オリヴィアたちがオペラグラスを使って、アランとフロレンシア姫を観察していたのにはわけがある。


 ことの発端は五日前。フロレンシア姫がこの国に到着する前のことだ。

 オリヴィアとサイラスは、国王に呼び出されて彼の執務室にいた。


 三国にまたがった金の密輸の一件の各国の話し合いはまだ終わっていないそうだが、今のところ大きな問題もなく、穏便に話が進みそうと聞いていたオリヴィアは、突然国王に呼び出されて不安に思った。

 もしかしたら、何かトラブルだろうか。

 密輸の件が片付くまで、国内を混乱させたくないと、アランの廃太子の件とオリヴィアとサイラスの婚約の件は、まだ保留の扱いになっているが、オリヴィアは婚約内定者として城に一室賜っている。


 サイラスとアランが分担して処理している政務を手伝っていることもあり、オリヴィアは毎日のように城に通っていた。そのため、王に呼び出されてもすぐに参じることができるのあるがーー、サイラスとともに執務室へ入ったオリヴィアは、唖然とした。

 ここは執務室のはずである。

 執務室とはすなわち、陛下が政務をする部屋だ。

 会議室とは違い、おもに書類仕事を行う部屋である。


(……お菓子屋さんでも来たのかしら?)


 確かに、国王の執務机の上には書類の山ができている。書類は向かって右に未決済分、左に決済分が積まれているはずなのだが、見るからに左の書類が少ない。というか五枚くらいしかない。もう昼前だというのにあまりにも少ない。すでに回収されたあとなのだろうか? いや、それにしては未決裁書類が多すぎる。


(……書類が手につかないほどの心配事?)


 国王の表情は浮かなかった。だからこそ、来客に使うソファ席のローテーブルの上に載っているものが異彩を放って見える。お菓子の山だ。これはなんなのだろう。

 まず、中央の三段トレイの中には色とりどりのマカロンが並んでいる。その周りにはチョコレートの箱。おお皿の上には数種類のケーキ。スコーンにクッキー。キャラメルや飴などもある。

 国王は甘党ではなかったはずだ。


「まあ、座りなさい」


 国王は執務机を立ちながら、お菓子が並ぶソファ席に座るように指示を出した。

 ベルを鳴らせば、侍女がティーセットを持ってやってくる。オリヴィアとサイラスの前にレモンの輪切りの浮かぶ紅茶がおかれた。国王ははるか南にある国よりフィラルーシュ経由で輸入しているコーヒーだ。


「まあ、好きなものを食べなさい」

「はい、ありがとうございます」


 オリヴィアは頷いたが、サイラスは実に胡散臭そうにお菓子を見やって、それから言った。


「何を企んでいるんですか?」


 ミント色をしたマカロンに手を伸ばそうとしていたオリヴィアの手が、マカロンに触れる寸前でぴたりと止まった。企むとはなんとも不穏な言葉である。オリヴィアは伸ばした手を膝の上に戻して、探るような視線を国王へ向ける。これに手を出したら最後、無理難題を吹っかけられる危険を感じた。

 国王は「心外な」と傷ついた顔をしてみせたが、それはあまりにわざとらしい表情だった。オペラ俳優ならばすぐさま首になっていることだろう。そのくらい大根役者だ。

 サイラスがじっとりと睨みつけると、国王はうおっほん、とわざとらしく咳払いをする。


「実はな、そなたたちに頼みがあるのだ」


 食べなくてよかった、とオリヴィアは瞬時に思った。お菓子で機嫌を取ろうとしているあたり、きっとろくでもない「お願い」だ。


「いやです」


 サイラスは即答した。

 だが国王はあきらめなかった。


「お前にもかかわりのある問題だぞ。下手をしたらお前の結婚にも差しさわりーー」

「聞きましょう」


 サイラスはころっと態度を改めた。

 国王が細い瞳をにんまりさせて、再びうおっほんと咳払いをする。

 オリヴィアはサイラスが国王に上手く乗せられたのを見てちょっと不安に思ったが、話しを聞いてから判断しても遅くはないだろう。逃げ道を作っておきたいのでお菓子には手を伸ばさないが、とりあえず聞いてみることにした。


「実はな、レバノールから第三王女がこちらへいらっしゃることになっている」

「第三王女ですか?」


 サイラスが首をひねった。無理もない。レバノールとブリオールは国交が盛んで、王子や王女もこちらへ外交に来ることも多いが、第三王女だけは一度も来たことがなく、また、こちらから行っても、あいさつ程度しか交わしたことがないため、ほとんど記憶に残っていないのだ。ひどく内気で、生まれたての子ウサギのように臆病そうな王女だったと記憶している。その程度の印象だ。

 だから、第三王女が外交に来るというのは不思議だった。第一王女は他国に嫁いだが、第二王女はまだ婚約中で国に残っているので、来るならばこちらだろうと思う。

 国王は神妙な顔で頷いた。


「それが、オトワール国王陛下がなぁ、第三姫をアランかサイラスのどちらかに嫁がせたいと……」

「兄上でお願いします」


 サイラスは再び即答した。

 しかし、国王は返事をせず「そういうわけにはいかないのだ」と言い出した。どういうことだとサイラスの機嫌が本気で悪くなる。ひやりと冷気まで漂ってきそうなほど不機嫌になったサイラスの手を、オリヴィアはそっと握り締めた。サイラスがちらりとオリヴィアを見て、少しだけ目元を和らげる。


「理由を訊きましょう」


 ろくでもない理由だったら承知しないぞと言わんばかりの高圧的な態度で、サイラスは国王に訊ねた。

 国王はコーヒーを一口飲んで、苦かったのかわずかに眉を寄せ、砂糖とミルクを注いだ。


「アランにレバノールの姫が嫁ぐとなると、王太子はこのままアランとなる。すでにお前が王位をついだ後ならいざ知らず、レバノールの国王は姫を王妃とさせるために嫁がせるのだ。アランを王太子から落とすわけにはいかなくなる。例の件があるからな、もめたくはない。わかるだろう?」

「だったらいいんじゃないですか、兄上が王太子で。兄上にはレバノールの姫、僕にはオリヴィア、これで丸く収まるじゃないですか」

「おさめてたまるか!」


 いろいろあって、王になることに目を向け始めたサイラスだが、もともと権力に固執しないたちなので、何が何でも王になりたいわけではない。アランもずいぶんと丸くなって、人間的に成長急いているようだし、オリヴィアとの結婚の道が閉ざされるくらいなら王位なんていらないと突っぱねるサイラスに、王が頭を抱えた。


「アランが王になれば、王妃との賭けは私の負けになるじゃないか!」

「またそれですか」


 サイラスは心底あきれたような声で言った。


「もういいじゃないですか。母上はもう四十ですよ? 子供をもう一人産んで育てるには体力的につらいでしょう。あきらめたらどうですか」

「嫌だ。そもそも、負けるというのが気に入らん」

「……たいてい負けてるじゃないですか」

「うるさい」


 子供のようにごねはじめた国王に、サイラスは嘆息した。


「とにかく、婚約なら兄上にお願いしてください。僕にはオリヴィアがいるんです。オリヴィアを婚約させないと言い出したら、さすがに本気で怒りますよ」

「別に私はオリヴィアと婚約してはならぬと言っているわけではない」

「……まさか二人とも娶れと?」

「そんなわけあるか!」


 王が即座に否定してくれて、オリヴィアはほっとした、過去を見ると愛妾を抱えた王がいなかったわけではなかったが、他国の王女が嫁ぐときに夫となる王子がすでに愛妾を抱えているのはさすがにまずい。それにオリヴィアとしても、サイラスの愛妾になれと言われるのは嫌だ。というか、サイラスがほかの人を妻に迎えること自体がいやだ。

 サイラスは胡乱げに目を細めた。


「……何を企んでいんですか?」


 結局、話しが振出しに戻る。

 国王がにやりと笑った。


「今回王女が来るのは顔合わせのためだ。婚約が決まったわけではない。そなたたちには、とことんアランの邪魔をして、王女がアランのことを嫌うように仕向けてほしい。なに、こちらから断るのはいささか気まずいが、あちらがこの縁談をなかったことにしてくれればそれでいいのだ。もちろんただでとは言わん。うまくいった暁には、ひとつ願いを聞いてやるぞ」


 オリヴィアとサイラスは、唖然とした。

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