第26話 私は馬鹿だ

「怖いよ……お姉ちゃん、どこに行ったの……? 外の男の人たちは誰……?」

 玄関の外で、ずっと男の人の声がします。

 何を話してるのかは聞こえないけど、たまに汚い声で笑っています。

 そして、たまに玄関を乱暴に揺らしたりしてくるのです。

 怖くて怖くて、玄関で腰を抜かしてしまいました。漏れてしまいそうな自分の声を必死に手で押さえて息を殺すことしか出来ません。


 早く警察に言わないと……でも、足が竦んで動かないのです……。

 それに、今変に動いたら物音を立ててしまいます。

 中に私がいるって気付いたら、この人たちは襲ってくるはずです……。


 ふと、昔の記憶が浮かびました。

 公園で知らない男の人に襲われた日の事です。

 今も怖いけど、その時は何倍も怖かったのです。腕を掴まれ、振り払おうにも力で勝てず、少しずつ引っ張られていきました。叫ぼうとしたら、口を塞がれました。

 

 そして、夜の公園の街灯の光を反射させ、刃物を見せてきたのです。

 もう、気を失いそうでした。私は殺されるのか、そう思いました。

 

 人の命は一瞬で散ります。前兆も無ければ、伏線もありません。

 だから、もう私は諦めていたのでした。

「でも……来てくれたじゃん……」

 あの日のヒーローは、突然現れました。

 それこそ、前兆も伏線も無く。


 だからこそ、期待してしまう。

「助けてよ!」


 私は耐え切れず、叫んでしまった。

 その瞬間、男が玄関を突き破って家に入ってきたのでした。



「加奈……加奈…………加奈!!」

送られた住所は、走っていくには少し遠かった。

指定された場所は、さっき私が待ち切れなかったバスの行き先と一緒だったのに気付いた時は、自分の短気な性格に辟易してしまった。

「昔から変わってないな、私は……」

 変わっていないことは、私にとっては良くないことなんだと思う。

 あんなに絶望したのに、また同じことをしようとしている。

「いや……もう、繰り返さない!」

 走りながら、自分に言い聞かせた。

 もし加奈が、また前のような危機に瀕していたなら、今だからこそ取れる方法で解決すればいいのだ。

 加奈への想いを裏切った私にめぐってきた、最後のチャンス。

 助けたことを後悔して、自分の正義から背を向けた私にとっての唯一の挽回。

「絶対に……今度こそ助けるから!!」


 息が切れて、なお全速力で走り続けて数分。目的地が見えてきた。

 家の前に、座り込んでいる柄の悪そうな男が二人いるのが見えた。

「あの制服……うちのじゃんかよ……」

 うちの高校なら、人に危害を加える可能性が高い。話し合いでどうにか出来るだろうか。それとも、他に何をすればいい。

 どうすれば、私は加奈を助けられる……?


「てか、もうダルいから扉壊しても良くない?」

「いや、流石にダメじゃないか? 勝手なことをすれば、俺らが半殺しにあうぞ」

 男達が話していた。

「でも、早く戻らないとお楽しみ会に間に合わんぞ」

「そうは言っても、余計な事は計画に泥を塗るからって、何人もボコられてたの見てたろうが」

「神経質だよな。うちのボスは」

「一番相手にしたくない男だよ」


「おい……お前ら、何をしている」

 やっと着いた。

 乱れた息を整える前に、男達に声をかけた。

「誰だ、お前」

「こっちが質問してるんだ。答えろや」

 男の一人が胸倉を掴んでくる。背が高い私は、この程度の男からの胸倉では体幹が一切崩れもしない。

「誰に口きいてんだ。お前、見たところ一年だろ。俺ら二年だぞ。敬語を使えや」


 先に手が出そうになるのを、ギリギリのところで踏みとどまった。

 ここで殴ってしまっては、また同じ悲劇の繰り返しになりかねん。

「……おい、待てよ」

 もう一人の男が、私の顔をじろじろと覗き込んできた。

「……なんだよ」

「お前……猪川じゃないか? あの、剣道で有名だった」

「だったら何だってんだよ」

「いや、落ちるとこまで落ちたなって思ってな」

 私の手が届かない距離まで下がり、クスクスと笑いだした。

「お前、あれだろ。半年前に俺らに暴力して学校で処分とか食らったって噂だったが、まさかうちの高校に来てたなんてな」


「…………まて、お前。今何て言った?」

 胸倉を掴む腕を捻り、ねじ伏せながら笑う男を見つめた。

「いてぇ! 離せや!」

「黙れ、お前には聞いてない」

 足払いで膝をつかせ、その顔面に膝を一撃。あっという間に男は大人しくなった。

「お、おい! お前また暴力沙汰を起こしてみろ! 後悔させてやるからな!」

 一歩一歩近づく度に、残った男はうるさく騒いだ。

 仕方がないので、片手で首を絞め、つま先だけが地面に触れるくらいの高さまで吊り上げる。

「黙れ、答えろ……お前、あの時いた奴らの一人か?」

「ぐ……げぇ……」

 答えが言葉になっていないが、肯定している、と思う。

「なんであの頃のお前がここにいる。また加奈を狙いに来たのか?」

 さっきとは違う、何か言いたげな顔をした。

「…………」

 仕方なく手を離してやると、強く締め過ぎていたらしく、相当むせていた。

「早く答えろや」

「お前……絞めておいて何を……」

 口答えをする男の首に、またそっと手を添えてあげた。

「次はもっと絞めるぞ」

「……そもそも加奈って誰だ」

 殺してやろうかと思ったが、さすがにそこまでしてはいけない。

「お前らが襲った女の子のことだ。名前も知らずに襲ってたのか、屑が」

「興味を持ったのは俺たちじゃない、久保さんだ」

「久保……?」

「俺たちのボスだよ……お前が竹刀を叩きこんだ、あの人だ」


 あいつの手下が、ここに来たのか。怖かっただろう。可哀想に、加奈。

 つい、首に添えた手がミシミシと音を立てて締め上げていく。

「なんであいつが、また加奈に用があるんだよ……この間、忠告したのによ!!」


 ☆


 この間、私は屋上であいつと再会した。

 正しくは、在校生だったあいつに私が見つかったのだ。

 あいつは私を見るなり、蔑むように笑ったのだ。

「あの日は痛かったよ。だから君には、あの日以外ずっと痛い思いをしてほしかったんだ。願いが叶ったみたいで僕は凄く嬉しいんだ」

 私はあの日、あいつを二度と立てないくらいに殴りつけてやろうと思った。

 それを邪魔されたのだ。あの正義に狂った女に。


 正義心ではなく、復讐心で拳を握ってしまった自分に、あいつの正義心は眩しすぎた。そんなあいつが目障りで、いっそ殴りつけてやろうと思ったのだ。

 それでも、雨に濡れるあいつの顔が、泣いた自分の顔と重なって、殴れなかった。

 私はずっと、中途半端な女なんだ。



「あの時、やっぱり殴っておけばよかった、あの男……!」

「お……お前が何を考えているか知らないが……久保さんは過去の女になんか、興味ねぇよ……」

「うるせぇ!!!」

 怒りに任せて男を振り上げ、ボールを投げるかのような勢いでそのまま家の玄関に投げつけた。

「勝手に喋ってんじゃねぇよ、三下がよぉ!!」

 玄関のガラスが砕け、ひしゃげた扉の中で男が完全に失神してしまった。


 そして、崩壊した玄関の先で、小鹿のように震える少女を見つけた。


 その少女は、あの頃と全く変わっていない風貌だった。いや、ほんの少しだけお姉さんになったかもしれない。一緒に話した声を、また聴きたい。笑った顔を、また見たい。

 でも、どう話しかければいいんだ。

 頭を抱えて震える少女に、私はそっと近づいて頭を撫でてあげた。


「加奈……」

「……その声……!」

 涙で濡れた顔を上げて、私と加奈は目を合わせた。

 半年ぶりの、再会だった。

「待ってたんだよ、私……あの日の夜も……!」

「ごめんな、弱虫な私で」

 月は見れなかったけど、加奈の笑顔がまた見れて、私は満足だった。

「けど、また乱暴で解決しちゃったよ……」

 自分の馬鹿さ加減に嫌気が差す。

 けど……今は少しだけ、浸らせてくれ。

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