サーカス

メンタル弱男

サーカス


 最後にサーカスを見たのは、中学三年生の時でした。

 

 家から車で少し行った所にあるショッピングモールの駐車場で行われていたそのサーカスは、どこか別の国に来たような、あるいは、別の時代に来たような、そんな気持ちを起こさせる雰囲気がありました。いつもは殺風景なその場所には、目眩がするほどの人の波。声はどっと、壁のように押し寄せて、僕はもう『帰りたい、帰りたい』と呟いて暗い顔ばかりしていました。


 その頃の僕は、何かを素直に楽しむことが苦手だったのです。自分の望んでいるものが手に入りそうになると、それを突然、突き放したくなるようなあの感覚、衝動、、、。本当はどうすれば、何を選べば、自分が楽しく幸せになれるか、なんとなく分かっているのにその逆を行きたがる。簡単に言えば天邪鬼でした。そういった感覚が付き纏っていたのは、青春時代に特有の『自分は特別だ』という単なる自惚れのためだったのかもしれません。しかし、実際はどうだったのか、、、。

 

 その日もそうでした。家を出る前からずっと不機嫌で、ともするとこのまま家にこもったままなんじゃないかと思われるくらい、ムスッと黙り込んでいました。父親が休みで、珍しく親子3人揃っての外出なのに、本当に愛想のない、ふてぶてしい子供でした。サーカスへ行く事になったのは、確か祖母がスーパーかどこかの懸賞で当てたチケットを譲ってくれたからだったと思います。家族の楽しみ。祖母の優しさ。そしてサーカスという皆が一体となる空間。これだけの条件が揃っていて、もう僕にとってはこれ以上ないと言える程の天邪鬼日和だったのです。


 しかし、僕のもっとタチの悪いところは、その天邪鬼の具合が実に中途半端なところでした。『あえてこの道を選ぶんだ』という衝動は確かに僕の心をぐっと掴んでいるのですが、『やっぱり幸せになりたい、、、』という純粋な思いが心の底で渦を巻くように漂っているのです。サーカスに行くのか、行かないのか、天秤にかけてはみたものの、どっちつかずのまま揺れ続けた僕の心は、長く悩んだ末、結局サーカスへ行くことを選びました。ただ、眼鏡は持っていかないという、変なところで余計な意地を張りながらではありましたが、、、。


 僕は中学校に入った頃から目がどんどんと悪くなり、その頃は普段から眼鏡をするぐらいになっていました。なので、眼鏡を持っていかないということはつまり、『サーカスへは行きますが、しっかりとは見ません』というふてくされた、しかし悲しい純粋さを秘めた、いかにも僕らしいと自分で思えるような意思表示なのでした。したがって、僕の心の中で激しく流転する二つの欲求を捉えることが出来た訳ですが、それは同時に、どちらも十分には満足できない事を意味していました。


 父親が運転する車、その助手席には母親、その後ろにはサーカスなんかに興味ないと、何に対して抗っているかも分からぬまま、つまらなそうな顔をしてぼんやりと外を眺める僕。信号にはほとんど引っかからず、どんどんと近づくサーカス会場を思い描いては、暗い想像ばかりが頭を埋め尽くしました。冒頭に書いたのは、会場に着いてサーカス小屋に入るための列に並んでいた時の事です。

『僕、眼鏡持ってきてないから』

 すると母が『何してんの?アホなんちゃう?』

一言一句間違いなく、僕は確かにアホでした。というのも、ここへきてなぜか突然、眼鏡を持って来なかった事を後悔し始めたのです。この『後悔』こそが僕を表現するのに最も適した言葉なのではないかと思うのです。心の中でなんとか均衡を保っていた欲求は大きく傾き始めて、自分自身にも裏切られた気分でした。そして、祖母や両親の、優しさも裏切っていたので、僕はすべてから切り離されたような孤独を感じました。今思えば、これもとんだ自意識過剰なのかもしれませんが、その頃の僕はすぐに孤独や寂しさを感じていたものです。

 泣きたくなるような、胸が絞られるような、もう取り返しのつかない事をしてしまったという思いが拭いきれないまま、ゆっくりと列は進んでいきました。

『楽しみだねえー、お母さん!』と前に並ぶ5、6歳くらいの女の子が、何の屈託もない笑顔でお母さんの顔を見上げながら、はしゃいでいました。その時に一枚の写真が頭に浮かびました。それは僕が幼稚園の頃に親に連れて行ってもらったサーカスでの写真で、家族3人とサーカス団が一緒に、看板の前に立って写っていて、これ以上は無いというくらいの笑顔を浮かべた小さな僕が真ん中にいるのです。そのサーカスの事はうっすらとした記憶しか無いにもかかわらず、その写真の中の自分が今の自分とあまりにもかけ離れていて、ここまで落ちぶれてしまったのかという強い印象が頭を締め付けました。あの頃の僕、というよりも小学生くらいまでの、心の中が透明であるような感覚はどうなってしまったんでしょうか?心の底から湧き立つ欲求をそのまますくい上げるような素直さは、自分の成長とともに濁ってしまいました。そしてそれを自分に原因があると認められず、なんとなく周りのせいにしていたのも恥ずかしくなります。本当にこれが自分の運命だと感じる事も、変えようともがく事もなく、ただ天邪鬼でいる事だけが自分を正当化できるような気がして、そういう意味では自惚れていたという事以上に、自分に対して嘘をつく事に必死になっていただけなのかもしれません。


 頭の中で後悔がズキズキと膨れ上がりながら列はゆっくりと進み、いよいよ中に入った時、『すごい』と、何がすごいか理解できないまま声を漏らしてしまうほど、圧倒された事を覚えています。何がどう繋がっているのか分からなくなるような現実とは掛け離れた空間が目の前にあり、そしてその縁に自分が座っているという不思議な嬉しさがありました。


 そして沢山の人が席を埋め尽くし、静かな期待が震えるようにステージに集まりました。照明が消えて薄暗くなると、いよいよ始まるのだという実感が強く湧きました。アナウンスと共に一気に静まる観客席。

 大きな合図と共に、目の前が一気に明るく輝きました。


 まるで映画の世界に入り込んだかのような迫力でした。躍動感と熱気と、普段味わうことのできないものが沢山生まれる空間。どこを切り取っても素晴らしい。一瞬一瞬がそれだけで成立する芸術でした。

 ただぼんやりとしか映らないその景色に、涙を流しました。美しくもあり、そして何より悲しかったのです。ぼやけて滲んだ色とりどりの光に、淡い願いを込めました。


 素直に生きていきたい、と。


 眼鏡一つ。しかし大きな後悔となって、僕の記憶に強く刻まれています。ただ、あれから10年経った今でも僕は相変わらず天邪鬼です。なかなか人は良い方向には変われません。


 だからこそあのサーカスは、僕の人生のテーマになったのです。

 

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サーカス メンタル弱男 @mizumarukun

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