第八話 インシデントリアクター

しまった、完全に忘れていた…


俺は電車に乗りながら必死にスマホで検索する。明日は加奈子の誕生日だ。すっかりその事を忘れていた俺は何もプレゼントを用意できていないのだ。


駅について繁華街を歩くが女性の欲しがるものにうとく何を選んで良いか迷っていた。しかし、とある店が目にとまった。ジュエリー関係のお店のようだ。店内を見て周りネックレスを贈る事を決める。予算は10万以内くらいか、まだ付き合って1年目なのであまり気合を入れ過ぎても後が大変だ。確か加奈子はアクセサリーは好きだが、皮膚があまり強くないと言っていたか。そこで店員に相談してみるとサージカル素材のものを紹介してくれた。いわゆる医療などで使われるアレルギー反応を起こしにくい金属の事だ。これなら大丈夫か、少し値は張るがこれをプレゼントしたい。


そして無事プレゼントを購入し、安堵して帰りの電車に心地よく揺られていた。そこでスマホにメッセージが入る。愛さんからだった。


何だろうと思い見てみる。

“うちのと加奈子、できてたわ”


その短いメッセージを見た瞬間、俺はスマホを持つ指先から頭までが急速に血が抜かれていくようだった。まさか、何を言ってる…


めまいのような感覚に捉われながら、詳細を聞く旨の返信をした。そして、返信を待つ間の心臓の鼓動は今にも爆発しそうな感じだった。愛さんから返信がかえってきたのは駅に着き、家に帰っている途中だった。加奈子は古田さんと浮気をしていたらしい。愛さんが古田さんのスマホを見た事で発覚した。そして無論、愛さんは婚約破棄し別れるという事。


俺はとりあえず、加奈子と古田さん両者に電話してみたが連絡は繋がらない。頭の中が完全に混乱し、もう何を考えて良いかも分からなかった。照明もつけずに俺はただ部屋の片隅で、テレビを眺めていた。どれだけの時間が経過しただろうか。テーブルの上に投げ出されたスマホが着信を知らせている。今は一体何時だろうか、外は暗い。いや何もかもが暗い。電話にでると、相手は加奈子だった。通話先で加奈子が何かを話しているが今の俺に考える力は無かった。前に付き合っていてちゃんと切れていなかった。寂しさに負けた自分が悪いなど、理由を語っていた。その時、なぜか子供の頃に母に言われた言葉を思い出していた。


“人に物を貸すときは、あげちゃっても良いやって物だけにしなさい”

“自分がやられて嫌な事は、人にしちゃいけません”


そんな風に昔の思い出を振り返っていた。


ああ、そうか加奈子は人に本気で愛された事がないんだ。加奈子の言い訳を聞いていると、そんな感想が浮かび、あんなにも愛おしかった恋人の言葉は、今では空気よりも軽く耳から抜けて行く。


「なあ、加奈子はこれからどうするの?」

自ら質問しておいて、これほどにどうでもいいと思った質問はこれが生まれて初めてだ。


「もし亮が許してくれるなら、私は亮と居たい」

涙ぐんだ声でそう聞こえた。


俺はしばらくの沈黙の後に口を開いた。

「二度と俺の前に現れないでくれ」


そう答え、目を瞑ると、心の中で組み立てた積み木が崩れるのを感じた。それはまるで漆黒の中でガラスが砕け散るようなそんな感覚だった。電話を切ると、叫びにならない声を上げてスマホを壁に投げつけた。そしてすぐに上着を着て、外に出て歩き始めた。歩いた先はいつもの公園、いつものベンチに座りうつむき号泣した。そして、顔を上げて空を見上げる、そこにはいつもの月がこちらを見ているはずだった。


しかし、目に映ったのは見た事が無いくらい大きく、丸々とした血のように赤い月であった。



次回 【第九話 探究者は焼き尽くす】

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