百三十話 老英雄の築いてきたもの(旧)

 スルタ冒険者ギルドのギルド長室で、テトが置いていった大量の書類と格闘していたヌル・ダックは、一旦その手を止めていた。

 

 というのも、ギルド内が騒がしい。

 

 それも、明らかに不穏な類の騒がしさだった。

 

 ガチャリ

 「そちらは?」

 

 それが何かを確認するよりも前に、タツキ・セイリュウがギルド長室へと連れて入ってきた騒ぎの原因へとヌルは鋭い視線を向ける。

 

 タツキが苦々しい表情で連れてきたその人物は、一見すると商人に見えた。

 

 仕立ての良い服装に、所々に品よくあしらわれた装飾品。そして絶えない笑顔と、それに反して穏当ではない光を宿す瞳。

 

 いかにも油断ならない一癖ある商人といった風情のその中年男は、特徴の薄い顔に浮かぶ笑みを深め、手をすり合わせながら口を開く。

 

 「王都の盗賊ギルドから来ました。私はただの使者に過ぎませんので……、これを」

 「……」

 

 その使者が懐から丁寧に封がされた小さな筒を取り出したところで、横からそれを強引に受け取ったタツキが無言のまま開いて中の手紙のようなものを読み始めた。

 

 その間、ヌルは一旦の納得をする。というのも、盗賊ギルドからの使者というのであればあの騒めきも仕方ない。

 

 盗賊などの犯罪者は本来冒険者の敵だ。しかし、王都の盗賊ギルドについては例外で、スルタ冒険者ギルドとしては水面下の関係があり、今は副ギルド長のテトが定例会合にも向かっていた。

 

 そう、テトが向かっているはずの盗賊ギルドから、というのが問題で、盗賊を名乗る者が堂々と冒険者ギルド内を歩くだけでなく、それが今この時というのが不安を助長している。

 

 「なんと?」

 

 読み終えたらしいタツキが、灰色混じりの長い黒髪を揺らして小さくため息を吐いたのをみて、ヌルは問いかけた。

 

 「盗賊ギルドは副ギルド長を捕らえた、と。我らが下につく形での関係の再構築を約束すれば、無事に返す、と。そういった内容だな」

 「あのジジイは気でも狂ったのか!?」

 

 衝撃的な内容を冷静な口調で伝えたタツキとは対照的に、ヌルはここ最近鳴りを潜めていた激情を発露させる。

 

 ヌルは盗賊ギルドを長く支配してきたドックルファ・テネアンを知っていた。

 

 といっても名前と一応外見も、という程度ではあったが、少なくとも表の組織であるスルタ冒険者ギルドとの繊細で危険な関係を長く維持してきたということはわかっている。

 

 それだけに理解ができないし、久々にヌルの中に在る旧体制への反骨精神を刺激する内容でもあった。

 

 だが、実際にはヌルが考えたような老害の暴挙ではない。

 

 「署名の名前がキャス・ピンス……となっている」

 「ええ、それが我らの若き新ギルド長の名です」

 

 タツキの言葉を、笑みを一層深める使者が肯定した。

 

 「……」

 

 思わず黙ったヌルは複雑な表情となる。この使者が“若き”を強調したところからも、おおよその事情は自分たちと同じであろうと察しがつく。

 

 それはどうにもヌルにとっては居心地が悪く、居丈高に糾弾しにくい事情であった。

 

 しかし、それはそれ、今は関係ないこと。

 

 「とにかく、ふざけるな! すぐにテトさんを返せ!」

 

 気を取り直したヌルが重要なことを怒鳴る。

 

 「では……」

 

 だがそれを受けた使者は、タツキが手にする手紙を手で示すのみだった。

 

 つまり、「返してほしくば従え」と改めていってきている。

 

 「この……っ!」

 

 すでに熱くなっていたヌルだったが、盗賊ギルドの使者の人を喰ったような態度に、さらに頭に血が上った。

 

 ごっ

 

 だが、鈍い音がして、使者が白目をむいたところで、まだ自分の方が冷静だったとヌルは気付く。

 

 「とりあえず、こいつは拘束して情報を吐いてもらおうか。それから、王都へ偵察もすぐに……」

 

 タツキは使者の後頭部を殴った置物を元の位置に戻しながら、算段を口にしていた。

 

 かつてのヌルは気付かず、最近になってようやく理解してきたことだが、スルタ冒険者ギルドのベテラン勢はとにかく“荒い”。

 

 とる手段もだが、何より気性が、典型的な冒険者なのだった。

 

 だが気後ればかりもしていられないと、ヌルはすっと手の平をタツキの方へ向けてその気を引く。

 

 「タツキさん、俺が行きます」

 「いや、何を言っている。お前は今、ギルド長なんだ。この状況では大人数は動かせんし、ましてや貴族たちに相談もできん――」

 

 タツキが矢継ぎ早にそれがダメな理由をあげていった。

 

 強引な手を自ら取り始めたとはいえ、人質をとられている状況で派手には動けず、そうすると極少人数でいくしかない。だから、この場合の偵察は護衛も付けられない決死の任務であり、その任にギルド長であるヌルをいかせる訳にはいかない、と。

 

 「俺が、行きます」

 

 繰り返したヌルの言葉に、タツキは今度はすぐに言い返さず、じっとその目を見返した。

 

 ギルドの仲間意識、裏切り行為への怒り、過去の自分への反省、あるいは純粋な正義感。

 

 色々な感情が見え、推察もされたが、合理的ではないが確固としたその目の輝きは、タツキにとっても覚えがあり馴染むものであった。

 

 「わかった、後は任せろ」

 「はい」

 

 タツキはすぐにギルド長室内に置いてあった装備を身に着け始めたヌルの背中を見て、ついに、あるいはようやく芽吹いた“スルタ冒険者魂”とでもいうべき精神性を感じ取っていたのだった。

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