その願いは少女のために

人新

第1話 私は、また忘れていく

 ―――停滞している人はもう何も動かすことができないんだ。


 言わば、そこにただひたすらに佇んでいて。依然として存在する。


 生きているけれど、蟠りを抱えて。先に大きく希望を見出すことはない。


 ほとんど死んでいるも同然。


 でも、そんな停滞しきった人間にも一つの名誉が、いや使命があれば、強く生きることだってできる。


 だから、ずっとずっといつかのためと約束のためと、ここまでやってきたんだ。


 もうこの後はどうなってもいい。ここまでやってきたんだから。


 ―――おまえは前に進める人だ。

 今までの背負ってきたものは全部投げ捨てて、前に生きてほしい。

 その荷物は停滞者が受け取るからさ。停滞者が果たすからさ。

―――きっと大丈夫だよ。




 ―――そう言われては、緊張感が蔓延る町の中で、私は抱擁された。


 首筋からは清涼な匂い。強く抱きしめられては汗の冷たさを感じる。


 この言葉を聞いた時、私はなんて言えばよかったのだろう。

 わからない。思い出が、過去が蘇って、混乱していたから、うまく整理できなかった。


 ぐちゃぐちゃに並べられた本があって、それを棚に並べていく。でも、本には表紙も何もなくて、その本を表す記号というものがなかった。だから、上手く並べることができない。


 けど、私の記憶というのは記号のない出来事で構成されていたのだろうか。


 いや、そんななはずはない。でも、そうなっているんだから、否定ができるはずもない。


 きっと忘れようとして、消去しようとして、だから思い出の内面だけは残して。表面を消して、それを新たな出来事に全部塗り替えて、偽物を作って。


 それで、いざとなれば、また表紙が消えていって。ゼロから。また並べなおす。


 一体、何度こうすればいいんだ?

 いつになれば、本棚は綺麗に整合される?


 ―――そんなことが分かっていれば、苦しんでなんかいないか。


 抱擁の状態は解除され、どんどん近くにいたのに、遠くなっていく。

 シャツを掴めば、ここにいてくれたのだろうか。


 ―――人々は身近な凶器を手に、暴力を。

 ―――その目には明瞭さがなくて。

 ―――ただ、操り人形。


 その最中で、私は世界から孤立した存在のように、私を無視して、皆が通りすぎていく。


 私はその光景を見ることしかできない。


 だから、私は蹲って、蹲って、目を瞑った。

 ―――思い出すのは鮮烈な過去だった。




―――この世界には能力というものがある。例えば、魔力を一時的に増加させる能力だったり、モンスターを従わせる能力だったり。多種多様に能力は存在する。


 能力は千差万別で、十二歳になれば芽生え、誰にどんな能力は備わるかは分からない。


 ただし、基本的にはそこまで実生活で使用できない能力が生まれることはほとんどだ。


 だから、誰もしもが別に能力に対しては関心を向けない。


 いい能力が生まれれば、国が引っ張っていくだけだし、それ以外は別に何もない。


 つまり、大して能力が私たちに害を及ばすことがないのだ。特に、現世のような平和の世界では。


 だから、私が十二歳になったとき。特に何も気に留めること

はなかった。


 その日を過ごせば、また明日から学校に行って、家の手伝いをして、姉と一緒に本を読んで。そんな日常が特別な日を覆い被るはずだった。


 けど、私の能力が明確になった次の日には。町は崩壊した。


 愛しの友人、ベンジーとマルーンは瓦礫の下に埋もれ、父母は私を逃がす途中で、矢を数百本と打たれた。


 私を守ろうとした国の兵隊たちは敵に正面を向けた時点で、無残な形になり果てた。

 町は混沌に飲まれることに気づく前に、荒野と化した。


 その責任感に大きく苛まれるようになったのは、冷たく薄暗い牢屋の中で、数週間ほどしてからのことだった。


 ―――そう。私が世界の平和の均衡を崩し、荒れた世界に逆戻りさせたのだ。


 結局のところ、私の能力は人の能力に覚醒を促したり、消去させる能力だったそうだ。

 だから、他の時代遅れな軍事国家はその能力を耳にしたときに、町を破壊し、私を攫ったのだろう。

 けれど、十二の時点ではそのコトの重さにも気づけなかった。


 そうして、時間は流れるにつれて、自国民の覚醒、捕らわれた優秀敵兵の能力を消去と。私の義務が始まった。


 看守からは戦争をおっぱ始めた悪魔だと揶揄され。


 私の町にいた生き残りの陽気で優しい軍人のヘクトは私に『あの日の時点で、殺すべきだった』と言われた。


 この言葉は死んだはずの私にはどうしても深く響き、大きな責任感を背負うことになった。


 自分は悪くないんだと。昔から、人のせいにする傾向のある私も、こればかりは逃げ場がなかった。


 こうして、十三の時点では自殺の方法も覚え、その責任から逃れようとした。


 ―――だが、とてつもない能力の弊害に私は体すべてが委縮した。


 私は死ねないのだ。


 麻縄の輪に首を括ろうとしても、手が震えて、体が痙攣し、気絶してしまうのだ。


 兵隊の目を盗んで手にした爆発武器も、コルクさえ抜けば仕舞なのに、抜こうと自意識に促した時点で私は目を白くすることを最後に、意識が途切れてしまう。


 こんなにも理不尽なことはないと思った。


 もう頭の中は死ぬことでしか出来ていないのに、それでも何かが阻害する。


 この時に、私はいつか見たバッグという薬草で中毒になっている人を思い出した。


 バッグという薬草を常用すると、脳内がランダムな感情を選択し、その選択した感情を永遠に固定化するのだ。

 私が見たのは悲劇の感情に支配された人で、その人の目には悲壮しか浮かんでいなかった。あの人の頭には悲しいことしか思い浮かばれないのだ。


 あぁいう風にはなるまいと決めていた私が、今にこんな状態なのだから、何があるかわからないものだ。


 ―――この頃から、変な笑いが漏れ始めるようになり、牢屋生活は総じて三年ほど続いた。

 その間に何度も夢を見た。


 ―――それからして、死んだ人形を救ってくれたのは冒険者のサトウだった。

 牢獄を夜中に襲撃し、私を助けたのだ。

 もちろん、互いに面識などはないし、私は彼のことなど微塵にも知らなかった。


 ただ、あの時。月明かりの下で、抱えられながらも見た平行世界が妙にも美しいと感じた。

 だから、どうであれ、私にはもうどうでもよかった。


 結局これは私にとって良き天命であったようで、私の生はサトウのおかげで徐々に回復しつつあった。


 ―――そして、抱えていた責任は忘れつつあった。


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