

 一人だけ生きている世界が違うかのような、他の人にはない独特な雰囲気があった。話が噛み合わない時だってあるし、何を考えているのか、いまいちわかりづらい。

 そして、何か大きな秘密を隠しているようでもあった。それも、ユウトに関係している重大な秘密だ。

 未だに食事を続けているドロシーを見る。

 もう一度、声を掛けようかと迷う。確かに気分屋ではあるようだが、物事の重大さを見抜けないほど、とぼけた性格をしているわけでもなかった。ただ、何を考えているのか、その一点が読めないだけなのだ。

 ドロシーと目が合う。何か言おうとして、諦めた。

 彼女の顔を見ていると、大切なことを思い出せそうな気がして、言葉が出てこなかった。

 記憶の中の霧がかかった部分を必死に探る。

 ドロシーと初めて出会った時から、彼女の姿を見た時から、この不思議な感覚はあった。初対面のはずなのに、なぜか遠い昔から、彼女のことを知っていたかのような安らかな感覚。

 思えば、ドロシーにも似た様子はあった気がする。初めて出会った時、彼女は何と言っていただろうか。

 ドロシーとの出会い。

 それは、つい昨日のことだった。

 ユウトは記憶を探るようにしながら、そっと目を閉じた。




 ――――




 ユウトが目を覚ますと、そこは日の光さえ満足に届かないほど暗い森の奥深くだった。

 村の周辺の森を探索している途中で、いつのまにか気を失ってしまったらしい。視界の中には見知らぬ少女の顔があるという、おかしな状況に置かれていた。

 少女は、宝石のように輝く瞳と、綺麗な長い髪が特徴的な可愛らしい容姿をしていた。

 つばの大きな三角帽子を被り、黒いローブを纏ったシルエットは、おとぎ話に出てくる「魔女」を彷彿とさせる。

 そんな名も知らぬ少女の膝に、ユウトは頭を預けて寝そべっていた。

「おはよ。よく眠れたかい?」

 少女が口を開く。まるで付き合いの長い友人に掛けるように親しげな、そして、温もりの感じられる声だった。

 幼い女の子のような顔立ちだが、落ち着き払った様子は子供と決めつけるにはどこか違和感がある。

 かと言って、雲一つ見えない晴天のように澄んだ瞳は、邪な感情などとは一切無縁の純粋に世界を見ている幼い子らのそれと同じだ。

 少女と大人の女性のちょうど中間の層にあたる年頃のように思えた。

「誰、ですか……?」

 恥じらいと困惑の念が混じった声で、訊ねた。なぜこんな場所にいるのか。眼前の少女は誰なのか。そして、なぜ膝枕をしてもらっていたのか。

 頭の中では、様々な疑問が飛び交っていた。それらすべてを一度に問い正したい気分だったが、口をついて出た言葉は、相手の名前を訊ねるものだった。

 少女は、ふふっと小さく笑うと、ユウトの体を起こす。そして彼女も同じような体勢で向き合うように座り直した。

「ボクの名前は、ドロシーだよ」

「ドロシー」

 初めて聞いた名だったが、どういうわけか懐かしさのようなものを感じた。

「キミの名前は?」

「ユウト、です」

 咄嗟に名乗ってしまう。

「知らない人の言うことを聞いては駄目だ」と幼い頃から、村長のガルラにしつけられてきたのだが、今日、初めてその言いつけを破ってしまった。

 立派な白い顎鬚を触りながら、くどくどと説教を垂れるガルラの強面が目に浮かんだ。ユウトは心の中で彼に謝る。

「そっか。よろしくね、ユウト」

 ドロシーが微笑む。辺りが暗いせいで見間違えたのかもしれないが、彼女の表情には、どこか寂しげな感情が宿っているように見えた。

 混乱した様子を隠せないまま、ユウトは「よろしく」と返す。

 立ち上がり、辺りを見回した。背の高い木々に囲まれた、円形の狭い空間にいた。

 やはり森の中のようだった。生い茂った植物と森の暗がりが妙な圧迫感を与えてくる。狭くてじめじめとした場所だった。

 風に揺れてざわめく草木が、二人を追い払おうとしているようだった。枝葉を激しく振りながら、この森から出ていけ、と叫ぶ。そんな森の怒鳴り声が聞こえた気がした。

「とりあえず移動しようか。ここより安全で、いい場所を知ってる」

 ドロシーと名乗った少女が隣に立った。

「俺を、どこかに連れて行くつもりなの?」

 ユウトが警戒し、彼女から距離を取ると、「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ」と、ドロシーはけらけらと笑った。

 何がそんなにおかしいのだろうか。ユウトは、彼女のことが不気味で仕方なかった。

「君は誰なの?」

「ドロシーだよ」

「それはわかったけど、その、知りたいのは名前だけじゃなくてさ」

「まあ、色々と混乱しているのはわかっているよ。いつかさ、ちゃんと全部、説明してあげる。ただ、今はボクを信じてついてきてほしい。キミにとって悪いようにはしないって約束するからさ」

 怪しげなセリフを吐く少女だったが、その目は真剣だった。

 何やら秘め事があるような雰囲気ではある。が、彼女が嘘をついていたり、騙そうとしているわけではないことが、なぜかユウトにはわかった。

 この少女は確かに怪しいが、本当のことを言っている。自分に危害を加えるつもりはないようだし、いつまでもこんな薄気味悪い森の中にいるのも嫌だった。せめて、この森から出るまでは彼女について行ってもいいのではないだろうか。ユウトは、そんなことを考えていた。

「まあ、どちらにしても、こんな危険な場所にいつまでもいるわけにはいかないんだけどね。さあ、日が沈む前に行こう」

 ユウトの考えを見透かしたように、ドロシーは言う。ユウトは口を開けていた。

「うん、それもそうだ。じゃあ、安全な場所までエスコートを頼むよ」

「まかせてよ」

 そう言って、ドロシーが揚々と茂みを掻き分け、その向こうへと足を進めた。

 ユウトもドロシーの後に続いて歩き始めた。


 


 ――――




 やがて、ドロシーが最後の一口を終える。

 几帳面に食器を並べると、そこでようやく席を立ち、向かいの席に掛けてあった帽子を取って頭に被せた。それから、準備万端といった様子で、よし、と意気込む。

「おまたせ。随分と待たせてごめんね」

 随分と待たせた、とはまったく思っていないような顔だった。

「絶対、今ここで食べる必要はなかったでしょ」

「まあまあ、そんなことよりさ」

 そんなことより、とドロシーは顔を上げた。邪な部分が一切ない澄んだ瞳が、まっすぐにユウトの顔をとらえていた。

「ユウトの方はどうだったの?何か有力な情報は見つかった?」

「いいや、何も」

 ユウトは肩をすぼめて、首を横に振った。はぐらかされたような気もしたが、そんなことを指摘している場合でもなかった。

「騎士の人たちが出払っている今こそが好機だと思って、色々な部屋を見て回ってみたんだ。でも特に収穫はなし。あとは、この部屋をもう少し調べてみようかと思って戻ってきたんだけど」

「ボクがモーニング中だったんで、呆れてしまったって感じ?」

「そんな感じ」

 なんだ自覚はあったのか、とユウトは言いかける。

 室内を見回した。

 部屋は、一人で過ごすには広く、天井が高い。大きな宝石が埋め込まれた豪華なフレームが目立つベッドや、凝った装飾が施されているクローゼットが目を引くものの、他にはこれといって高価なものは見当たらなかった。

 初めにこの部屋に忍び込んだ時も、城の中にある部屋にしては、かなり大人しめな内装だな、という印象を受けたことを思い出した。

「そうだ。さっき、この城を探索している時に見つけたんだ」

 ふと、ユウトは思い出したように言った。

「見つけたって、何を?」

「地下牢だよ」

 ドロシーが、きょとんとした顔でユウトを見ていた。

「すごいよね、ほんとにあるんだよ。おとぎ話の中だけだと思ってたけどさ、捕まえた罪人なんかを捕えておく牢獄みたいなところが」

 宝物を見つけた少年のように、あるいは夢を語る若人のように、ユウトは目をキラキラと輝かせていた。

 呆れていたのか驚いていたのか、ドロシーは物思いに耽っているように、空中の一点を見つめていた。

 それから、しばらく間をおいて。

「それで、キミは入ってみたの?その地下牢とやらに」

 ドロシーは珍しく興味を持ったようで、そう訊ねてきた。

「うん、ちょっと見てみようと思ってさ。ただ、地下牢に続く階段の途中までしか行けなかったんだ」

「行けなかった?」

「人の気配があったんだ。地下牢に誰かがいたみたいで」

 知らない女の子の声が聞こえてきた、と続けると、ドロシーが、へえ、と適当な相槌を入れた。

「それって、捕まった罪人とかじゃないの?」

「うん、そうかも。でも少ししたら階段の方に向かってくる足音が聞こえてさ、慌てて引き返してきたんだ」

 ユウトは手振りをして見せ、大げさに表す。君がのんびりと食事をしている間、こんなにも忙しくしていたんだと暗に伝えようとした。

「勘付かれて後をつけられたりしてないよね?ボクたちが、この城に忍び込んだことがバレたら、ちょっと厄介なことになるよ」

「それは、大丈夫だと思う」

 ユウトが大丈夫だと口にした、まさにその時だった。

 扉の外から一定のリズムを持った音が聞こえてきた。廊下を駆ける何者かの足音だとは、すぐにわかった。

 足音の主に落ち着いた様子はない。慌ただしく床を蹴り、まるで侵入者を追いかけるような勢いで、ユウトたちのいる部屋に近づいて来ていた。

「言わんこっちゃない。ほら、さっさと帰るよ」

 ドロシーが、足元に向けて手を開く。

 その瞬間、奇妙な文様の映った巨大な魔法陣が床いっぱいに広がった。そこから溢れ出た白い光が二人の体を包み込んだ。

 ドロシー曰く、特別な力だそうだ。

 空間を飛び越え、どこへでも移動することができる力である。らしい。この城への潜入にも使用したが、あまりの離れ業に、言葉も出なかったことはよく覚えている。

「忘れ物とかしてないよね」

 ドロシーが言う。どちらかというと、君の方が忘れそうだけど、と言いかける。

「うん、大丈夫」

「よし、それじゃ飛ぶよ」

 ドロシーの声を合図に、白い光が輝きを増した。

 部屋の扉が勢いよく開いた音がした。しかし、ドロシーの魔法の方がわずかに早かった。

 次の瞬間、ユウトの視界は真っ白な世界に覆われた。

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