第4話 age.25 共働きが辛いのは何故でしょう

 三年目社員となった頃のある日の夕方、別フロアの営業サポート課へ書類を回しに行くと、何かを謝っている声が聞こえた。ここの部署は新卒は多くないから、そんなに叱ったり叱られたりというようなことはないはずだが、と思って声の方に目をやる。


「すみません、子どもの保育園のお迎えがあるのでお先に失礼します。申し訳ありませんが、よろしくお願いします!」


 ある女性社員が、肩にかけた鞄の紐を強く握って、逃げるように早足で事務所を出て行った。

 新卒で配属されたの時、上司に得意げに言われた言葉が頭の中に蘇った。


 "今は男女平等の世の中だし、うちの会社は恵まれているよ"


 "恵まれている子育て中の女性"は、私から見ると必要以上に謝罪の言葉を発しながら帰っていった。これが、男女平等なのか。仕事と子育ての両立が図りやすいということなのか。女性も同様に活躍しているということなのか。私がある種の絶望を憶えている傍ら、追い打ちをかけるように彼女が去った後に同僚からの言葉が投げつけられる。


「あーあ。いいな~、俺も帰りたいよ」


 何気ない独り言だった。

 発した男性社員には悪気はなく、ただ心に浮かんだ言葉を言っただけだと思う。しかし、これも私にとっては強烈に忘れられない発言となった。



 後日、件の女性社員とは別の、子育て中の知り合いの女性社員に疑問をぶつけてみた。


「どうして、そんなに申し訳なさそうにするんですか? 会社だって子育てしやすいって対外的にも強くアピールしてるのに」

「うーん、円滑に進めるためには必要なんだよね。堂々と帰ると、『仕事押し付けて帰るくせに偉そうにしやがって』とか言われちゃうし、押し付けてるのは事実だしね」

「でも、それが押し付けてるってことになるんだとしたら、会社側の仕事の組み方こそ見直すべきなんじゃないですか? 夕方じゃなくて午前中に業務を集中させるとか」


 だんだんと会社という場所が理解できてきて、組織のアラというものが目につきやすい時だった。思い描いていた世界と現実の世界のギャップを目の当たりにして、しかしそこから目を逸らせなくて、フラストレーションばかりが溜まっていた。


「山口さんの言いたいことはわかるよ。平等とか両立とか、根幹の仕組みや意識から変えていかないと意味ないって私も思ってる。でもね、この会社の現状は、"今までの枠組みに、異端者を受け入れてあげてる"って状態なんだと思う。だから元々築き上げられてきたものはあまり動かなくて、そこに食い込んでしまった"子育て"をする側が感謝してしかるべきであって、従来の仕組み通りに動く側は、場所を与えてるだけで十分配慮してる、優遇してるって思ってるんじゃないかな」

「……お互い、我慢してやってる、みたいに思ってるんですかね」

「うん、そうかもね。過渡期なんだよ、たぶん。若い世代が頑張っていけば、十年後は違うと思うよ。山口さんも、頑張れ」


 ……十年後? 十年後、かぁ。


「松本さんだって、若いじゃないですか」

「いやいや、私は頑張る余白が今はなくてさ」


 三十代になったばかりの彼女は、毎日の生活をなんとかこなすだけでいっぱいいっぱいだと語った。朝起きて、子供を着替えさせてご飯を食べさせて保育園に送り、会社に着いて休憩なしで仕事をこなし(夕方に定刻に帰るために集中するそうだ)、会社を出て電車に乗りながら夕飯を考え、最寄り駅で買い物をして保育園に迎えにいき、家に帰って夕飯を作って食べさせてお風呂に入れて、翌日の支度をして寝かしつける。自分がそこで寝なければ皿洗いや部屋の掃除をするそうだが、子供と一緒に寝落ちすることも多々ある、と笑って言った。お風呂とかお皿は旦那が気付けば洗ってくれるし有り難いよ、と添えて。


「そ、壮絶ですね」


 確かに、余白がなさすぎる。


 その状態で情報収集をして組織変革のために働きかけるなんて、とてもできる気がしなかった。


 十年って、長いなぁ。その頃に会社の空気が変わったとしても、正直恩恵を受けれるのは次の世代になるのかな、などと三年目の私は考えていた。この問題は、自分が恩恵を受けたいタイミングには叶わないかもしれないから、だから積極的に働きかける人が少なくて、今やり過ごすことを中心に考えてしまうのかもしれないな、と思った。

今思えば、十年後でも自分たち世代も現役で子育て真っ最中になりえるとわかるものだが、この時の私にとっては、十年後は遠すぎる未来だった。


 私は、松本さんのように仕事をできる気がまったくしなかった。――したいとも思わなかった。


 身近な人に「ああはなりたくない」って思ってしまうのは、とても失礼なことだとはわかっている。だが、個人としては好感を持っているが、やはり同じようにはなりたくないとの思いが拭えない自分がいた。

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