完全に推しだけしか見えていない藍島さんが、世界で一番の小説家になるまで
名瀬口にぼし
完全に推しだけしか見えていない藍島さんが、世界で一番の小説家になるまで
第一章 高校生編
第1話 ドルオタのギャルと文学青年
4月も半ばを過ぎた、よく晴れた日の放課後。
知多半島の西北端の高校に通う文芸部員の俺は、部室である資料室で机に突っ伏して寝ていた。
他にも部員はいるが皆幽霊部員なので、使われない備品だらけの部屋にいるのは俺だけだ。
別に昼寝をするだけなら帰宅してもいいのだが、俺はグラウンドで練習している運動部の掛け声を聞きながら寝るのが好きだった。
外には汗を流し青春を謳歌している生徒たちがいる一方で、自分は狭く汚い部室で一人昼寝をしている。その落差に身を置くのが逆に気持ちが良いのだ。
(野球部は、走り込みが終わったみたいだな……)
外の音の様子で時間の経過を感じながら、俺はうとうとと心地のよく眠気の中に居続ける。春の午後の日差しに暖められた部屋にいると、無限に寝ていられそうな気がしていた。
しかし完全に寝入りそうになったところで、突然大きな物音が部室内に鳴り響く。
それは部屋の出入り口にある引き戸が、勢いよく開け放たれた音だった。
「3組の
与村というのは俺の名字で、声の持ち主は誰かはわからないが女子のようだ。
(一体なんなんだ、急に)
急に女子に自分の名字を呼ばれるのは、日陰に生きる俺にとって不安が呼び起こされる出来事だ。混乱しつつも顔を上げると、そこにはスマホを手にした一人の少女が立っていた。
透明感のあるロングの黒髪に、繊細なまつ毛に縁取られた二重の目元。
すらりとした細身にこの高校の制服である古典的なセーラー服がよく似合う彼女は、2年1組の藍島まほあ。
クラスメイトの名前も満足に覚えきれない俺でも名前を知っているほどに、校内でも随一の美少女と評判の高い女子生徒だ。
(なぜこいつが、この部室に?)
無言のまま俺は、藍島の綺麗で可愛らしい雰囲気の顔を見る。
ぱっとしないやせぎすの眼鏡男である自分に、女子が何の用があるのか見当もつかない。
しかし俺の困惑をよそに藍島は部室内にずんずんと入り込み、俺の前までやってきて話しかけてきた。
「あなたが、3組の与村だよね」
「ああ」
「スマホでいつも何かを書いているっていう」
「小説投稿サイトのことを言っているなら、それなりには使っているな」
令和の文学青年を自称する俺は、自分の時間のほとんどをWeb小説の読み書きに割いていて、今使っているサイトはプレオープンした小学校五年生のころからお世話になっている。
そのことは別に隠してはいないので、藍島が誰かから聞いてもおかしくはない。
「その小説投稿サイトってやつに詳しい与村に、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
質問に俺が受け答えると、藍島は有無を言わさない圧のある態度でスマホの画面を突きつけた。
「私、このサイトでやってる『ワケもなく悪い男の小説大賞』っていう、審査員がJapan Knightsのモツヒサくんで受賞作を朗読してくれるコンテストに応募したいんだよね。私は初心者だから、与村が投稿サイトの使い方を教えてくれない?」
そう言って藍島が俺に見せてきたのは、俺が普段使っているサイトとは違う、黒とピンクを基調にしたデザインがお洒落な女性向けの小説投稿サイトのTOP画面だった。
Japan Knightsというのは、大手事務所が大々的にデビューさせたわりに売り上げが芳しくないと評判の、新人男性アイドルグループの名前である。どうやらその女性向けのサイトでは、新規ユーザーを増やすためにアイドルとのコラボのような華やかな企画も行われているらしい。
(結構いろんなイベントがあるんだな。運営の注目作品ピックアップの更新も頻繁なようだし)
普段使っているサイトとは雰囲気がまったく違う、ガーリーな画像がずらりと並ぶそのサイトを、俺は興味深く観察した。
一方の藍島は、天使のような姿とは不釣り合いな熱っぽい早口で話し続ける。
「私、小説なんか書いたことないんだけど、研究生時代からモツヒサくんのこと見てるから、絶対にモツヒサくんに朗読してもらう価値のあるものが完成すると思うんだよね。モツヒサくんの趣味が読書だから、私もなるべくモツヒサくんが読んだって言ってた本は読むようにしてきたし。モツヒサくんはね、実は結構読書家なんだよ。バラエティ番組ではややうざいお調子者のキャラなんだけど、握手会にいるときの素の姿はすごく物静かで思慮深い雰囲気の人で、そのギャップがまた……」
こうして「推し」への愛を語る藍島の瞳には、危なそうな光が宿っていた。
実のところ、藍島まほあはかなりの美少女なのだが、男子生徒の憧れの的にはまったくなってはいない。
なぜなら彼女は可憐な外見に反して性格がきつく、そしてその「モツヒサくん」という男性アイドルの熱狂的なファンとして学校中によく知られているのだ。
(俺にある用事っていうのもその、男アイドル絡みのことだったんだな)
相手の意図を把握はできた俺は、言いがかりや苦情ではなくて良かったとほっとする。
「でも俺、自分の小説書くのに忙しいから……」
「オッケー。じゃあ今から私、ここでモツヒサくんがなぜ最強のアイドルであるかについてプレゼンするね」
藍島とは関わり合いになりたくない俺は、適当に理由をつけて断ろうとした。
しかし藍島は一向に人の話を聞かず、スマホの画面を切り替えてそのアイドルの楽曲のMVを流そうとし始める。
「モツヒサくんの素晴らしさがわかれば、与村もきっと私に協力してくれると思うんだ。モツヒサくんは変顔も得意だけど黙っていればウルトラ美形で、歌もめちゃめちゃ上手いんだよ。まずこのデビュー曲のモツヒサくんの歌声を聞いてほしんだけど、初っ端から出してくるアイドルらしからぬ低音グロウルがエグくて……」
その圧の強さに観念した俺は、藍島が動画サイトのプレイボタンを押してしまう前に、渋々要求を承諾した。
「わかった。わかる範囲でよければ、見てはみる」
「あ、それじゃアカウントを作ってここからどうすればいいのかわかんないから、説明よろしく」
俺が手短に返事をすると、藍島は一旦推しについて語るのを止めた。
そしてサイトの上部に表示されていたアイコンをタップし、作者向けのマイページを開いてにっこりとほほ笑む。
藍島の表情は半端なく可愛らしく、魅力的だった。
だがその笑顔が売れない男アイドルを愛しているからこそのものであることを知っているので、俺は恋に落ちたりはしなかった。
もしかすると、藍島に投稿サイトの使い方を教えるのは、今日一日では終わらないのかもしれない。
だが何度藍島に頼りにされたとしても、きっと俺はヘルプページ以上の扱いを受けることはないだろう。
俺は直観で、そう悟っていた。
しかし藍島がいずれノーベル賞作家になる人物であることは、そのときの俺にはわかるはずもないことであった。
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