十九話 父はなくとも子は統べる
交易都市スルタが田舎村であった頃からの冒険者であるタツキ・セイリュウは、美丈夫といって差し支えなかった若い頃から年齢とともに渋みを積み重ね、飾り気は無いのに色気を匂わせるような初老の冒険者ギルド幹部だ。
漆黒だった髪も今は灰色混じりとなっているが、昔と変わらず一束に纏められた長髪は、その艶やかさ故に些かも老いを衰えと感じさせない。
そんな彼が立派な都市門へと帰り着いた時、意外な人物による出迎えを受けていた。
「タツキさん……よくお帰りに」
いつも柔和な笑みを絶やさないスルタ都市長にしてこの地の領主が浮かべる困った表情。
まだ三十代後半で、既に六十を過ぎて老齢に差し掛かるタツキからすると若者であるはずの都市長ザンクは、疲れのためかいくらか老けたようだった。
しかし、その疲れの度合いも色合いも、どうもタツキが予想した物とは違っていた。
「まずは状況を聞かせてくれますか。思ったより落ち着いている様子ですが」
「っ!? ご存じだったのですか」
タツキからの言葉にザンクの方が驚く。
いくらも時間が経っていないのに、冒険者ギルドは使いを送っていたのだろうか、と考えるザンクだったが、その予想からは外れた答えが返ってくる。
「道中様子見がてらに寄った炭鉱町ゴロでは、”通りかかった英雄”の噂で持ちきりでした」
「……?」
急にタツキが始めた噂話に、ザンクはとっさに理解が追い付かなかった。
何か理解が行き違っているのだろうか……、ザンクがそう心配になったところで、タツキの話は続いていく。
「英雄が誰か? ということに最初は町の誰もが口を閉ざしたのですが、私がスルタ冒険者ギルドの人間だということを告げると、ようやくそれも含めたあらましを話してもらえました。曰く――旅の途中のヴァルアス・オレアンドルが町の危機を救って颯爽と立ち去った――と」
「はは、ヴァルおじさんらしいですね……」
ザンクの胸中は複雑だった。
都市長としてヴァルアスの離脱を実感して改めて感じた不安が半分、もう半分は心配していた旧知のおじさんが思ったより元気にやっていることを知った安堵だ。
親友が別れも告げずに旅立って落ち込んでいる父にも、いい知らせが一つくらいできそうだ。ということも含めると、ザンクの内心では肯定的な感情のほうが少し大きいくらいかもしれない。
しかしそうしたことを差し引いても、ザンクの様子はタツキが出会った時点から妙に余裕があるように見えていた。
タツキの知る限り、スルタにとってヴァルアスという存在はそんなに小さくないはずだった。
何があったかはいまだ把握できずとも、ヴァルアスが名前を伏せようとしながらスルタを離れて旅をしているなど、尋常な出来事ではない。
少なくとも都市長たる人物にとってはそうであるはずだ。
「そうですね、タツキさんが既に感づいておられるように、ヴァルアスさんがこのスルタを離れました。きっかけは冒険者ギルド長の職を辞した事です」
「――っ!」
背筋を伸ばして言葉遣いも改まったザンクが告げると、予想はしていてもタツキの心臓がどくんと鳴った。
幹部である自分も把握しない旅をギルド長であるはずのヴァルアスがしているなど、それくらいしか可能性は考えられなかった。
そして幹部としてギルドを取り仕切る側であるタツキは、その原因にも心当たりがあった。
「原因は若手ですか……」
「そう聞いています」
それだけのやり取りで経緯を察したタツキは目を伏せる。
若手の抱える不満を甘く見て看過してきた自覚があったからだった。
「それで、いまのギルドの状況は?」
目線はすぐに上げ直したものの具体的な質問をあえて避けるように口にされた疑問に、ザンクは体を都市内の方へと向け、手を差し向けることで答える。
「実際に見に行きましょう」
その手はギルドのある方向を指していた。
*****
冒険者ギルドへと向かう道中で、現ギルド長の席におさまったのがヌル・ダックだとタツキは聞かされた。
有望ではあっても思慮の足りないヌルの名を耳にして、タツキは見つけたらまずは一発殴り飛ばしてやろうと決めた。
しかし実際にギルド内でヌルを見つけた時、タツキは思わず違う行動をとることとなった。
「お、おいヌル……大丈夫なのか?」
あまり話したこともなく、今回の事で印象も最悪となった若手に対して、開口一番体調を気遣っていた。
「あ、これはタツキさん、お帰りなさい。それで、帰ってすぐで申し訳ないのですが、会議がしたいのでギルド長室まで来てもらえますか?」
「あ、ああ……」
良く知らないとはいえ、ヌル・ダックというのはこんな丁寧な印象の人物だっただろうか? タツキは首を傾げながら、とりあえずと後についていく。
後ろから見たヌルの逆立つ金髪も、以前はもっと、生意気なほどに艶が良かったように感じられる。
タツキと違ってヌルの様子に違和感はないらしいザンクもともなって、ギルド長室へと辿り着くと、予想外の、しかし聞きなれた声に出迎えられる。
「遅い! 休憩は十五分といったはずよね?」
「はい、すみません!」
反射的に、というのが正にしっくりとくる反応速度で謝罪したヌルが、駆け込むように執務机の席につく。
「あら、タツキさん! やっと帰ってきてくれたんですね」
「そう……なんだが」
タツキは先ほどまで、スルタ冒険者ギルドの現状を悲観視していた。
気が強いだけで実力も経験も足りないヌルが長となった組織など、一瞬のうちに内部崩壊していても不思議ではない。
思わず、タツキは一瞬だけ背後に目線を向ける。そこではザンクが苦笑いを浮かべていた。
英雄が去っても変わらず維持されるギルド。人が変わったように謙虚さと勤勉さをみせる新ギルド長。三十歳という年齢から若手のように思われがちだが、実のところ二十年も前からその立場に君臨し続ける副ギルド長。
「(そうだった)」
タツキは内心で安堵なのか畏怖なのかよくわからない溜め息を吐いて再認識していた。
伝説的な英雄をギルド長としてきたこのスルタ冒険者ギルドでは目立たなかったが、考えてみれば彼女も異常といえるほどに突出した才媛だ。
ギルド長室の奥で薄く微笑む赤髪の女性はテト・オレアンドル。稀代の英雄の愛娘にして、元・路上孤児たちの女王。十歳で副ギルド長になり、実力主義の冒険者たちをその辣腕で黙らせてきた女傑なのだった。
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