九十二話 英雄開業・十

 「……これは?」

 

 ファングウルフの処理も終わった頃、途中で端末体の姿を消していたリーフが剣身を震わせる。

 

 腰元からの声にヴァルアスは顔を上げ、目を細めた。

 

 「何か……、いや、誰かいる、か?」

 「へ?」

 

 帰ろうとしてノースへ向かう方向へ足を向けていたブランがその言葉に不思議そうにする。

 

 理術で探知しているリーフは別にしても、気配などという曖昧なものはどうしても経験の差が大きいようだった。

 

 「人ですか」

 「ああ……おい!」

 

 そのまますぐにヴァルアスの目線が向いていた方向へと進路を変えてずんずんと歩いていくブランに、ヴァルアスは思わず慌てて声を掛ける。

 

 「大丈夫ですって」と言いながらも歩調を変えないブランの危なっかしさに、ヴァルアスは高くしたばかりのブランへの評価を改めるか悩みながら、距離を離さないようについていくのだった。

 

 *****

 

 「おぉ? 大丈夫ですか?」

 「あ、うわ! ……て、冒険者、か?」

 

 草原にぽつんと存在した大岩の陰、ちょうど窪みになって周囲から見えない位置に、気配の主はへたりこんでいた。

 

 肩紐が切れて地面に置かれた背嚢に、腰の後ろ側には装飾の多い鞘に収まったショートソード。あちこちがほつれてはいるもののあまり汚れてはいない服装のその男は、ブランの声に驚くもいかにも冒険者という出で立ちの二人を見て安心したように表情を緩める。

 

 「何があったんですか? それ、魔獣じゃないですよね」

 「ああ、盗賊に襲われてな」

 

 背嚢の肩紐はすっぱりと切れていた。

 

 明らかに魔獣の仕業ではない痕跡にブランが気付くと、それを男も認める。

 

 「ノースの町は遠くないんで、行きましょうか」

 「……待て」

 

 へたり込んだままの男にブランが一歩近づいたところで、ヴァルアスが低い声で制止した。

 

 その雰囲気にブランはぴたりと動きを止めたが、目線は後ろのヴァルアスへは向けない。

 

 近づくことを止められたこと、そして妙に引きつった笑いを浮かべる男の頬を流れる汗に嫌な予感がしたからだった。

 

 「それはなんだ。何を大事そうに握っている?」

 「へ、へへ、これかい? これは……あれだよ、大事なお守りってやつで……」

 

 ヴァルアスに指摘された左拳を見せながら男は笑いを深める。

 

 次の瞬間、ヴァルアスに襟を掴まれたブランは老人とは思えない腕力で引っ張られ、吹っ飛ぶように後ろへと倒れ込んだ。

 

 「ぜあぁっ! ちぃっ、兄ちゃんだけか。まあいい、ジジイくらいは何とかなるかぁっ!」

 

 握り込んでいた黄色い粉を唐突に投げ放ってきた男は、それを微量に浴びたブランを見て嘲笑う。

 

 「くぅっ、あ、が……」

 

 体を麻痺させるものであったらしく、不用意に吸い込んでしまったブランは何とか呼吸を保つので精一杯だった。

 

 「麻痺粉か、そこで待っていろ」

 

 そのままある程度までブランを引きずって下がったヴァルアスは、ショートソードを引き抜いた男に相対すべく魔剣を引き抜いて前に出る。

 

 「はんっ! ジジイがそんないかにも鈍らな剣で大丈夫か?」

 「見る目のない奴だ。今さらだがどう見ても商人などではないな」

 

 古代樹スクレロスで構成された魔剣が放つ独特で凄烈な輝きを“鈍ら”と評した男を、ヴァルアスは嘲った。

 

 「これは商人ので違いないがな!!」

 

 落ちていた背嚢の持ち主を示唆した男は、ヴァルアスの視線がそちらへ向いたのを確認して、一気に踏み込んでくる。

 

 「くそっ、死にかけのジジイがっ!」

 

 だが虚を突かれることもなく簡単に受けたヴァルアスに、男は悪態を吐いた。

 

 見た目の年齢の割りに、大木のようにその場から揺らぐ雰囲気のないヴァルアスに、男はいやらしい笑みをみせる。

 

 「お上品な剣術が得意かい? 冒険者さんよぉ!」

 

 そうして刃を合わせた状態のまま、器用に片足を振り上げて蹴りを放った。

 

 「ふん、馬鹿者めが」

 

 珍しいといえば珍しいことに、いかにも若者を叱る老人といった風情で言葉を吐き捨てたヴァルアスは、瞬間的に強い力を込めて男のショートソードを弾き上げる。

 

 「ぐっ」

 

 そして手首を素早く返して魔剣を半回転させると、鋼より硬いその剣身の腹が蹴り脚のすねへと直撃した。

 

 ボギィャ!

 「うぎゃぁああああぁあ!」

 

 痛い、どころか確実に骨が砕けたであろう男は、ショートソードを取り落とし、目から涙をこぼしながら倒れて喚く。

 

 「半端に経験を積んだものほど何故か足癖が悪くなりよる。武器を持っているならそれを使った方が強いに決まっているだろうが。というか、蹴りたいなら鋼の足甲くらいまとっておけ」

 「う、うぅ……」

 

 傲然と言い放つヴァルアスだったが、盗賊らしきその男はあまりの痛みに意識も怪しくなり始め、ただ呻く声だけが返ってきた。

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