第31話 パン種がなければパンは焼けないもんだってよ(がらんどうの春に)
久しぶりの更新でございます。
二~三月は本業がひたすら忙しく殆ど書くことをしていませんでした。
それはまあ例年の事でもあり、四月になったらまた書こう、ぐらいに思っていました。
で、四月になり時間的にはようやくゆとりが出てきたものの、現時点では何も書いてない状況が続いておりました。
そして、既に五月に突入しております。
スランプ云々の話は既に過去にやってるので今回はそれを蒸し返すつもりはございません。
そもそも、これはスランプなのかと思うのですよ。
スランプとは「書きたい」あるいは「書かなければ」という意識がある中で書けない事への葛藤であろうかと思います。
ところが、現状自分の中にそのような葛藤が存在していないのでございます。
書けないこと、書かないことにそれほど焦りというものを感じていない。
二月頃にはまだ「早く書きたい」という欲求は確かにあった気がします。
「あの続きをやろう」とか、いくつか考えてはおりました。
ところが、今はそれがまるでなぜか憑き物が落ちたかのようにすっかり消えてなくなってしまっているのでございます。
それがこれまでのスランプとは違うと感じるところでしょうか。
そのイメージを例えるならば、かつて「あんな場面を、こんなセリフを」と、書きたいものがドロドロとした塊となって溢れていた頭の領域がすっかり片付いてしまい、がらんどうのだだっ広い場所にポツンと座っている、そんな感じがするのであります。
さて、これはどのように解釈すべきなのか。
書くこと自体に興味が無くなった……てことはない、と思いたいところです。実際、小説ではないこのエッセイについては書こうと思えば書くことは出来ています。
そうなると、やっぱり小説の元となるあのドロドロの塊の喪失というものが原因なのかもしれません。
いや、ドロドロ自体が完全に消えたわけでもないのですが、何か薄いというか、文字に書き出すほどの強度がないように思えてしまうのでございます。
※※※
アタクシが勝手に心の師匠と思っているある作家の方(故人)が、晩年身体を壊した際に身内から酒を控えるよう言われた時、「自分はアルコールと妄想だけで生きてきたのだ」と言って生活を改めることはなかったそうです。
おそらくその作家の方にとって小説というのは自分の内に生まれた妄想を言葉で綴る行為だったのかもしれません。そしてその妄想を滾らせる燃料がアルコールだったのでしょう。
妄想というと語弊があるかもしれませんが、美しい恋愛でも性癖グチャグチャの物語でも、作者の頭の中にあるうちは等しく妄想なのではないかと思うのです。
実際、アタクシが文字で書き続けてきた物語も、その元になってきたのは妄想という名のドロドロの塊だった気がします。
なんというか、パン種がなかったらパンは焼けないように、妄想ががらんどうになった今の状態では小説を書くことはできなさそうだなぁ……と、ボンヤリと思い至っております。
※※※
さて、そんなワケでしばらく小説をカクのを休むことにしました。
それがどのくらいになるのか、そして再び小説に対して何かが沸いてくるのかこないのか、今は何とも分かりませんがとりあえずは小説以外でやってみたかった事、そして「ヨム」方でやってみようと思う事をいくつか始めようと思っています。
まぁ、悩んで立ち止まる位なら別なやれることやってまえ、という根っからのテキトーな性分ゆえなのですが、この世界にはオモロイ事が多すぎて寿命が三百年位あればいいのにと思う次第であります。
というわけで、これを目にして頂いた方の創作の筆が進む事をお祈りしつつ、一旦お暇いたします。
いずれ、また。
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