第12話 作業通話

「……というわけでTS百合はスタンダードな百合を好む人たちからは忌避されるジャンルなんだが、それはそれとして別のジャンルとしてもっと栄えてほしいと俺は思ってるんだ」


「でもTS百合って、好きな人はもうだいたい好きになってるジャンルだよな。この先まだ伸び代ってあるのか?」


 学習机の上に置かれたノートPCのスピーカーから熱っぽい古賀の声が響き、丈長の半纏で暖をとって椅子に座る俺が淡々と答える。


 藍島にジャパナイのライブに誘われてから数週間後のある休日の夜。


 俺は自宅の自室でPC内のファイルやブックマークの整理などの細々とした作業を進めながら、古賀と通話アプリで話していた。

 本もゲームも電子で買っている俺の所有物は少なく、学習机の他は折りたたみのすのこベッドにビーズクッション、ローテーブルなど最低限の家具だけが並ぶ五畳半の部屋はそれなりに片付いている方である。


(リョナはともかくTS百合はそう好きじゃないから、別に盛り上がってくれなくても良いんだが)


 TS百合のジャンルとしての将来はあまり興味のない話であるので、俺は適当に流し聞きしながらトラックパッドで移動させるファイルをドラッグした。

 何を言っているのかだいたい想像がつく相手であるので、ある意味藍島の推しアイドルについての長話よりも俺は話を聞いていなかった。

 だが古賀も古賀で長年を友人を相手に何も考えずに接しているところがあるので、俺の生返事寄りの対応をあまり気にせず、気持ちよく話し続けた。


「いやオレは、TS百合にはメジャージャンルになるポテンシャルが意外とあると思ってるぞ。少年漫画のラブコメとかでも男女の入れ替わりものは結構あるわけだし、女体化したい気持ちを男は全員少なからず持っているはずで……」


 古賀は長々と自論を展開し、しばらく俺は配信者のトークをBGMにしている気分で作業を続けた。実際、古賀はWeb小説の読み手としてVTuberもやっているのだ。

 なぜ古賀も藍島も俺を相手に大演説を始めるのかを考えてみると、もしかすると俺は人の話を聞いていないわりに、真面目な聴衆っぽい雰囲気だけは持っているのかもしれない。


「それでこの三月に公開されるオリジナルアニメの大作映画も、あらすじにTS要素があってかなり楽しみなんだよな……。ヒロインもちゃんといるからTS百合になるかもしれないし、お前も一緒に見に行かないか?」


 男は皆、潜在的にTS願望を抱えているのである、という古賀の強固な信念に基づく見解はありとあらゆるものに適用され、最後は今後の期待作の鑑賞のお誘いに落ち着く。

 同時に古賀はそのアニメ映画の公式サイトのURLを通話アプリに付属する文字チャットで送り、俺はそのリンクをクリックして鮮やかな色彩で描かれた少年少女の映像を確認した。

 それはTS要素は別にしても、元々普通に興味があったタイトルだったので、俺は古賀の誘いにのる。


「ああ、なんか結構宣伝は動画サイトで見るやつだな。作画が結構すごそうだし、確かに見ても良いかもしれない」


「よし。じゃあネタバレ踏まないように公開日近くってことで、三月の最初の土曜日はどうだ?」


 鑑賞日は合理的に提案され、約束はすぐにまとまりかける。

 だが古賀が言った日付をカレンダーアプリを開いて確認する前から、俺はその日に予定が入っていることを覚えていた。


「いや、ごめん。その日は藍島とジャパナイのライブに行くことになってて……」


 俺がなるべく申し訳なさそうに先約のことを伝えると、古賀は若干気持ちが悪い笑いを挟んでから言葉を返した。


「ああ、そういえばそうだったか。三月になるのが楽しみだって言ってたもんな」


「楽しみにしてるって言ってたのは、藍島の方な。俺は別に、売れ行きが微妙な男アイドルを生で見たいとは思ってないし」


「でも惚れた女子の推し活に誘われちゃったんだから、仕方がないって話か」


 茶化して俺をからかう古賀に、すかさず俺が訂正を入れる。

 それでもなお古賀は俺が藍島に好意を寄せていること前提で笑ってくるので、俺はそれは聞き捨てならないと声のトーンを上げた。


「ちょっと待て。俺は藍島に惚れてはないぞ」


 俺は藍島のことを好きになった覚えはないし、そうした言動をとった覚えもなかったので、俺が藍島に恋愛感情を持っていると解釈されるのは心外である。

 確かに向こうにとっては俺は都合の良い友人なのかもしれない。だが少なくとも俺にとっての藍島との関係は、自分の才能の無さを自覚し一緒にいるのが辛くなる悪縁のようなものだった。

 だが古賀は本人が違うと言っているのにも関わらず、俺が藍島に恋をしているのは至極当然の自然の原理であるとして改めようとしない。


「惚れてるから好きでも何でもない男アイドルのライブにも付き合うんだろ? 惹かれるところが一つもないってことはないはずだ」


 どうやら古賀は、俺が藍島と二人でいるとしんどくなることをわかったうえで、それでも好きだからこそ藍島との関係を精算しないのだと考えているようだった。

 確かに理屈上は、古賀の説明に破綻はない。

 しかし俺本人の感覚としては、嫌々でも藍島の相手を続けてしまうのは人に断るという選択肢を与えない藍島の言葉の超常的な強さが一番の原因であり、その次に実情はどうであれ女子との接点を壊すのはもったいないという貧乏性な俺の弱さと、逃げるのは恥だという男としてのプライドの高さが理由として存在している。


「そりゃ顔とか、それ以外も全体的に外見は好きだけど……」


 また正直に言うと、藍島の溌剌はつらつとした清潔感のある見た目の可愛らしさが自分の好みであることは否定できない事実である。

 そうした複雑な心中を踏まえ、俺が言葉を濁しつつ古賀に反論を試みると、古賀はスピーカー越しに不思議がった。


「顔と身体が好きなら、それはつまり惚れてるってことじゃないのか?」


 わざわざ俺がオブラートに包んで言った言葉を「顔と身体」と直接的に言い換えて、古賀は結局のところ肉欲がすべてなのだと結論づける。

 藍島と二人でいることで生まれる苦しみをただの恋愛に換算してもらっては困ると、俺は古賀の決めつけに対して何とか言い返そうとした。


「いやでも、そうじゃなくて、恋をするには内面的なことも大事だよな」


 まるで生娘みたいなセリフじゃないかと自分でも言っていて思ったし、古賀もそう感じたらしくスピーカーからは意地悪いせせら笑いが聞こえてきた。

 それから古賀は妙に大人ぶった調子で、俺に恋愛について教えてくれる。


「理由はどうであれ、何やかんやと理由をつけてお前が関係を断たない時点で、それは恋みたいなものだと思うぞ。オレは」


 俺の否定したい気持ちのすべてを見透かしたような言葉に、俺は黙ってくちびるを噛んでモニターに映る古賀のアニメ絵の美少女のアイコンをにらんだ。

 イケメンで高身長という高い下駄を履いておきながらまともに異性と付き合った経験がない古賀は、ある意味ごく普通の非モテの俺よりも健全な異性愛から遠い人物なのではないかとも思うのだが、膨大な読書量のおかげか発言に説得力があるのが嫌だった。


 それから古賀は映画を見に行く日として別の日付を提案して、俺が了承すると話題は今度はリョナ小説のことへと移っていく。

 古賀にとって俺と藍島の関係はそう重要なことではないようで、だったらほっといてほしくもあったが、どうでもよいからこそ突っつきたいみたいなので仕方がなかった。

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