第23話 もう二度と、頭を撫でてもらえなくても、あなたに向けたいもの


 僕の一言に、あっという間に余裕の表情が崩れ去ったボリス。

 いや、それに取り入っている女。

 もしかしてこの女が……魔王?

 


「リィト……リィト……えへへ……うん……ありがとう」


 

 泣き濡れたチコが振り返り、いつもの笑顔を見せて僕に言った。

 うれしい、そんな素直な感情が伝わってくる。

 何かに満足し、何かを諦めた意思も。



「まさか、希望を生むとは思わなかったぇ。 どうして感情なんか生まれたので しょうかぇ?」



 ボリスはチコに対して手を振りかざす。

 歩みが止まりかけていたチコだったが、再びボリスに向かって歩き出した。


 同時に、チコの声が聞こえなくなる。



「おい、チコに一体何をした?」

「何って、これはシツケでありんす」



 何を当たり前のことを、というようにヤツは答えた。



 僕らの制止も聞かず、チコはまっすぐボリスの元に歩いて行く。

 と、このタイミングでマエリスが意識を取り戻した。



「はっっ? リィト……カトレーヌさん? チコ?」



 彼女はすぐに状況を把握したようだ。

 眠りながら聞いていたのかもしれない。



「チコ! そっちに行っちゃだめ!」



 僕に抱かれながら、チコの背中に手を伸ばすマエリス。

 しかし、チコからの返事はない。



「聖女殿もお目覚めでありんすか。計画通りにはいきんせんね。これも全て、あの反則呪術グリッチ=コード使いの力でありんすか?」



 ボリスは隣にいるグスタフに目をやった。



「くっ。今、おとなしくさせましょう。それに、聖女がもういらないのであれば、俺が好きにしてよいでしょうか?」

「役立たずに与えるものなどありんせん」

「はい? それでは約束が——」



 ん?

 あいつら、一体何の話をしている?



「とにかく、あの男は危険でありんすね……」



 ボリスが、今度は僕に手の平を向けてくる。



「【聖域サンクチュアリ】!」



 マエリスが呪文を唱えると、キィン! という音とともに、僕らの周りに透明な板が現れ、囲まれた。

 これは聖女魔法の一つだ。

 外からの攻撃をはねのけ、安全地帯を形成する。

 その力に阻まれ、ボリスの放った黒い力が飛散する。



「ふむ。聖女のほうは力も確かなようでありんすね。しかも妙に強力でありんす」

「あなたなんかに、チコは渡さない。涙を流して……嫌がって……ツラい思いをさせて……その報いを受けるべきよ」



 マエリスの怒り。

 僕は、初めてその表情を見た。



 しかし、チコはついにボリスの元へたどり着きつつあった。

 くっ。

 なんとかして止めないと。



 この状況で反則強化グリッチ=コードが使えるか?



 やるしかない。

 僕はボリスに標的を合わせる。



「【水生成クリエイトウォーター】!」



 チコ、そして《グリッチ=コード》!


 僕の声に、応えろ!



『——大丈夫、わたしは、ここにリィトの中にいる! ——反則強化グリッチを実行するね!』

『同時に聖女魔法の解析もはじめるね!』

『そして……力を——あなたに』



 その声は慣れ親しんだ、僕の内側から聞こえていたもの。

 紛れもないチコの声だった。

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