からくり怪談
嶋田覚蔵
第1話 顔
「アパート探すときは、ネットの情報だけじゃヤバいって。最後に決断する前に、やっぱ、一度はちゃんとその物件に行ってみなくちゃ。行ってみないと分からないことっていっぱいあるものさ。そうしないと、オレみたいに失敗するよ」
そう言うと、男は心底怯えているようで、ブルブルルッと大きく身震いした。
「オレはあの時、とにかく東京から逃げ出したくて、多少土地カンがある千葉の周辺で部屋探してたの。そうしたら市川に格安の物件があって、ソッコーで契約したってわけ。家財道具っていったって、テレビと冷蔵庫と電子レンジと布団一式くらいだから、軽自動車借りて、ひとりで荷物運んで、ひとりでクルマ運転して、一回で終わり。貧乏なんで身軽なのは、こういう時気楽だよね」
男はそう言うとふてぶてしそうにニヤリと笑った。顔は笑ったのだが、体はまだ、小刻みに揺れている。
「荷物を家の中に入れると、その日はなんだか疲れちまって、近くのコンビニで弁当買って、それ食ったら眠くて眠くて。それで布団敷いて、7時くらいに寝ちゃったの。それで夜中の0時頃だったかな、女の人が泣いている声で目が覚めて、目は覚めたけど体が動かなくって、『ワアッ、金縛りだっ』て思ったの。で、目玉だけは動かせたもんだから、部屋の中見回したら、壁の一部でボウっと青白く光っている箇所があったの。最初は、まだカーテンも取り付けてなかったから、どっかから明かりが差し込んでいるんだろうと思ったんだけど、よくよく見てみたらそうじゃなかったの。人の顔が壁に浮き出ていて、それが青い光を出してたの。それでその顔が、なんか泣きながらブツブツひとり言を言っているんだよ。いやあ、アレはキツかった」
どうだ恐ろしいだろう。同意を得たいのか男は一瞬間を置いた。そして私の反応があまりにもそっけなかったので、少し不満げな顔をした。
「で、体の金縛りがなかなか解けないものだから、その浮き出た顔、たぶんどこかの婆さんの霊だと思うんだけど、ナニを言っているのか確かめようと思ったの。話をちゃんと聞いてあげたら、金縛りが解けるかもしれないし」
男はそこまで話すと、のどが渇いた。水が飲みたいと言う。だいぶ興奮してしゃべっているからしょうがない。湯呑に水道水を注いで、飲ませてやった。
「それで、耳を澄まして婆さんの霊が何を言っているのか聞いているとしきりに『悔しい、悔しい』と呻いている。それでいつまで経っても『悔しい』ばかりでラチが開かないから、気が短いオレはつい『婆さん、ナニがそんなに悔しいんだい』って口に出して言っちゃったの」
どうも男は自分を凄い人物だと思わせたいようだった。チロチロとこちらの反応をうかがってくる。
「そうしたら、婆さんの霊はポツリポツリと話し始めたの。『私は夫を病気で早くに亡くして、女手ひとつで男の子をふたり育てたの。で、苦労してふたりとも大学まで出してあげて、これでひと安心と思ったんだけど、ふたりが結婚すると、その嫁たちと折り合いが悪くなっちまって、年寄りの私がまるで子供みたいに家出して、この部屋でひとり暮らしを始めることになったんです。わずかな年金と、オフィスビルの清掃のアルバイトのお給料で、まぁ、豊かではないけれど、まぁまぁの暮らしはできる。そんな予定だった』って言いだすの。俺はびっくりしちまったよ。どっかの婆さんだと思っていたら、オレの部屋の前の住人だったなんてな」
そこまで言って男は水をもうひと口飲んだ。そして真顔で質問してきた。
「ねぇ、この世に本当に貧乏神は居るって思う。その婆さんの霊が言うには、オレの部屋には貧乏神が住んでいるんだってさ。『予定では、問題はないはずだったんだけど、仕事をし始めるとすぐに、階段で足をくじいてしまって、仕事はできなくなるし治療費もけっこうかかるしで、あっという間に少しばかりの貯金がだいぶ減っちゃった。そのうえ親戚で不幸が続いていろいろ出費がかさんで、1ケ月くらい経つと、足はだいぶ良くなったんだけど、もうひとつバイトを増やさないといけなくなっちまった。この部屋に住んでからロクなことがない。きっとこの部屋には貧乏神が住んでいるんだ』ってさ。引っ越した当日に、こんな話を聞かされて、オレは本当に弱っちまった。引っ越しで有り金全部使っちまったから、すぐにまた引っ越すわけにもいかない。どうしようって思ったよ」
「こっから先が凄いんだぜ」男はそう言いたそうに私をギラギラした目で見つめる。私はそんな目線にはひるまない。冷静にペンを走らせるだけだ。
「そこでオレはひらめいたんだ。この婆さんの霊は、霊だから怖いことは怖いけど、言っていることは普通の婆さんと変わらない。もしかして脅してやれば、オレが怖くなって逃げだすかもしれないぞってね。それで婆さんにオレの本性を教えてやることにしたんだ。『そうかい。この部屋には貧乏神が住んでいるのかい。でもオレはそんなのちっとも怖くない。オレは強盗の常習犯で、この間も押し入った店の人間をひとり殺して逃げているところなんだ。もう落ちるところまで落ちたのだから、貧乏神くらい怖くないんだ』ってね」
どうだいオレの話は面白いだろう。男は調子に乗ってしゃべり続ける。
「そうしたら、婆さんの霊が『アンタはそんな悪い人間なのかい。驚いちゃったね。で、どんな人を殺したんだい』って聞いてきた。婆さんってのは霊になってもまだ、おしゃべり好きは治らないらしい。オレの話にグイグイと引き込まれているようだった。それでオレは詳しく話してやることにした。1か月前、日比谷の高級レストランで起こしたオレの強盗事件の一部始終をね。『オレはね、怖いもの知らずでケンカっ早いんだ。このあいだレストランに押し入ったときも凄かった。オレは大胆にもレストランがまだ営業している時間に押し入って、客のひとりに包丁突き付けて、店と店にいた客全員に持ち金を全部ださせたの。それで押し入って5分もしないうちに仕事を済ませて、さあ、逃げようとしたら、レジ係の婆さんがオレの足にしがみついてきた。よせばいいのに、やせ細った小柄な婆さんが、何もできやしないのに。オレはしがみついてくる手を振り払おうとしたんだけど、婆さんは必死になって抵抗する。まごまごしてると警察が来ちまう。オレは仕方なく婆さんの首をザックリと、サバイバルナイフで切ったんだ。その時その婆さんはギャーッって、とても嫌な叫び声をあげた。それは、本当に嫌な叫び声だった。今でもその声が耳に残っている。それで翌朝テレビで、その婆さんは病院に担ぎ込まれて死んだってニュースをやっていたよ』ってね。その話をしたら婆さんの霊がメソメソ泣き出して。オレは『どうしたんだい婆さん。なんでそんなに泣くんだい』っては聞いたの。そうしたら、
『悲しくって泣いているわけではないの。うれしくて泣いてるのさ。だってこんなに早くカタキと出会えたんだもの。そうさ、アンタが殺したっていう婆さんってのは、私のことだよ』って、そう言うともの凄い形相になった。
オレは何度も命のやり取りをしているから直感で分かるんだ。『これはヤバいぞ』ってね。それで気が付くと、もう金縛りは解けていたんで、靴も履かずに家を飛び出して、行く先もないし、もう怖くなっちゃって駅前の交番に駆け込んだっていうわけさ」
男はその婆さんの霊の恐ろしい姿を思い出したのか、再びガタガタと震えだす。そして震えながら私に、「ねぇ、刑事さん。霊に脅かされて自首するなんて馬鹿な奴は珍しいだろう」と聞いた。私は容疑者とは、できるだけ事務的に接するように日ごろ、心がけていて、男にもできるだけ事務的に答えた。
「いや、そんなことは珍しくないよ。殺人事件だとよくある話さ」
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