ダンジョンを進んで最初のエレベーターに到達した。


 地下駐車場に降りるためのエレベーターのみたいだ。


 このエレベーターが稼働することは冒険者ギルドのマップ情報で確認済みである。この一基だけでなく、ダンジョン内にはいくつものエレベーターやエスカレーターが稼働しており冒険者たちはそれを頻繁に利用してダンジョン攻略を行っているのだ。


 呼び出しボタンを押すと、音もなく扉が開いた。内部には誰も乗っておらず、室内灯の明かりが空っぽのカゴの中を照らしているだけだ。


 エレベーターはデパートにあるようなガラス張りのシースルータイプだが外壁に囲まれて外は見えない。照明で明るいエレベーター室内を一応確認し、危険がないと判断した後、全員が乗り込んだ。


 最下層のボタンを押す。閉まる時も音はなかった。ゆっくりと降下を始める。


 ただ並んで歩く時よりも、エレベーターの四角い空間に閉じ込められた時の方が気まずさは増すものである。五人もの武装した男女が詰まっているためお互いの武器とバックパックが邪魔をして動く余裕がない。


 シンウも、ここが尾地の情報を聞き出す場面ではないかと思ってた。なんとか彼の情報を引き出し、履歴書以上の実戦での有用度を確認すべきではないのか。


 しかし、シンウはエレベーターに最後に乗ったため、尾地は彼女の背後バックパックが邪魔して気軽な会話を開始することが難しい。臨時のリーダーとしての立場と中年男性と話した経験の無さが、シンウに会話の糸口を掴ませなかった。


 しかしそんなシンウの事情を一切感じないのか、黒魔法使いのニイが軽々しく尾地に話しかけた。


 「尾地さんって勇者科出なんですか?」


 ミシリ、とエレベーターが音を立てたような気がした。


 「ハイ、やっぱりこういう仕事をするには免許って便利でしょ?一昨年に卒業いたいしました」


 明るく屈託もない、素直な返事が帰ってきて一同困惑する。今までほぼ無言であったパーティー随一の剣士であるスイホウも微妙に顔を歪ませた。


 「でも勇者科って珍しいですよね、尾地さんみたいな年齢の人ってほとんどいなかったんじゃ?」


 ズカズカと土足で踏み込むニイをシンウはなんとか止めようと背中越しに目で合図を送るが、互いの武器が視線を阻むのか、ニイ特有の無神経な積極性が気づかせないのか、パーティーメンバー同士の阿吽の呼吸は生まれなかった。


 「エエ!みんな若い子ばっかで、やる気と希望に満ちた目がキラキラしてまして。私も久々に若い子のそういう匂いを嗅いでやる気を頂きました」


 その言葉を聞いたシンウとスイホウは自分の体の匂いの元栓を閉めようと体に命令を送り続けた。無駄と知りながらも。


  「ユウシャ科って自分に自信が無い奴が行くとこだからな」


 シンウの弟、ジンクが攻撃を仕掛けてきた。


 姉として、暫定リーダーとして、手早く弟を諌めてパーティーのまとまりをこそ優先すべきであったが、どういう反応をするのかという興味が、諌める言葉を一瞬、遅らせてしまった。


 「冒険者予備校なんて、自分の適性を見極めてから入るモノなのに。そういう特性に気づけない出来ないヤツ、どんなジョブに付きたいかわからない奴、将来の展望もなく入るのがユウシャ科って、まあ普通の冒険者なら思うよな」


 ジンクの攻撃が続く。そうなのだ。冒険者業界ではよく言われていることだ。ジョブの選択もできずに予備校入る奴は見込みがないと。


 勇者科は意欲に欠ける連中が入るところだと。


 だからこそ履歴書を見た時に全員が眉をひそめたのだ。


 「そこがいいんですよ~。冒険に関して一通り全部をいっぺんに学べる。そのお得なところが~」


 ジンクの言葉に含まれていた言葉の棘を、全て抜いてしまったのか、まったく普通に嬉々として返事を返した尾地。勇者科卒ということを、まったく本当に気にしていないのか。


 その歳にして豪胆と言うか、世間を知らないのか…


 「黒白魔法や武術の高等技術には触れられませんが、剣槍弓、スカウトにダンジョン学、ダンジョン歴史、なんでも教えてくる…楽しかったな~」


 若者四人が尾地の顔を覗き込んでしまう。あまりにも彼が充実した学業を送ってきたかのように言うので、世間が間違っていた、彼の認識がが正しいのではないかと思ってしまう。それほど彼の言葉は素直であった。過去を追想して笑顔を浮かべている中年の顔は偽りとは思えなかった。


 「ほんとうに楽しかったんですか?」


 シンウは思わず尋ねた。予備校なんて生活のために行くところだ。生きる術を身に着けて、ダンジョンという死があふれる世界から、自分と仲間の死を排除する方法を学ぶところだ。学ぶ事が楽しいなんて感覚は一度としてなかった。


 「若いお友達ができて?」


 魔法使いのニイがまた痛いところをついてくる。普通のセリフを言うように言葉のナイフを無自覚に刺してくる女だ。


 たしかにシンウもジンクも予備校で友達がいたことが唯一の楽しみだった。だが、それは近い年齢が相手の場合だ。この男、どう見ても四十を越えている。どう考えても友だちになりたいタイプのクラスメイトではない。


 「いや~私みたいな歳の男には、なかなか皆さん声をかけづらいみたいで…」


 それはそうだろう。少年少女の中で浮き上がっているこの中年の姿は容易に想像できた。


 


エレベーターはまだ降下している。降り始めて随分経っているのに。


 「日常的にダンジョンに潜っていても、全体像なんて感じることはありませんからね…体系化された技術、蓄積された知識を吸収して、もう一度体に入れ直す。そういう事が必要だったんです…」


 中年男性は静かに語る。ダンジョンに入ってまだ十年も経っていない若者たちには理解し難い、人生の風化が始まらないと感じ取れない価値観だ。


 皆、体を回して尾地の方を見ている。このエレベーター内の空気が、この男に向かって流れていくような雰囲気を感じたからだ。エレベーターの落下よりも男の放つ重力のほうを強く感じる。


 ガラス面を背にして立つ尾地。彼の顔は上からの照明に当たり、その広くなった額が光を強く反射するため、顔は逆に暗くて見えない。底へ底へと落ちていくエレベーター。窓のガラス面に反射して写る尾地の背中は影で暗く、この汎用そうな中年が背負っているもう一つの影を映している。彼の背後のガラス面の一枚向こうでは、壁と鉄骨が繰り返し繰り返し流れ続ける。


 「そういうことが必要だったのかもしれません…私がもう一度、この世界と対峙するためには」


 エレベーターの壁面は途切れ、ショーの開幕を示す幕のように引き上ていく。壁により遮断されていた視界が開放され、エレベーターの窓の向こうに、闇の世界が広がった。


 首都沈没によって生まれた巨大なダンジョン。地底に生まれた巨大な迷宮空間。


 空をおおう天盤から逆さまに生えたビル群がつらなる。そのビルはすでに人類の物ではなく、この地下世界の物、人外の世界のものだ。ビルは所によって歪み曲がり捻じれ、首都沈没前に見せていた健全な建築物の姿を捨て去って、地下世界のダンジョンとして新たな役割を与えられている。


 かつて東京にあったビルは今や地底の天盤と底を支える柱になっている。つららようにビルが生え、そのまま地底に突き刺さる。その地底には何本も狂ったように高速道路が駆け巡り、複雑に曲がり曲がりくねり、ありえない地下首都高として中空のダンジョンを作っている。


 下降するエレベーターは何本もの高速道路をかすめて降りる。暗い地底には猥雑な商店街がさらに無限に改築され、人を迷わす迷路の横丁がいくつも並んで見える。そして底を行き交う正体不明な人影や更に巨大な影もエレベーターに開いた窓から見ることができた。


 なにもかも、かつての東京という街の姿が歪み捻じれて堆積した「狂い」の世界。かつて東京と呼ばれた巨大都市は地底に沈没し、そのまま最大のダンジョンへと生まれ変わった。悪夢の地底世界として再誕していた。


 こここそが山の手ダンジョン。


 ここが、このエレベーターに乗る全員、冒険者たちの仕事の舞台だ。


 


 エレベーターのガラス面、そこから覗く地底全景を背にしたこの中年男性。一瞬、その姿が背後のダンジョンと等価であるような錯覚がシンウを襲った。まさに錯覚であったのだが、錯覚も真実も同じように心に傷を残す。


 このダンジョンと同質な闇の男、そんな不吉な残像だけが残った。




 「で、勇者科のいいとこは、やっぱり免許!ホラもういっぱい資格取れちゃいまして~」


 その闇の男は喜々として自分の冒険者免許の資格欄の自慢を始めた。


 たしかにいっぱいだが、取りすぎだ。一人で何役するつもりなのか。


 男の資格欄は一人でパーティーが組めるほど多彩であった。




 本来ならば、エレベーターから見える光景は地底の暗闇だけであるはずだが、地底空間のそこかしこに光が発生しており、それは空の一部を照らすほど強烈な光もあったり、高速の道路にそった照明が地の果てまで続いている。


 そこかしこに明かりが存在するため建物のシルエットや大通りや小道もエレベーターの窓から観察することが出来た。建物の中には照明の光がいくつも灯っていて、そこにうごめく物体の影を何体も確認できた。


 それらが彼らと同じ人間、冒険者である可能性は限りなく低かった。




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