三十一話 理術の塔・十一

 四階に上がると、雰囲気が一変した。

 

 細かな違いこそあれども、ここまでは殺風景な大部屋が続いてきた。

 

 それがここでは、壁が見えないほど棚や実験器具のようなものが並び、床にも植物の蔦が縦横無尽に這っている。

 

 つい先ほど見たリーフの本体に近い形状の剣も、壁際の机の上に無造作に数本が放置されているのが目に付いた。

 

 そしてそんなごちゃごちゃとした部屋の奥には、背もたれの高い椅子にゆったりと座る男と、その少し離れた場所の床上に所在なさそうに座り込む赤毛の少女。

 

 男は肩下まである乱れた黒髪で、無地のローブ。一見すると地味な中年顔だが、ぎょろついた目だけはやけに強く印象に残る。

 

 「エンケ・ファロスだな。おとなしくその子を、ロコを返してもらおうか……。ワシは父親のケビンから依頼を受けてきた冒険者だ」

 「――っ!」

 

 ヴァルアスの言葉を聞いて、思わず立ち上がったロコが顔を驚きと喜びに歪める。ほっとするあまり泣いてしまいそうになっている様子だ。

 

 ロコは無傷で衣服の乱れもなく、乱暴されていないのは明らかだ。どころか、ヴァルアスがこの階へ上がってきた直後に見た様子からすると、エンケはこんなことをしでかしておいて、ロコの事を無視していたようにすら見えた。

 

 「見ていたぞ、ここまでの全てをな……。力と知恵を兼ね備え、欲に流されない強き心をも持つ。貴様こそ……、真の英雄と呼ぶに値する」

 

 酷くしわがれた、ヴァルアスよりもさらに年上の老人かと思うような声で、全く噛み合っていない言葉がエンケから返ってくる。

 

 そしてエンケはゆっくりと立ち上がり、椅子の横に置いてあった捻じれた枝の集合体といった見た目の杖を手に取る。

 

 小柄なエンケの胸くらいまである長さのその杖は、理術のことに詳しくないヴァルアスからしても、一目で強力な品と確信するほどの気配を放っていた。

 

 「訳の分からんことをいいおって……。投降どころか交渉する気もないということだな?」

 「……ふん」

 

 ヴァルアスが確認する言葉を、エンケは軽く鼻で笑って突っぱねる。

 

 ここまでヴァルアスは、この塔の主であるエンケを傲慢な理術使いと認識してきた。

 

 理術の腕前にきっと自信があり、その腕試しの相手でも欲しているのだろう、と。

 

 しかし先ほどエンケがヴァルアスを英雄として褒めた様子は、心からの賛辞であるように見えたし、今の様子も簡単に踏みつぶせると侮る相手に対するような軽さが感じられない。

 

 むしろ死を覚悟した一流の戦士が放つ独特の凄み。それに近いものをヴァルアスの鼻はかぎ取っていた。

 

 「……」

 

 それ以上の言葉は続けずに、ヴァルアスは腰に差したロングソードを抜き放つ。

 

 戦闘態勢に入ったヴァルアスが纏う雰囲気に、ロコは慌てて二人から遠い場所へと離れ、エンケはほんの微かに口元を歪める。

 

 果たして笑ったのか、慄いたのか……。しかしもはやヴァルアスとしてもそんなことを問答する気はない。

 

 『我は地なるものに、そして大いなるものに祈る。我は力を渇望する故に』

 

 エンケが理術使いの本領たる理術を発動するために詠唱を開始した。

 

 古代語によるその定型句をヴァルアスは一切理解できないものの、聞き覚えのあるそれは土属性理術の準備詠唱だと気付く。

 

 素のままの魔力は扱えない人族は、詠唱によって魔力の流れを導き、適切な形へと練り上げることで、理術として発動させる。つまりこのエンケの詠唱を放置すれば、ヴァルアスへと強力な攻撃手段たる理術が飛んでくる、ということだった。

 

 「させるものかっ!」

 

 理術使いとの戦闘のコツというものをヴァルアスはよく理解している。それは理術を発動させないことだ。

 

 『枝を槍と為し、槍は――』

 

 魔力の誘導を開始する準備段階の詠唱を一瞬で終えたエンケが、続けて攻撃的な力として形作るための発動詠唱へと入り――

 

 その時にはもう、目の前までヴァルアスは踏み込んでいた。

 

 「中々に速い詠唱速度だが、……それでもまだ遅い」

 「っ!?」

 

 小さいが確かな驚きを表情に浮かべたエンケの胴には、ヴァルアスが持つ数打ち品のロングソードの刃が既に添えられていた。

 

 そしてそのままヴァルアスが体を右回りに半回転させると、その勢いでロングソードの刀身はエンケの胴を撫で切った。

 

 ガッ

 「ちぃっ」

 

 布や肉を切るだけでは決して出ない鈍い音。そして今度はヴァルアスが驚く番となった。

 

 何しろ、ヴァルアスがその手に受けた感触は、明らかに硬質の木材を切ったものだったから。

 

 見れば無地だったローブの一部が樹皮状に変化し、それが割れ裂けながらも斬撃を吸収したために、エンケの胴にはかすり傷しかつかなかったようだ。

 

 「魔導具……っ!」

 

 作ることはできないはずの魔剣をも作り上げた魔導具職人としての顔。それもこのエンケなる理術使いの一面であることを思い出し、ヴァルアスは唇を噛んだ。

 

 『――我らの敵を穿つ力と成る』「ブランチスピアー!」

 

 そしてそんなかすり傷には怯むことなく、エンケは中断していた発動詠唱を完了し、理術名を宣言する。

 

 「……、……っ!」

 

 エンケが突き出した杖の先に意識を集中していたヴァルアスは、すぐに己の勘違いに気付いた。

 

 それが飛んでくる方向は発動者ではない。

 

 周囲の床から、そして比較的近い位置にあった壁から、木枝が束ねられて槍状になった突起物が風を切る音を鳴らして襲いくる。

 

 計四本の枝の槍として発動したエンケの理術ブランチスピアーは、恐ろしく硬質な穂先を光らせ、その迫る速さは尋常ではない。

 

 とはいえヴァルアスの技量であれば、全てを躱して、いなすことは可能。しかし――

 

 『我は地なるものに、そして大いなるものに祈る』

 

 休むことなくエンケは次の理術の準備詠唱を開始。

 

 『我は力を渇望する故に』

 「…………」

 

 そして一瞬の内に準備詠唱を唱え終えたエンケを睨むヴァルアスは、無傷で勝てるような甘い相手ではないと覚悟を固める。

 

 「っ!」

 

 歯を食いしばり、迎撃する構えを捨てて再び踏み込んでくるヴァルアスを見て、エンケは先ほどその速さに驚いた時よりもさらにはっきりとした動揺を見せる。

 

 空気を裂く音すら置き去りにして四本の枝槍は飛び出したヴァルアスに追いすがり……壁からの一本がその左の二の腕に浅く突き刺さる。

 

 「せあぁぁっ!」

 

 しかしそんなことは委細構わぬとばかりに、ヴァルアスの前進は止まらない。

 

 ザンッ

 

 そしてエンケが発動詠唱へと入るよりも前に、その横をヴァルアスが剣閃を従えて駆け抜け、土属性に秀でた希代の理術使いは上下に二分されて床へと転がった。

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