第二十八話 あなたの事を将来忘れない
“りょ…う。…り…りょう!”
耳元で何度も自分の名前が呼ばれる音で次第に意識を取り戻した。
はっ!っと意識が晴れ、すぐに立ち上がり辺りを警戒した。しかし辺りはなんの変哲もない暗いだけの学校の廊下だった。
「き、妃さん…?」
“ああ、やっと連絡がとれた”
“何してたのよ、急に名前を呼んで叫ぶんだから何かあった?”
「お、俺は…」
頭を抱えて考えるが、今まで見ていた悪夢のような出来事は確かに記憶に残っており、掴まれた首の感触や雨に濡れた感覚までもが鮮明に思い出せる。しかしコートを確認するが一切濡れた、あの雨にうたれた形跡はなかったのだ。戸惑いを感じるが今は一刻も早くこの校舎から脱出する事を優先させよう。
「妃さん!今すぐもどります!」
それを聞いた妃さんは不思議そうだったが、俺は急いで一階に戻り侵入した窓から来た道を急いで戻った。
闇夜を駆け抜ける間、目に入る全てを疑った。この風を切る音もそしてエンジンの鼓動ですらまだ悪夢の中ではないかと…
「おかえりなさい、何があったの?」
俺は旧校舎で体験した事、一部を除いて覚えている全てを妃さんと植木さんに説明した。
「・・・」
「そんな事が…」
椅子に深く腰掛け考え込む植木さん。
「一番に考えられる可能性は嗅覚や触覚までも感じるリアルな幻覚よね。だけどその方法がわからないわ」
「それか、病葉君は本当に移動したかだが…」
二人とも考え込んで言葉が続かないが、こうして説明している自分自身もまた狐につままれた気分だ。
「本当に悪魔は存在するのでしょうか…?」
「もう、あなた何言ってるのよ!そんなの存在するはずがないでしょ!」
その妃さんの一喝で自分の心が揺らぎ弱っている事を自覚した。そうだ、俺は何を言ってる、真っ先に疑うべきは人間だ!人を疑う事を恐れてはいけない…
そう、二人には伝えていない疑い、手がかりのようなものを俺は感じている。あの悪夢を見る前にバイオリンの音色が聞こえた、この尼宮市であんなにも上手くパガニーニを演奏できる人間は一人しか存在しない。もしかするとそれも幻聴だったのかもしれないし録音されたデータだったのかもしれない、だが可能性が高いものを私情で曇らせて目を背けてはいけない…
「よし、とりあえず整理しよう。おそらく病葉君はなんらかの方法で幻覚を見せられた。その方法が未知なものなので転移者の能力である可能性が高く、最後に見た悪魔のような人影がその能力者ではないか。とこんな感じかな?」
「ええ、恐らくは…」
「その幻覚の能力者とこの前の強盗犯も関係していると思った方がいいわね」
「しかし、銀行強盗の時にそのような能力の気配はなかった…」
「あの、一つ植木さんに明日の夜までにお願いしたい事があるんですが」
「明日の夜って、あなたまた旧校舎に行くつもり?」
「はい」
これは俺の憶測にすぎないが、今の俺の考えを二人に説明した。
翌日、授業最終日――――――――――――――
今日で学校の授業は最後だ。生徒の人数は二日目と変わらないが、今日は俺が南に頼んで川島さんを連れてきてもらっている。二人は前の方の席に座り電子黒板の授業を受けている。そして授業はいたって普通、スムーズに終わり最後の質問時間となり俺は生徒の質問に答えていた。
「今日は最後の授業という事で俺の方からも、感想を伝えたいと思います」
「灯星高校のみなさんといろいろなお話ができてとても良い経験になりました。みな優しく、明るくとても良い生徒たちばかりで、自分の学生時代を思い出すとみなさんに比べて恥ずかしい学生時代だったなと思います」
「僕の高校時代の話なのですが…」
「高校3年の時、クラスで事件がありました。それはいじめで、そしてそのいじめをきっかけにクラスは二分しました。いじめる側とそれを見ている側の二つです」
「最初は他愛もない悪戯レベルでしたが次第にエスカレートしていき、暴力や酷い精神的苦痛のいじめへと変化していきます…」
「その結果、いじめられた子の親が気づき学校に連絡、そして僕のクラスメイトの特に酷いいじめを行った生徒を中心に様々な理由でいじめに加担した者は学校を辞めていきました。そして卒業を迎えた時クラスメイトは入学時の半数になっていました」
「その時、卒業式からの帰り道に俺は思い返しました。その二分された時、僕は両者のグループに分け隔てなく話す事ができる唯一の存在でした。もしあの時僕が早い段階で、いじめる側の生徒に『やりすぎだ、もう止めた方が良い』とか、見ている側に『みんなで注意しよう』と話さなかったのか…」
「あの時、僕が上手く立ち回っていれば、みんなともっと話していれば、クラスメイト全員で卒業できたのかもしれない、こうして大人になっても、いや恐らく一生忘れる事のできない、後悔が生まれました」
「別に友達じゃないとか、自分には興味がないそんな他人事であっても、物事は意外な所で大きく進展して自分のあり方を問われる時が来るという事を、僕はこの時学びました。そして正解はないという事も」
「未来の結果は誰にも分かりません。もしかすると、何を選んでも後悔するものなのかもしれません、でも優しい灯星高校のみなさんにはどうか、その選択の瞬間は自分に自信を持って、よく考えて人生を歩んで欲しいと思います」
話し終えると教室は静まりかえった。急に難しい話をしてしまったからだろうか、それとも俺が今話した事は大人の利己的、エゴに感じてしまっただろうか…
すると、一つの大きな拍手がなされた。
振り返ると赤根間校長が大きく拍手している。そしてそれに続き他の教員が拍手すると教室の生徒も大きな拍手をしてくれた。俺は途端に恥ずかしくなり、一礼して後ろの教員の列に戻った。
「いやー良い話でしたよ」
校長が話しかけてくる。
「少し生徒には難しい話だったかもしれません」
「いやいや、今は響かなくても生徒たちは自分で考え解釈して吸収するものですよ」
「そうだと良いのですが…」
「あなたの事を将来忘れない、そんな生徒はきっといますよ」
いくら何でもそれはお世辞が過ぎるのではないかと思ったが、俺がこんな思い出話をしたのは勿論考えての事だ。
川島詩子…彼女はその忘れない生徒であってくれるだろうか。
彼女は犯罪と何か関係しているのだろうか、彼女は今の話をどう思っただろうか、その答えは今夜わかるのだろうか。俺はそんな風に考えながら授業最終日を終えるのだが、最終日なので教師の方との挨拶や製品をこのまま寄贈する上での説明であったりと仕事が沢山あるので、肝心の川島さんと南とは今日の授業について話す事はできなかった。
学校での仕事も終わり、研究室の椅子に深く腰掛けひと段落つこうとするが、俺にはまだもう一仕事残っている。今緊張の糸を切るわけにはいかないと、疲労が溜まっている自分に言い聞かせ立ち上がった。
「植木さん準備はどうでしょうか?」
「ああ、頼まれたものは一応取り付けたよ」
植木さんからマスクを受け取り確認する。
「一般的な既製品を少し改造して取り付けたものだから性能は保証できないよ」
植木さんに頼んでマスクに取り付けてもらったのは、ノイズキャンセリング機能の装置だ。
俺は幻覚の原因を考えた時、催眠術や薬物の可能性を考えたが、あの時誰にも触れられてもいないし、会ってすらいない。その事からきっかけは音ではないかと二人に話したのだ。つまり聴覚を通じて幻覚作用が起きるなら聞こえなくすれば対処できるはずだ。
そこで人の声以外を聞こえにくくする技術、ノイズキャンセリング。これは音が鳴るという音波の波を解析し瞬時に逆の音波を聞かせる事で、波を打ち消し音を消し去る方法だ。
「あとこれも急いで作ったものだからあんまり良い声にはならないかな」
大きめの絆創膏のようなものを渡され、それをのどの部分に張り付ける。これは低周波を用いた変声機の一種だ。
「あー、あー、どうです妃さん」
低く電子音のような声に変化している。
「その声とマスクなら、あなたとわからないわ」
「そうですか、けど植木さんこれもの凄くしゃべりにくいです…」
「ああ、ちょっと出力が強すぎて声が低すぎるみたいだけど、時間がなかったんだ後で改良するから今日は我慢してくれ」
「わかりました、時間もそろそろですので行ってきます」
俺はバイクにまたがり両腕のコートの袖をひじ辺りまでめくり上げた。もしノイズキャンセリング機能が役に立たなかったら、もし音がきっかけじゃなくまた昨日のような悪夢に陥ったとしたら…
俺はこのスタンガンを改造したグローブを自分の体に使うつもりだ。
目を一度瞑り、心を静かにする…
「クールキープ、キープクール」と呟き深呼吸して目を開けた。
静かに落ち着いた心とは真逆にアクセルを全開、エキゾースト音の力強さを感じながら漆黒の大海へとダイブする。
次回 【第二十九話
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