第29話 もっとも薄汚れた笑顔

 いつもヘラヘラしているくせに、その瞳にだけ怒りを立ち込めた高梨に、私は何も言い返せなかった。

「ま、とはいえ出来ることは限られてるからね~。私は本当に安全係ってことで、不良はお願いね、猪川さん」

「あ、あぁ。任せとけ」

「乱暴しか能がなさそうだし」

「お前、本当に私のことが怖いのか……?」

「怖いよ。でも、嫌いじゃないよ。不思議な感じだよね~」

 急いで着替えるから、と高梨は部屋に戻ってしまった。家の外まで、高梨の声が聞こえてくる。


「お父さん! ちょっと出掛けてくるね!」

「どこに行くんだ!? というか、さっきのカチコミは何だったんだ!?」

「今日の夕方に、私と来てた女の子だよ。背の高い」

「あぁ、あの甘党ちゃんか」

「そう、甘党ちゃん。それ本人に言ったら怒られると思うから、言わない方が良いよ。猪川さん短気だから!」

「分かった! その代わり、今度来てくれたらサービスしてあげよう! とびっきり甘いパフェでな!!」

「そうだね! でも本業のラーメンも頑張ってほしいかな!」


 五分ほど待っていたが、なんかあっという間に感じた。

「お待たせ! 行こうか、甘党ちゃん!」

「裏話は隠せよ。私はどう反応すればいいんだ」

 動きやすいジャージ姿になった高梨は、背中に二本の竹刀をバツ印に背負っていた。漫画みたいな装備じゃんかよ。

「竹刀は置いていけ。喧嘩に使っていいものじゃない」 

「え、でも装備無しで行くのは危ないでしょ。どうせ相手は何か持ってるだろうし」

 高梨のいう事も正しいのだが、やはり竹刀を見ると思い出すものがある。

 でも……加奈を守るためには、持っていた方が良いかもしれない。今は、守るものがある。

「……わかった、私も竹刀を受け取ろう」

「え? これ二本とも私のなんだけど……」

「正気か、お前」

「お父さんが言ってたんだ。『二刀流は最強だから使え』って」

「そうなんだ……」

 親子ってここまで似るんだな……知能指数とか。

「さ、準備も出来たしさっさと学校に行こう! 天音さんが心配だよ。黙ってれば可愛いから、不良にいけないことをされてるかもしれない……!」

「お前も黙っていれば可愛いから黙っててくれ」

 高梨が満面の笑みで黙って頷いた。そのまま数年は黙っててほしい。

「よし、行くぞ」

 高梨も自分の自転車に乗り、夜の道を駆け出した。

「お姉ちゃん……待っててね……」

 私にしがみつく加奈の力が強くなる。もう泣いたりしない。本当に強くなった。


 おい、天音。お前、お姉さんなんだろ? 妹に心配かけてんじゃねえよ。



「…………で、何でお前はまだここにいるんだ。津田」

 校門が見える距離に差し掛かった所で、電柱の影に隠れている小さな影を見つける。それは、先ほど高校の情報をくれた陰キャだった。

「なんでって……天音さんが危険なんでしょ? ぼ、僕も力になりたくて……」

 怯えながら、津田が加奈に目をやった。そして、優しく微笑む。

「君が天音さんの妹さんかな? そっくりだね」

「はいです。天音加奈と言います」

 加奈は少しだけ私の後ろに隠れる形で挨拶を返した。

「先ほどは、お姉ちゃんの情報をいただき、ありがとうございました」

「気にしなくて良いよ。そんなことより、お姉ちゃんが心配だよね? 早く助けに行こう」

 加奈の前で少し元気に気取る津田だが、手が震えている。まぁ当然だろう。普段喧嘩もしなさそうな優男が、不良に立ち向かうなんて無理な話だ。

「意気込んでいるところ悪いが、行くのは私だけだ。お前は帰れ。危険すぎる」

「危険なのは猪川さんもだよ……見てただけでも大きな男ばかりが中に入っていくんだ。それも何人も。女の子だけじゃ危ないって」

「私より弱い奴を連れていく方が危険だ。無駄に気を使わなきゃいけなくなる」

「じゃあ、津田君は私と一緒に加奈ちゃんの護衛ってことで!」

 高梨が自分の竹刀を背中から抜き、津田に差し出した。

「これ使って。私お手製の竹刀だよ!」

「……」

 え、あれ買ったんじゃないの? 自作なの?

「高梨さんって、本当に何でも作れるんだね……」

 戸惑いながらも竹刀を受け取った津田は、意外にもまっすぐに素振りをした。


「なんだ、お前。経験者か?」

「中学校の授業で少ししてただけだよ……よく分かったね」

「勘だよ、なんとなく」

 指の骨を鳴らす。景気付けに首の骨も鳴らした。

「ま、それくらいなら加奈の護衛は任せられそうだな。宜しく頼むぜ?」

「ねぇねぇ、私達はどこで待機してればいいかなー?」

「どっか安全そうな所にいればいい。解決したら呼ぶから」

「オッケー!」

「じゃあ、行ってくる」


 校門に行くと、さっそく三人も男がいた。中に入ろうともせずキョロキョロとしている様子からして、門番役だろう。いわゆる下っ端だ。

「おい、お前らのリーダーはどこだ?」

「なんだお前。女が一人でこんなとこに来てんじゃねえよ」

「答えないなら消えろ」

 鳩尾に一発。男は泡を吹いて倒れた。

「何しやがる!」

「騒ぐな。答えろ」

 残りの二人にも質問したが、特に情報も得られぬまま殴って黙らせてやった。

「やっぱ下っ端には情報を流さないタイプか……」

「うんうん。相手は余程の慎重派だねぇ」

「……なんでお前までついて来てんだよ、高梨」

 私はちゃんと安全な所にいろって言ったよね?

「津田、お前もしっかり手綱を握ってくれよ。馬鹿なんだから、こいつ」

「失礼だね猪川さん! 私は考えたんだよ、学年一の頭脳を持って、最適解を!」

 付けてもいない眼鏡を中指で押し上げ、ドヤ顔で言い放った。

「猪川さんの近くが一番安全! なぜなら強いから!」

「大事なのは学力だけが全てじゃないんだなって思い知らされたわ」


 もっと強く言ってやりたい所だが……もう手遅れのようだった。

 物音に気付いた連中が、少しずつ集まってきていた。暗くて距離も人数も把握しきれないが、ざっと十人はいるだろうか……?

「お前らと悠長に話してる暇はねぇな、これ」

「ふ……私の竹刀の錆にしてやるぜ!」

「高梨さん!? 僕らは守りに徹するって約束だったよね? もしかしてだけど忘れたの……?」

「怖い人達がいっぱい……」

 完全に囲まれている中、なぜか相手から責めてこない。それに、声も出さない。

 威嚇なり質問なり、してきてもいいと思うのだが、こいつら不良は何を考えているんだ……表情も見えないから考えも読めない。

 いや、こいつらなら……あの男なら……。

「なんでか分からないけど、全然襲ってこないね……これ、ビビってるんじゃない? こっちから責めちゃう?」

「いや、待て」

 高梨の勇み足を制する。

「こいつら、正当防衛のために自分から手を出さないつもりだろう」

 昔と変わらない男のやり方だ。ねちっこく、嫌らしい手口と思考。

「あいつら……ここまでしてて、まだ自分らを被害者側にしようとしてやがる……」

 噛みしめた奥歯が軋轢で音を立てた。暗闇の中に、あの男の下卑た笑みが浮かんで見える。


「あのさ……猪川さん」

 真っ暗な中、津田が小声で囁いた。

「なんだ」

「このままじゃ時間の無駄だ。僕に手がある。その前に確認したいことがあるんだ」

「……何をだ」

「何人いるか分からないけど……全員を倒せる?」

「一人でも十分やれるわ」

「じゃあ、僕らもいるから簡単だね」

 そういうや否や、津田は突然、竹刀を地面に振り下ろした。


 竹が爆ぜる音が学校に鳴り響く。突然のことに、私も怯んでしまった。

「おい、突然何を__」

「痛ぇ!! ちくしょう、やられたぞ!!」

 普段の津田からは想像も出来ないくらい、野太い声で叫び出した。


 それを皮切りに、不良たちの足音が一気に押し寄せてきた。

 ある程度近づいてくると、それぞれの輪郭が見えてくるから、それらを退治するのは難しくない。数人を沈めながら、校舎の方へ走り出した。

「津田、お前……」

「こんだけ暗闇なんだ。不良たちも全員を把握しきれてない。そんな中、仲間みたいな声が聞こえれば……信じるよね?」

 淡々と説明してくるが、やたら早口だし、声も震え気味だ。

「慣れないことすんなよ、陰キャのくせに」

「女の子ばかりに無茶させてるんだ、これくらい……」

「分かった分かった。あとは震えてていいから、加奈の手だけは離すなよ」

「任せて……」

 

 校舎の扉は、案の定開いていた。私と津田、加奈が転がり込み、急いで扉を閉めて鍵をかけた。これであの大群が追いかけてくるまで時間が稼げるはずだ。

「待て……高梨はどこだ?」

 あんなに騒がしい奴がいないと、こんなにも静けさが肌に貼り付くものなのか。

「奏良お姉ちゃん! 高梨さんが外にいるです!」

 加奈に言われて目を凝らして見る。

 ……よく見ると、高梨みたいな奴が全速力で校門の周りを駆けまわっていた。

「あの馬鹿……何でこっちに走って来なかったんだ!」

「たしかに、どの方向に走るか言ってなかった……僕らと逆方向に行っちゃって、はぐれたんだ!」

「本当に馬鹿か、あいつは!」

 大勢の不良に終われる高梨は、面白いほど綺麗なフォームで右に左に走り回っていた。

「こっちに来い!」

 鍵を開け、高梨に呼びかけた。

 それに呼応し、急旋回して戻ってきた。

「見つけた! 見つけたよ!!」

 苦し紛れに竹刀を後ろに投げ捨て、転がるように校舎の扉を潜り抜けた。

 鍵を締めた途端に、不良たちが突き破ろうと体当たりをしてきた。だが、普段から暴力を想定された学校だ。生半可な力ではヒビも入らないガラスにより、完全に分断された。

「し……死ぬ……サバンナってこんな感じなのかな……毎日……」

 這いつくばる高梨は、頭だけ持ち上げて私を見た。

「そんなことより、見つけたよ!」

「何をだ」

「私達の教室! 一瞬だけど、光った! 誰かいる!」

「そうか、そこにいるのか」

 

 上に繋がる階段から足音が複数する。やはり気付かれたようだ。

「おい、騒がしいぞ」

 男の声だ。

「今からお楽しみなんだ。邪魔すんな」

「お楽しみってのは、何をしてんだ……?」

 男が明らかに怯んだ。大方、味方の誰かがいるとでも思っていたのだろう。

 残念。お前が今話しかけたのは、敵だ。

「なんでこんな所に女が__」

 一気に距離を詰め、顎へ掌底を打ち上げる。少し浮き上がった巨体は、そのまま静かに膝からくず折れた。

「よし、行こう」

「奏良お姉ちゃん……やっぱり凄いです……」

 加奈の声を聞いて、ちょっとだけ元気がまた湧いてきた。

「待ってろ、もうすぐお姉さんを助けてやるからな」

 四人で階段を駆け上がる。

 

 階段を上った先は、誰もいなかった。

 やけに静かな廊下を歩き、私達の教室へと辿り着く。


 そして、扉を開けた。


「また君か……」

 あいつがいた。

 半年前も、あいつは暗闇に紛れるように悪事を働いていた。あの時、成敗しきれなかった悪意と、また相まみえることになるなんて、なんて悲劇だろうか。

「君はいつもいつも、僕の恋路を邪魔する……被害者の気持ちも考えてくれないかな……?」

 

 そう言って、男は嬉しそうに笑った。

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