第18話 開き続ける距離

 三月中にプロットを完成させ、キャラクターの設定を固めた俺は、高校三年生になっても受験勉強もそこそこに新作小説の本文を書き続けた。

 最低限の学校の課題はこなしたが、帰宅後のほとんどの時間は小説の執筆にあてる。

 男アイドルのために小説を書き始めた藍島が一年も経たないうちに書籍化決定するのだから、俺だってもう少し報われても良いはずだと信じて四月と五月はとにかくがむしゃらに小説を書いた。


 そして何とか物語の序盤を連載を前提とした中編の読み切り作品としてまとめた状態で六月末を迎え、コンテストの締切に間に合わせる。


 新作の執筆に一旦区切りがついた七月からは真面目に勉強をして、八月に発表があったコンテストの中間選考通過作一覧に自作のタイトルがあったことにはほっと一息をついた。

 最終選考の結果発表は九月中旬だったが、受賞者には事前に連絡が行くことを知っている俺は、そのずっと前からそわそわしてメールを待ち、一日に何度もメールボックスをチェックし続けた。

 ある日、小説投稿サイトの運営から、メールマガジンでも懸賞の当選通知でもない連絡先が正しいか確認するメールが届き、返信した後に受賞連絡が来たときの俺の喜びは、一人自室で声にならない声を上げてガッツポーズをとるほどだった。


 そうした事前連絡があっての、最終選考の結果が投稿サイトに掲載された九月の平日の昼休み。

 弁当を食べ終え、正午に予定通り受賞作が発表されているのを確認した俺は、まず真っ先に古賀のいるクラスに向かった。

 三年生になったタイミングでの組み替えで俺は古賀とクラスが離れていたので、登下校以外で用があるときには毎回会いに行っている。


 俺が二つ先のクラスに移動すると、まだ残暑の厳しい気温三十度前半の夏日の正午の蒸し暑い教室の片隅で、古賀は他の人に混じって話を聞いているのか、それとも手に持っているスマホでWeb小説を読んでいるのか、はたまたうとうとと寝落ちしているのかわからない具合で机に頬杖をついて座っていた。


「古賀」


 人を避けながら教室の中に入って、俺は他の人の話を遮らないようにそっと古賀の近くまで寄って声をかけた。

 どうも古賀は寝ていたらしく、一瞬ここがどこなのかわからなくなった様子で目をぱちぱちさせてから、俺の方を向いた。


「あれ、書彦が来てる」


「ちょっと、こっちに来い」


 俺は寝ぼけまなこの古賀を比較的涼しい日陰の廊下に連れ出し、二人になってからコンテストの結果について話した。


「この前のコンテストでの、俺の佳作受賞。今日発表された」


 長々と経緯を話さなくても、古賀は事前に受賞連絡があったことも含めて俺の状況をほとんど把握しているので、何も驚くことなく自分のスマホで結果発表ページを見る。


「お、良かったな。佳作は賞金はないけど、書籍化は検討してもらえるんだったよな。編集者から連絡はもうあったのか?」


 Web小説の読み手として、書籍化までの道のりをそれなりに理解している古賀は、書籍化検討の検討がどこまで進んでいるのかについて訊ねた。


「いやまだ、投稿サイトの運営からのメールをもらっただけで、編集者からの連絡は全然」


 俺は喜びつつも、どこまで喜んで良いのかわからない気持ちで、古賀の質問に答える。

 コンテストで佳作の賞をもらえたという事実は確かにあるが、賞金もなく書籍化検討が検討のまま終わってしまったら、受賞したと言ってもその成果は限りなく無いに等しいものになってしまう。


 そのあたりの事情をよくわかっている古賀は、祝福ムードに水を差さないように深くは掘り下げずに話を区切り、過剰な態度をとることなくあっさりと微笑んだ。


「ふーん、そうか。でもめでたいことには違いないよな。おめでとう書彦」


「ああ。ありがとう。とりあえず発表ページのリンクから、たくさんの人が読みに来てくれてるのが嬉しい」


 俺は投稿サイトの公式アプリに、通知のバッチが多数ついているのを古賀に見せてにやついた。

 もし相手が俺と同じWeb小説の書き手の書籍化志望者だったならこんな嫌味なことはできないが、古賀は俺よりも知名度が高い拡散力のある読み専なので、心置きなく自慢ができる。

 そのアプリの通知数を見た古賀は、軽く「おお」と言って手を叩いてから、ふと何かに気づいたように廊下の端にある遠くの教室の方を見た。


「じゃあ今から、藍島に受賞を伝えるのか」


 古賀の視線の先にあるのは、藍島のいる文系のクラスの教室である。

 まず文理選択の時点で理系の俺たちと文系の藍島ではクラスが違い、藍島のクラスは古賀のクラスから一番離れたところにあった。


「ん……、藍島にはちょっと……」


 俺はあたまをかいて、言葉を濁した。

 すると古賀は、普段よりも強い調子で俺に藍島に会うことを勧めた。


「待て待て。お前だって立派に受賞したんだから、藍島にも普通に言えば良くないか?」


 どうやら古賀は、急にネガティブな反応を見せだした俺に自信を持たせようとしてくれているようだった。

 しかし俺が藍島のところに行きたくない気持ちは、普段は冷静な親友の真心でも動かせないほどに強固である。


「いやだって、今の藍島に書籍化検討でしかない俺の受賞を報告するのは――」


 格好悪い。恥ずかしい。みじめだ。

 そんなような言葉を続けようとしたところで、あの凛と澄んだ金色の声が俺たち二人を遠くから呼んだ。


「与村、と古賀くん」


 廊下の端から歩いてくるその声の持ち主はもちろん、あの藍島である。

 半年後に受験を控えた進学校の二学期は授業後も常に補習があるので、最近は部室に集まることなく用があるときに顔を合わせていた。


 何かが入ったスーパーのレジ袋を片手に悠々とこちらに向かう藍島は、夏らしく髪をポニーテールにしていて爽やかで、可愛らしく夏服のセーラー服との調和がとれている。

 だがほんのり日焼けした夏の藍島がどれだけ魅力的だったとしても、俺は藍島に会いたくなった。


 俺が藍島と距離を置きたい気持ちは、以前よりもさらにずっと重く苦しいものになっている。

 しかしどんなに嫌だと思っても、向こうから会いにくるのだから仕方がない。


「ちょうど良いところに二人揃ってて良かった」


 藍島は俺と古賀の前に来ようとして、開けっぱなしになっている教室のドアの前を通った。

 そのとき、廊下側の席に座っていた古賀のクラスにいる野球部員の陽キャの男子が、藍島に気づいて大声で話しかけた。


「あ、美少女高校生作家の藍島さんじゃん。今日の朝のニュースにも映ってた」


 体育会系特有のよく響く声によって、そのクラス中の視線が藍島に集まった。

 俺ならその場から逃げたくなるような、好奇の眼差しが藍島一人に注がれる。

 しかし藍島はまったく動じることなく、慣れた様子で陽キャの男子のウザ絡みをいなした。


「うん。そんなに長い時間映ってたわけじゃないけど、見てくれたんだね」


 こうしたやりとりは、今の藍島にとってはたいして特別なものではない。


 なぜなら藍島は、八月に発売されたデビュー作がいきなりバカ売れして、もうすでにそこまで文学と縁がなさそうな陽キャの男子でも作品名がわかるくらいの有名作家になっているのだ。


 賑やかで楽しげな他の男子と藍島のやりとりを聞きながら、俺は苦々しく唇を噛む。


(オリコン週間書籍ランキング一位になって、大重版に次ぐ大重版。あちこちの新聞の書評欄で大絶賛されて、テレビの人気情報バラエティ番組では顔出しありのインタビュー付きで紹介される……。藍島が売れる覚悟はしてたけど、ここまですごいことになるなんて俺は聞いてないぞ)


 こういうことは、誰かに教えてもらえるものではない。

 それでも俺は、いるはずのない誰かに文句を言いたくなるくらい、藍島の大成功に打ちのめされていた。


 藍島のデビュー作は、風邪をひいたときに書いたハガキが推しの男アイドルのラジオ番組で読んでもらえた女子が謎の奇病にかかり、病気が重くなるたびにハガキの読まれる確率が上がりアイドルとのつながりが深まるという内容で、ホラー要素のある推し活小説として高く評価されている。


 特に奇病によって余命が短くなった女子がチャリティ番組に出演することになり、その収録の中で推しのアイドルとの対面を果たす場面を推し活と宗教を重ねるテーマと絡めて描いたラストは大きな反響を呼んで、批評家や業界人からは「腐爛の華以来の衝撃作」「令和のユイスマンス」等の大絶賛の嵐だった。


 なぜこの健やかな美貌の持ち主から、そんな恐ろしげな小説が出力されるのか。

 何となく書いた結果がそうなる理由はまるでわからず、やはり藍島は聖女の姿をした魔女なのだと俺は恐怖を覚えつつ、彼女の底知れなさを再確認する。


 しかし藍島が大ヒット作家になったことを知っていても、彼女が何を書いたのか知らない野球部員は、恐怖など一ミリも感じずに笑っていた。


「今から藍島さんのサイン、もらっといて将来売るか?」


 野球部員と仲の良い別の野球部員が、藍島の成功を茶化して笑いを取りに来る。

 それを受けて、最初に話し出した野球部員はおどけて自慢した。


「いや、おれはもうもらってるから」


 その一言はとても面白いものであるらしく、教室全体が爆笑する。


(こういうノリの、何が笑えるのかがわからない)


 相容れない陽キャの男たちが藍島を大人気作家としてネタにしつつ猿芝居を繰り広げるその場を俺は今すぐ離れたかったが、藍島が自分を訪ねて来たことを知っているから去ることもできない。

 その状況に苛立っていると、俺と同じように廊下の外から教室の中を覗いている古賀が、冷めた様子でつぶやいた。


「藍島は小説が上手いから読んでみれば大ヒットするのも納得なんだが、オレが好きなのはホラーじゃなくてリョナだからわくわくはしないんだよな」


 古賀は藍島が新たに得た肩書きに気圧されることなく、冷静に自分の価値観で彼女の作品を評価する。

 いろいろ難しい趣味の古賀がこねる理屈に、俺は安心感を覚えて頷いた。


「俺も藍島がすごいのはわかるが、読んでて楽しいかどうかは別だな。元々ホラーも純文学も面白いと思ったことあんまりないし」


 俺も古賀も基本は男性向けライトノベルの文化圏に生きるものであり、藍島の属するジャンルはカテゴリーが違いすぎて、二人ありがたく献本をもらって読んでも夢中になることは難しい。


 外野でそんな話をしているうちに、野球部員と藍島のやりとりは終わっていた。

 だが今度は真面目そうな女子が、藍島に駆け寄る。その手元には、洗練された絵柄で男女が書かれた藍島のデビュー作の単行本があった。


「あの、藍島さん。私この前、藍島さんの本を読み終えたんだけど、すごく面白かった!」


「そうなんだ。あれ、ちょっと変な話だったけど、気に入ってもらえたなら嬉しいな」


 ごく普通に好意的な読者の登場に、藍島は野球部員と絡まれていたときの飄々とした態度とは違う、心からの笑顔でお礼を言っていた。


 以前の藍島はアイドルオタクの変な美少女であり、同じ男アイドルのファンの女子、そして俺と古賀以外とは、あまり他人と言葉を交わさない存在だった。

 しかし今の藍島は遠巻きにされる厄介な有名人ではなく、ちやほやされるプラスの意味での有名人になっているのである。


「じゃあ、次回作も頑張って書くね」


 そして藍島はファンの女子との会話を無難に締めくくり、渡された本にサインを書き入れてやっと、俺たちの方に来た。


「ごめん。ちょっと待たせちゃったね」


 藍島は申し訳なさそうに、手を合わせて俺と古賀の前に立つ。

 俺はすぐには言葉が出てこなかったが、古賀が自分の趣味は別にして、まず素直に藍島の華やかな出世に感心した。


「いやでも、すごいな。藍島は」


「うん。思った以上にいろいろ上手く行ってくれて、私もびっくりしてる。これも与村と古賀くんが、Web小説のこととかいろいろ教えてくれたおかげかな」


 戸惑いや不安はなさそうだったが、藍島は本当に驚いている様子で、謙虚に俺と古賀の助力を強調する。

 これがお世辞ならまだ良いのだが、藍島の場合本当に感謝しているのだからたちが悪い。


(自分の才能で成功しておいて他人の手柄にしようとするのは、こっちがみっともなくなるんだぞ)


 俺は嫌味の一つや二つを言いたい衝動に駆られたが、どうやっても余計に自分が情けなくなるだけなので黙っていた。

 鋭い切り口の小説を書く力を持っていても目の前の人間の感情の機微には疎い藍島は、俺の愛想笑いの裏にある怒りや苛立ちには気づかないまま、手にしていたスーパーのレジ袋の中身を出す。


「で、今来たのはこれを二人にあげようと思って。ジャパナイがCMに使ってもらえてるミルクティー。抽選企画の応募券のためにたくさん買ったから一つずつどうぞ」


 藍島が俺と古賀に一本ずつ渡したのは、新商品のペットボトル飲料である。

 二つとも何かの応募券らしきシールは剥がされていて、細かい文字がで応募方法が書かれた台紙だけが残っている。


「ちょうど飲みたかったやつだ。助かる」


「毎回、どうもな」


 常に甘味を欲している古賀は普通に藍島に感謝し、結局推し絡みなのが嫌な俺は無感動に受け取った。


「お返しはジャパナイ新曲の再生回数の増加でよろしく。メンズハイネスの与村はもうチェックしてくれてると思うけど、受験勉強の合間の休憩にぴったりなチルアウトな曲だから古賀くんにもぜひ聞いてもらえたら嬉しいな」


 二重、三重に物事を推しと結びつけていく藍島は、自分の小説ではなく推しの男のいるグループの新曲の宣伝で善意の対価を求める。

 話題を男アイドルから離したい俺は、藍島の言葉から学校生活についての事柄を拾って質問した。


「受験と言えば、藍島は東京の大学を受ける予定なんだったか?」


「そう。指定校じゃなくて公募の方だけど推薦で志望校受けられそうだから、このまま決まってくれたら東京に進学かな」


 推しのことから一転、受験生らしい切実さは少なめで、藍島は自分の進路について淡々と語る。

 藍島は元々成績が良いうえに、書いた小説が出版され評価されるという特記事項もついたので、推薦入試で進学先が決まりかけているのだ。


「まあでも藍島はオレたちと違って成績もかなり良いし、推薦が駄目でも行きたい大学に行けるだろう」


 正直俺以上に受験勉強をしていない古賀が、笑って藍島の受験を楽観視する。

 状況は違えども、焦りを覚えていないという点では古賀と同じ姿勢の受験生である藍島は、能天気に言われたことを肯定した。


「推薦でも普通でも、行けちゃえば何でも良いんだけどね。チケットが取りづらくなることに目をつむれば、東京ならジャパナイが見える機会も増えるはずだし……。でもジャパナイは名古屋のテレビ局の番組でレギュラー持ってる関係でちょくちょく名古屋でのイベントやコラボもあるから、東京に行っても結構戻ってくると思うけど」


 案外東京にこだわりがあるわけでもなさそうな藍島は、推しのためにも頻繁に帰省するはずだと予定を告げる。


(藍島が東京の有名大学に進学したらまたより一層名前が売れるんだろうが、俺の目の前からいなくなるならそれで良い)


 東京に行ってさらに小説家として活躍する藍島の将来について考えると頭が重くなるが、それでも物理的な距離が遠くなるのはありがたいと俺はほっとしてもいた。


「それじゃあ、暑いけど今日は夜にジャパナイの歌番組出演もあるし、午後も頑張ろうね」


 言いたいことは全部言ったらしい藍島は、教室の中の時計を見ると話を終わらせてさっさと去っていく。


 藍島の後ろ姿を見つめながら、古賀は俺に何か言おうとしたが、何を言おうとしていたのか忘れたらしく結局何も言わなかった。

 そのときにはもう午後の授業が始まる時間が近づいていたので、俺も古賀と別れて自分の教室に戻った。


(藍島が遠くに去ってくれれば、多分自然と俺とも疎遠になるだろう。遠距離恋愛が終わるように、偶然の男女の友人関係もきっと忘れられる)


 自席についた俺は、五限の英語の教科書とノートを出しながら、藍島と縁が切れるまであともう少しの辛抱だと自分に言い聞かせる。

 しかしその見通しはその日もらったペットボトルのミルクティーよりも甘く、俺には藍島の引力の強さをどこまででも思い知らされる未来が待っていた。

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