17 - 殴るのはどこでもだめです

 どうしてこうなった。

 口にこそ出さなかったが、ユキはそんな思いを抱えて目の前の人物を見上げた。こちらを見つめる相手の顔も、そんなふうに言っている気がした。

 あと、彼は背が高いので、ちょっと首が痛い。


「…………行くか」

「はい」


 ため息をつくように言われた言葉に返事をして、目的地に向かうハンスの後を走って追いかける。大人と子供では、一歩の幅が違う。


 昨日の夜、ユキはエリックと一緒に体を綺麗に拭いて、最初に寝かせてもらっていた部屋に戻り、あっという間に就寝した。その後アーレント家の家族会議が行われたようなのだが、詳しい内容は聞かされなかった。朝食の席で何となく、ハンスが疲れた顔だなぁ、メグは機嫌が良さそうだなぁ、サイラスは昨日と変わらず穏やかだなぁ、エリックは今日も優しいなぁ、と思ったくらいである。

 食器の片づけはきちんと手伝って、サイラスとエリックを見送って、どうしようかなと思っていたところ、メグから今日の仕事を言いつかった。


「ユキくん、ハンスとお買い物に行ってきてくれる?」


 ユキはおそるおそるハンスを見上げた。昨日ほどではないが、機嫌の悪そうな顔は相変わらずである。メグは気にしていないようだが、ハンスはユキのことを嫌いなのではないのだろうか。


「はんしゅしゃん、お仕事じゃないの……?」


 警備隊というなら、仕事があるはずだ。


「……今日は休みだ」


 そのハンスから返事がきたのに、ユキは少し驚いた。メグが口を出すと思っていたのだ。メグの方をちらりと見やると、カウンターの上で何やら作業をしているようだった。


「おやしゅみ、なのに、お買い物?」


 休みの日は家で休みたいのではないか、という気づかい、ではない。ユキと二人で出かけるというのは嫌なのではないか、という疑問だ。さすがにそのまま聞くのは憚られる。


「休みだからだろ」


 そう返してハンスが廊下に出ていく。身の置き所がないような気持ちになり、ユキはソファによじ登った。椅子は難しいが、ソファは座面が低いので、ユキ一人でも何とか座ることができる。


「ユキくん、お待たせ。読めるかしら?」


 メグに紙を手渡されて、ユキは首を横に振った。イケからはまだ文字を習っていない。


「そう? じゃあこれはハンスに渡すことにするわね」


 ちょうどハンスが部屋に戻ってきて、メグから紙を受け取った。どうやら背負い袋を取りに戻っていたらしい。文字を確認してハンスが顔をしかめるのも構わず、メグはユキの世話に忙しい様子を見せた。


「いい? ハンスが変なお買い物をしないように、ちゃんと見張っててね」

「おい」

「それから、疲れたらちゃんとハンスに言うのよ? この人には遠慮しなくていいから」

「……おい」


 その他にも細々と注意を並べていくメグに曖昧に頷き、何度話しかけてもまるっと無視されているハンスをちょっと気の毒に思う。昨日の家族会議で何があったのだろうか。聞きたいような聞きたくないような、いややめておこう、とユキが折り合いを付けているうちに、二人はメグによって外に連れ出されていた。


「それじゃ、二人ともいってらっしゃい」


 そう言ってぱたんとドアが閉められたのが、先ほどの状況である。


 ひとまず迷惑をかけないようにがんばろう、とユキは走ってハンスを追いかけていたのだが、さすがに歩幅が違いすぎて、ちょっとずつ距離が開いてしまっている。ここには跳んで追いかけられるような木々もないから、ひたすら地面を走るしかない。この場合、待ってもらえるよう声をかけてもいいのだろうか。ユキには判断がつかない。体が小さいと大変だ。

 息が苦しくてむせそうになりながら追いかけていると、ハンスが誰かに声をかけられて立ち止まった。良かった、今のうちに追いつけるところまでがんばろう。とっとこ懸命に走っていたユキは、ハンスがこちらを振り返って、顔をしかめた様子を見なかった。


 いつのまにか屈んで待ってくれていたハンスに追いついて、咳き込まないよう注意して息を整えながら、遅れてしまったことを謝る。


「ごめ、なしゃい、おしょく、なりました」

「……いや、悪かった。子供と大人じゃ速度が違うのを忘れてた」


 ハンスもやはり、きちんと了承を得てから背中を撫でてくれる。予期せぬ接触がなくてユキとしてもありがたい。子供なんだから気にしすぎだろうと言う人もいたが、見ず知らずの人に触られるのは、ユキは嫌だ。

 何とかユキが呼吸を落ちつかせたところで、ハンスが立ち上がって手を差し出してくる。転んだわけでもないのに何だろう、と首を傾げていると、ハンスも困ったように首を傾げてしまった。


「手、繋いだことないのか?」


 人がしているのは見たことがある。イケと手を繋いだことはあっただろうか。覚えていないだけか本当にないのか、ユキは曖昧に首を振った。ハンスの目が少しだけ見開かれて、そっとユキの手を取って繋いでくれる。


「こうしてたら、俺も意識してゆっくり歩けるから」

「はい」


 言葉通りハンスがゆっくり歩いてくれて、ユキはようやく街の様子をきょろきょろと観察することができた。

 村よりもたくさん人がいて、家と家の間が狭い。白い壁や、オレンジの屋根の家が多いようだ。道には綺麗に石が敷かれているが、ところどころに木や花が植えられていて、殺風景には感じない。村よりずいぶんと色が多くて、綺麗なところだ。

 そのうちに店の並ぶ通りに入って、小さな屋台で呼び込みをしている人もいた。秋祭りの喧騒とは違って、活気があって楽しい気分になる。これがわくわくするという気持ちなのかもしれない。


「あの店に入るぞ」


 ハンスに言われ、ユキは示されたらしい店を見た。建物は小さめだが、通りにまで品物が並べられている。どうやら服を売っているらしい。


 手を繋いだまま店の中に入るが、他に客はいないようだった。ハンスが店の奥に声をかけると、返事が聞こえて女性が姿を現す。


「あらハンス、珍しい」

「……こいつの服を見繕ってくれ」


 こいつ、のところでずいっと前に出されて、女性と目が合う。優しそうだ。


「はじめまして、ユキでしゅ」


 引き合わされたからには挨拶をすべきだろうとユキは思ったのだが、言ってから後悔した。女性の顔がぐんっと近づいてきて、穴が空きそうなほど凝視されたからだ。はっきり言ってしまえば、身の危険を感じる。優しそうだけど、怖い。


「……何これ可愛い隠し子? あのハンスがメグに隠れて? こんな美人ちゃんを?」


 まさか逃げるわけにもいくまいと大人しくしていたら、ハンスが間に割って入ってくれた。少しほっとして、ハンスの足にくっついて隠れることにする。


「預かりもんだ。怖がらせるな」

「……ハンス、熱ないわよね?」

「正常だ。殴るぞてめぇ」


 殴るのはよくない。ユキは慌ててハンスの右手を掴んだ。驚いたのか、目を丸くしたハンスの顔がこちらを向く。


「何だ?」

「殴っちゃだめでしゅ」


 軽く握られていたハンスの手が緩んで、ユキはほっとした。掴んでいた手が外された時には少し慌てたが、わしわしと頭を撫でられ、視線を合わせるようにハンスが屈んでくれる。


「殴らねぇよ、心配すんな」


 言葉でも言ってくれたのだから、大丈夫だろう。

 初めて入ったお店での暴力沙汰は回避したぞ、と、ユキは小さな達成感を味わった。

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