【Web版】王太子に婚約破棄されたので、もうバカのふりはやめようと思います

狭山ひびき@バカふり、120万部突破

第一話

プロローグ

「オリヴィア・アトワール公爵令嬢。貴殿の罪は王太子の婚約者という立場でありながら、妃教育を軽んじ、必要な教養を身に着けなかったことである。よって今日これをもってオリヴィアと王太子の婚約は破棄。かわりにこちらの、教養高き我が娘ティアナ・レモーネ伯爵令嬢を王太子であるアラン王子の婚約者とす」


 突然王城に呼び出されたオリヴィアは、滔々と語られるレモーネ大臣の言葉と、その隣で勝ち誇ったような顔をしている王太子アランに唖然とした。


 アランの隣では、大臣の愛娘であるティアナが、王子の腕に手を添えて、しなだれかかるように立っている。薄い茶色の髪をしたティアナは、なるほど、思わず守ってあげたくなるような小柄で可憐な容姿をしていた。だがお世辞にも「教養高き」と修飾されるようには見えない。というか。オリヴィアが知る限り、ティアナは「あほ」だ。


 ティアナはオリヴィアと同じ十七歳だが、幼いころから王太子の婚約者であったオリヴィアを目の敵にして、数々の嫌がらせをしてきた。けれどもそのどれもがお粗末なもので、正直言ってあきれるよりほかはないようなものだった。


(わたしを噴水に落とそうとして自分が落ちたり、突き飛ばそうとしてこけてみたり、パーティーでワインをかけようとして間違えて王子にかけてみたり……、まずい。思い出すだけで吹き出しそう)


 さすがにこの場で笑い出すのはまずいだろう。なぜならオリヴィアは一応、現在糾弾されている身だ。


(というか、思った以上にアラン王子はバカだったのねぇ)


 妃教育を軽んじ、必要な教養を身に着けなかったことであるーーと語られたオリヴィアの罪。確かに、オリヴィアは妃教育を「受けなかった」し、必要な教養を「身に着けていないふり」をした。なぜならそれが必要だったからで、ほかならぬアラン王子の命令だったからだ。


 先に言っておく。オリヴィアは天才だ。昔から本の虫だったこともあるが、何よりも学ぶことが好きだった彼女の持つ膨大な知識は計り知れず、六歳の時には稀代の才女という異名までささやかれるほどだった。


 王太子――当時はまだただの王子だったがーーであるアランの婚約者に選ばれたのも、身分的なものに加えて彼女の頭脳が買われたからにほかならない。


 にもかかわらずーー


(お前が隣にいると私が馬鹿のように思われるから、お前はこれから馬鹿のふりをしろ、これ以上教育は受けるなーーって言ったのはアラン王子のくせに)


 婚約して一年足らずでそんなことを言い出したアラン王子には心底あきれたが、オリヴィアは彼の「提案」を飲むことにした。なぜなら用意されていた妃教育の大半は、すでに習得済みだったからだ。無駄なことに時間を割くくらいなら、まだ読んだことのない本が読みたかった。


 オリヴィアはちらりと先ほどから黙って成り行きを見つめている国王と、玉座の隣に立っている宰相である父を見やった。父は表情を殺していたが、娘を侮辱されて内心怒り狂っているのが目に見えるようだ。国王は何を考えているのかわからないが、先ほどからにやにやと笑っている。


(……これを止めなかったってことは、陛下ってば何か企んでいるわね)


 どうしてあの父からこの王子(バカ)が生まれてきたのか。国王が頭の切れる人物であることをオリヴィアは知っていた。


「オリヴィア、何か言いたいことはあるか? それとも愚かなその頭では、現状すら理解できないか?」


 アランがにやにや笑いながら訊ねてくる。もしかしてこの馬鹿は、婚約したばかりのころに自分がオリヴィアに言ったことを忘れているのだろうか? 


 王太子に婚約破棄されるのは大変不名誉なことであるが、生涯をこの王子とともにする必要がなくなったことを考えると、これは喜んでいいことかもしれない。別にオリヴィアは王妃になりたかったわけじゃないし。


 オリヴィアはちょっと考えて、この場で一番この王子がショックを受ける言葉は何だろうかと考えた。このくらいの意趣返しは許されるはずだ。


(そうねぇ……)


 オリヴィアは緋色のドレスの裾をつまんで深く一礼すると、今までアランに見せたことのない満面の笑みを浮かべた。大輪の薔薇が咲き誇るようなその笑みに、アランが目を見開いて息を呑んだのを見て、ことさらゆっくり告げる。


「この度は。ご婚約おめでとうございます、殿下」


「なーー」


 アランの顔が驚愕にひきつった。どうやらアランは、オリヴィアが泣きじゃくったりすがりついたりすると思っていたらしい。


 愕然としていたアランの顔が、状況を理解するとともに真っ赤に染まっていく。それはそうだろう。先ほどのオリヴィアの言葉は、アランの矜持を傷つけるのには充分すぎる。つい数分前まで婚約者であった「捨てた女」に婚約を祝福されたのだ。それも満面の笑みで。捨てられた瞬間だというのに、王子への未練を微塵も感じさせずに。これでプライドが傷つかない男がいたら見てみたい。


「オリヴィア、お前ーー」


「殿下。わたくしはもう殿下の婚約者ではございませんので、どうぞアトワールと家名でお呼びくださいませ」


 アランの顔がますます真っ赤に染まる


 怒りでプルプル震えながら、アランが声を荒げようとした、その時だった。


「遅くなってすみません」


 突然第三者の声が響いて、オリヴィアは振り返った。


(……サイラス王子?)


 にこやかな笑みを浮かべて颯爽とこちらに向かって歩いてくる第二王子サイラスの姿に、オリヴィアは目を丸くする。


 サイラスはオリヴィアの隣で足を止めると、玉座に座る王を見上げた。サイラスの手には真っ赤な薔薇の花束が握られている。


「サイラス! ここにお前は呼んでないぞ!」


 アランが怒鳴るが、サイラスは穏やかに微笑んだまま口を開いた。


「父上、許可をいただいても?」


「許そう」


 それまで黙っていた国王がはじめて口を開いた。いったい何の許可が必要なのだろうかと疑問に思うオリヴィアの目の前で、サイラスが唐突に膝を折る。


 すっと薔薇の花束を差し出されて、オリヴィアの頭の中が真っ白になった。


「オリヴィア・アトワール公爵令嬢。僕と結婚していただけませんか?」


「……え?」


「ふざけるな!」


 茫然とするオリヴィアの耳に、アランの怒号が飛んでくる。


「オリヴィアは私の婚約者だぞ! それを弟のお前がーー」


「おや、兄上は今さっき、オリヴィア・アトワール嬢との婚約を解消されたのではないですか?」


 サイラスが笑顔のまま返すと、アランが悔しそうに押し黙る。


 それを楽しそうに見つめていた国王は、まだ状況の読み込めていないオリヴィアに向かって微笑んだ。


「オリヴィア、急に呼び立ててすまなかった。だが、そういうことだ。アランのかわりに、サイラスと婚約を結びなおしてくれないだろうか?」


 オリヴィアははじかれたように顔を上げ、そして悟った。


(なるほど、最初からこのつもりだったのね……)


 王の真意は測りかねるが、この茶番を止めなかった王は、はじめからそのつもりだったというわけだ。


 オリヴィアはサイラスから花束を受け取ると、笑顔を返した。


「この話をお受けする前に、『お話』いたしませんか? 殿下」

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