第17話 絶望と

小牧は蓮を睥睨すると、構える。

腰をいつでも蹴りを仕掛けられるように深く降ろし、両腕は正面からの攻撃に備えているという様子。


しかし、その当たり前の動作が蓮には異様に映った。


なぜなら、そのどれもが簡単に組み伏せられるからだ。 素人の構えと、なんら変わりない。


あえて隙を見せて、迂闊に近付いてきたところを狩るという風にも見えない。

この構えのまま一度、小牧の間合いに入ってしまえば、確実に攻撃が決まる。 構え直す時間は与えない。


だが、あの宮坂を瞬殺した実力を持っている金木を統率していることから、実力は確かだろう。


蓮は小牧の読めない行動によって、迂闊に近付くことができないでいた。


静止を破ったのは、小牧の方だった。


あろうことか構えを解いて、つかつかと、まるで草原を散歩でもするように、なんの警戒心もない様子で蓮に近付いていった。


「安心しろよ、痛みなく逝けるぜ」


蓮は距離を縮められることに危機感、そして形容し難い忌避感を覚えて後退する。 逃げるという選択肢が頭を過ぎったが、民間の被害を出すわけにはいかない。


かといって何もしないというのもおかしい。

第一課の宮坂を秒殺した次元の違う人間に、彼に通用しなかった銃撃が通用するとは思ってはいなかったが、半ば反射的にホルスターから拳銃を取り出して頭部を目掛けて乱射した。


すると、不思議なことが起きた。


ぱぁんぱぁんと、発射された弾頭は小牧に近付くにつれて、段々とスピードを落としていって、顔面の三十センチほど手前で弾頭はほとんど停止、一瞬で淡色になって、被弾する前にぽろぽろと分解、粉化して地面に落ちてしまう。


「な━━━━」


宮坂を殺したのと同じ、理屈の分からない超常が再び目の前で起きた。 通常、炎属性へ転換した生命力は飛ばすか、手に持ったものに纏わせるしかない。

金木が手を伸ばしただけで宮坂を焼き殺したのも、小牧に接触せずして弾頭が粉化したのも、説明がつかない。


「何も知らないってのは、ツラいよな。 弱点はないから教えてやる、俺は「腐食」の起源を行使することができる腐食人間だ。 さっき、お前が撃った弾丸が粉化したのは「腐敗」だ。 俺の肌の周囲に張っている透明な膜のようなものに触れると、物は否応なしに腐っていく。 まあ、これも腐食の能力のうちの一つでしかないんだが、全部説明するのは骨が折れるから体感してくれ」


起源という言葉は一般的な意味としては理解できるが、小牧の言っている起源は違う意味を持っている様子。 結果、話はほとんど理解できなかったが、彼の近くに寄ることは自殺行為だということだけは理解できた。


「アリス!」


蓮はアリスに「紫電一閃」の応用技で距離を取ってもらおうとするが━━アリスは喀血を勢いよく吐くと、地面に膝から崩れ落ちた。 遅れて、蓮も喉が焼けるような激しい痛みと、肋骨が軋むような痛みを覚えて自分でも驚くほどの量の喀血を吐く。


そして、魚でも腐ったような酷い臭いが喉を通って、鼻腔に舞う。


「これが二つ目の能力だ。 俺の「腐食」の起源は因子となって空気中を漂っている。 その因子は空気に混じって、人間の臓器などに入り込むと、たちどころに腐らせることができる。 俺の隊員は全員、それぞれの方法で対策ができているが、それがないお前らには致命傷になるわけだ」


臓器が腐らされている。 それを理解して蓮は怖気を覚えた。

このままでは、近いうちに命を生かしている器官もやられて、死んでしまう。


「アリス! 俺を背負って、上に逃げろ!」


言って、再び大量の喀血を吐いた。 喉か食道の粘膜は既に大分やられてしまっている様子。


アリスは苦しげな顔で口についた喀血を手の甲で拭っていたが、それを聞くと咄嗟に蓮を背負って、「紫電一閃」の応用技で路地裏の壁を走り、ビルの屋上へと上がり、そのまま秋葉原の街を駆けた。


「全く、無駄な抵抗を……」


小橋が嘆息を漏らして、退屈そうに言った。


「じゃあ、頼むぜ」


胸ポケットからタバコを取り出して、ニヤついた顔で一服を終えた小牧はニカと白い歯を出して小橋に笑いかける。



「もう止まって大丈夫だ」


あくまで体感だが、十キロメートルは進んだと蓮は思う。 さすがのアリスも汗が顎を伝い、息を切らせている。


この距離を縮められる、追跡されるということはないだろう。 このまま見つからないように、ここから最も近いうちに駅に向かって、電車に乗り込みW.O.Uの作戦を妨害する。


そう思った刹那━━きぃぃぃぃと、耳を劈く高い音。


反射的に振り返る、その幕間、とてつもなく嫌な予感が二人の頭を過ぎる。


そこには剛健な三匹の黒い馬に引かれた、所々に赤褐色の錆が浮いている、鈍い鋼鉄色のチャリオットのようなものに乗った公安ハンター第二課の四人がいた。


予感は的中していた。

想像を容易に飛び越えて、四人が二人の前に姿を現したのだ。


「な━━━━」


蓮の頭の中に疑問符が何個も浮かぶが、それどころではない。 先頭の馬が鼻息を荒らげて、こちらに向かって駆けんとしている。


避けなければ、前方に向かって跳ぶや否や、左脚に熱した鋼鉄でも押し当てられているような、灼熱の感覚。 遅れて、いくら言葉を尽くしても形容できない、激しい痛みと吐き気。


見なくても、わかる。


確信があった。


首を回して、後ろを見てみると━━自分の左腿から先が千切れて、紅に染まっている。


それを見ると、思い出したように、耐え難い激痛が加速度的にその痛みを増して身体中に走る。


「ああああああああああああああああああ!!!!」


つかつか、と四人の靴音がはっきりと、忌々しく聞こえる。 自分を殺さんとしている四人の殺意が伝わってきて、悪寒が走る。


痛みが止まらないから、左脚が無いから、逃げられない。


目の前に敵が迫ってきているというのに。


四人に囲まれ、抵抗もできずに殺される━━━━その刹那、ばちばちと焚き火が爆ぜるような音と、激しい光、そして目も開けていられないほどの風圧が蓮の五感を支配した。


瞼越しに光が収まったことが分かると、ゆっくりと目を開く。


眼前には、公安ハンター第二課の四人。


しかし皆、自分とは反対側を向いている。


彼らの視線の先には━━腰まで伸ばされた、艶のある黄金色の頭髪、そして頭部の上で青緑色に発光している光輪。毛先や手先からばちばち、と電流が爆ぜている。 体と比べて明らかに丈の短い、白いワンピースに身を包んだ、天使のような美女の姿があった。


蓮はビルの屋上で眉をひそめている彼女に見覚えがあった。


見覚えがあるという話ではない、どれだけの時を共に過ごしたことだろう。


彼女は、明らかに背丈や雰囲気は大幅に変わっているが、アリスで変わりないという確信があった。

彼女の体から漲る生命力なんかも、初めてアビスで会った時とは段違いである。


「アリス……」


アリスは市役所でレート鑑定をした時は、まだ成長率が「二十七.五パーセント」だった。

それはつまり、大幅に成長の余地を残していたということ。


今までのアリスがSSSレートだったとすると、今のアリスはそれを凌駕した基準「SSSSレート」に属しているというところだろうか。


「お兄さん、すぐに終わらせますから」


言って、アリスはにこ、と今までとなんら変わらない、淀みのない笑顔を向けてくれる。


「貴方たちは、もう謝っても許しません」


アリスは自分の周りで唖然としている四人を睥睨して、憤りを隠すつもりのない声音でそう言った。


四人と一人の間に張り詰めた空気が充満する。


戦いが、再開される━━━━

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