第20話 竹刀が折れた

「あー楽しくねぇ」

 好きだった甘いものを食べても、この気分は晴れなかった。

 やはり、食べ物は環境も大きく関係するらしい。これなら一人でコンビニのスイーツを食べた方が遥かに満足だっただろう。

「高梨も天音も、やっぱ肌に合わねぇわ」

 あのお店は穴場だし、行きつけにしようかとも思っていたけど、やっぱ辞めておこうかな……いや、まぁ美味いし、たまに行くくらいなら良いだろう……。


 待ち切れなかったバスが私を追い越していく。一番後ろの席に座っていた天音と一瞬だけ目が合ったが、すぐに街路樹に遮られて見えなくなった。

「くそ、待っときゃ良かった」

 本当にあと少しでバスが来たらしい。自分の短気な性格がまた嫌いになりそうだ。

「……ちょっとコンビニのアイスでも食うか」

 明日はちょっとランニングしよう。

 少しでも罪悪感を無くすために、遠目のコンビニを適当に検索し、そこまで歩くことにした。



「やっぱ甘いは正義だわ」

 コンビニで買ったモナカアイスを頬張りながら、途中で見つけた公園のベンチで緩やかな風を浴びる。うっすらと汗ばんだ肌が心地よく冷やされて、全身が喜んでいるようだ。

「まだ少し寒いな」

 まだ明るい空に一番星が見えた。

 夕焼けが終わろうとしている。

 早く帰って部屋の片付けをしないといけないのに、それを思い出すたびに帰る意思がどんどん薄くなっていくのだ。

「てか、片付けしようって思ってから半年以上も経つもんな、マジで」

 片付けられないとはいえ、何も部屋が汚いわけではない。

 毎日掃除はするし、家にいる時は空気の入れ替えもしっかりする。


 片付けられないのは、昔の物。要らなくなったもの。

 それがどうにも捨てられない。部屋が綺麗だからこそ、片付けを後回しにしても支障を来たさないのだ。そりゃ好きでもない片付けなんてやらんわ。

 

 公園の外では、部活帰りなのか、女子中学生が楽しそうに談話しながら帰路についていた。時間的に部活帰りだろう。爽やかな面持ちだが、汗で濡れた髪が艶やかでもある。

 輝いている。つい一年前は、私もあちら側の人間だった。

 それを思うと、少しだけアイスの甘さが薄く感じた。


 これは未練? 何を今更。


 くだらない想い出は、こんな黄昏に一層大きくなっていった。



 剣道は、幼い頃からずっとやっていた。

 始めた原因は、たまたまテレビで見た剣道の試合だった。チャンネルを適当に変えていた時、竹刀と竹刀がぶつかる破裂音が私の鼓膜も心の大きく震わせたのだ。

 最初は怖かった。ロボットみたいな人が、棒を持って喧嘩のようなことをしているのだ。まだ五歳の女の子には、乱暴にしか見えなかった。それでも、目が離せなかった。竹刀を振り下ろすたびに薄目になりながら、それでも見続けた。

 そして、片方の竹刀が面を捉え、勝敗が決まった。

 ルールも分からない私に試合の良し悪しは理解できなかったが、試合後に面を取った選手の表情が、これでもかというくらいに爽快な顔をしていたのを忘れられない。

 笑顔とはまた違う、清々しいそれに、私は惹かれた。


 すぐに親に、あれはなんだと尋ねた。そして、覚えたての剣道という言葉を噛みしめ、それがやりたいとお願いした。

 親は少し悩んでいたが、次の週から近所の道場に通わせてもらえるようにしてもらえた。それが、私の剣道の始まりだった。


 正直、楽しいと思える時間はあまり無かったかもしれない。

 竹刀は重たいし、筋トレや通常練習はしんどいし、相手に一本とられたら防具を着けてても痛い。二日に一回は、手足の肉刺や痣を見て泣いていた。

 初めての理想と現実の乖離は、幼い心には辛過ぎた。

 そんな私を剣道に繋ぎとめたのは、もはや意地だったのかもしれない。


 私は泣いてばかりだった。あの、テレビで見た爽快な表情を全然出来ていない。

 あの顔をしたい。なりたい。あの気持ちを味わいたい。

 それまでは、辞めるわけにはいかなかった。


 数年が経ち、気が付けば同時期に入った子供はいなくなり、一回りも二回りも上の生徒ばかりの中で、私は強い部類になっていた。ひとえに経験年数も関係しているだろうが、痛みと悔しさに泣きながらも、睨むように相手の動きを観察したりしていた経験値がここにきて昇華してきたのだろう。道場の人の癖は何となく覚え、他の道場の人と練習試合をする時も、必ず誰かの癖に似ているもので、対応は応用を利かせれば誰にでも通用した。


 そして五年が経ち、私が道場で痣をつくることは無くなった。


 そんな中で、新たに道場に入ってきたのが、あの霧島だった。

 当時の霧島は、まさに女子高生だった。

 剣道着が汗臭いだの、竹刀が重いだの、思ったことをすぐに口にしては、道場の先生に睨まれていた。男が多い道場で数少ない女子だった私は、よくペアを組まされたというのもあり、すぐに仲良くなった。

 

「霧島さん、剣道のこと好き? 嫌そうだけど」

「まだ好きじゃないかな~。痛いし重いし、おまけに暑いし。なんで始めちゃったかなって思ってる毎日だよ……」

 道場の帰り道、蝉の鳴き声にまみれながら二人で公園で、そんな話をした。

 そういえば、それもこの公園だった気がする。

「奏良ちゃんは凄いよね~。私よりいくつも下なのに、めちゃくちゃ強いし弱音も吐かないし」

「まぁ、五年以上もやってればね」

「私の目標は、奏良ちゃんを倒すことだから」

「そういう俗物な目標を立ててる時点で、成長を止めちゃうよ。目標はもっと大きく、もっと高尚なものでないと」

「私よりどんだけ大人なの……ちなみに、奏良ちゃんの目標はどこ?」

「私の目標は……」


 私の目標は、テレビで観たあの選手の表情になることだった。

 最初は、勝てばあの顔が出来ると思っていた。

 でも、これは実はそんな簡単なことではなくて、どれだけ勝っても反省点が見つかり、モヤモヤすることの方が多かった。それなのに、負けた試合で気分がスッキリするものもあった。何が原因なのか、未だにはっきりと分からないけど、一つだけ自分でルールを課すようになっていた。


「私は、自分が最善だと思うことをすること、かな」

「おぉ……なんか格好良い……!」

「なんか恥ずかしいから、そんな目で見ないで……!」

「私も同じ目標にしよ! 毎日意識できるし、そういうの凄く武道を嗜む者として大切な気がしてきた!」

 私の言葉が、霧島の良くない所に火をつけたらしい。恥ずかしくて痒くなったけど、悪い気はしなかった。


 それから何年、私は霧島と竹刀を交え続けた。最初は拙い太刀筋だったのに、交える度に精度が増し、重みが増し、圧力が増していった。

 最後にした試合では、今まで一番と言っていいほど本気を出したし、苦戦した。いくつもポイントを奪われてしまい、それでも意地で一本を勝ち取った。


「「ありがとうございました!!」」


 汗が止まらない。息が上がりっぱなし。心臓が騒がしい。

 その時の私は、本当に良い顔が出来ていた。そんな気がする。


 また次に試合する時は、もしかしたら負けるかもしれない。負けてたまるか。

 少し帰りが遅くなった。火照った体を、冷たい夜風が冷ましてくれる。

 冬が近づいていた。


 その日、私はコンビニのアイスを買って帰るつもりだった。

 なんでも、最近期間限定のアイスが発売されたとのことで、この日はそれが楽しみで一日頑張ったようなものである。

 フラッと近くのコンビニに寄った時、何人かの男が目に映った。

 四人くらいだったと思う。少し背の低い男が中心となり、その周りに体格の良い男が並び、柄悪く入り口の近くで座り込んで、コンビニで買ったであろうお菓子を広げて談笑していたのである。

 

 典型的な不良グループ。しかも見苦しいこと、この上ない。

 一瞬目が合ったが、一瞥すると相手から目を逸らしてくれだ。所詮不良なんて、その程度の生き物だ。筋が通ってない、弱者の強がり。私は全くそこに美学を感じないし、頼まれてもあんなことはしたくない。


 無駄なことは忘れて、私は期間限定のアイスを買うことにした。何味だったかな、忘れた。あまり私は好きな味じゃなかった。


 コンビニを出ると、もう不良たちはいなくなっていたが、お菓子の残りや空き缶が散乱していた。本人らがいれば一言でもやろうかとも思ったが、幸か不幸かその場にいなかったので、イラつきながらもそれらをゴミ箱に片付けた。帰り際、店員さんがわざわざ店から出てきて、お礼とココアの缶をくれたのが、凄く嬉しかった。


 そして、この公園に食べに来た。街頭も明るくて、この時間は静かで好きなんだ。


 でも、この日は違った。

 先客がいたのだ。さっきのコンビニの不良グループである。

 虫と馬鹿はどこにでもいるようで、冬が近づいても活発なこいつらは本当に厄介な生き物だ。もう夜とも言える時間なのに、近所のことなんてお構いなしに騒いでいた。


「いいじゃん、一緒に遊ぼうよ~」

「やめてください……興味ないんで……」


 女性の声がした。でかい男で隠れて見えなかったが、不良たちは女性にちょっかいを出しているみたいだった。

「君に興味は無くても、僕らにはあるんだよ。ね、一緒に遊ぼう?」

「離して!」

 女性の声が一瞬、大きく公園に響いた。

「……静かにしてくれないかな、うざいんだけど」

 小さい男がズボンの尻ポケットに手を入れた。


 そこから顔を出したのは、街頭の光を反射した小型のナイフだった。


 それを見た私は、全ての荷物を投げ出し、背中に背負った竹刀を握りしめ、一気に駆け出した。

「やめろ!!」

 私の方を振り返った小さい男は、他の男にあごで指示する。

「さっきの女じゃん。邪魔だから半殺しにして。何を使ってもいいから」

 その言葉に頷き、三人もこちらに走ってきた。そのうち二人はカッターを構えていた。普通の人なら恐怖を感じて怖気づくのだろうけど、私はそんな小さなカッターよりも恐ろしいものと、もう何年も戦い続けているのだ。

「どけ!」

 カッターを持つ手に竹刀を振り下ろし、怯んだ胴に渾身の一撃を食らわせる。そのままステップを止めずに二人目も竹刀を打ち付け、最後の男には鳩尾に突きをいれ、その場にくず折れさせた。


 一瞬にして手下を倒された小さい男は、想定内だと言わんばかりに笑っていた。

 女性を羽交い絞めにして、その顔にナイフの刃を押し当てながら、笑っていた。


「さぁ、まずは竹刀を捨ててもらおうか」

「やめて……助けて……!」

 女性の涙が頬を伝い、触れるナイフを濡らしていく。

「お前……自分が何をしているのか、分かってるのか?」

「当然。でも、僕らの邪魔をした君が悪いんだよ?」

 街頭に照らされた男の笑みが、汚物のようにしか見えなかった。

「それに、竹刀を振り回して暴力だなんて、悪い人だね。僕らが被害届を出せば、君は加害者、僕らは被害者だ」

「ふざけるな! ナイフで人を脅しているお前らが加害者だろうが!」

「証拠がない。あるのは、君の竹刀で怪我をさせられた僕の手下だけだ」

「その女性も証人だ。そんな世迷言が通用するわけないでしょ!」

「この人は何もみてないよ。君の暴力しか、ね?」

 押し当てるナイフが、さらにその柔らかい頬を押した。

「見てない、よね?」

 頷くことも出来ない女性が、泣きながら小さく呻いた。

「お前、最低だな」

 

 私の中で、何かが切れた。

 数歩分あった間合いを、一瞬で詰め寄った。剣道で培った足運びを舐めてたな。

 そのまま竹刀を一直線に、男の面へと振り下ろした。

 防具を着けていないので、試合のような破裂音はしなかった。

 もっと、鈍い音が公園に響いた。


 生半可に打って反抗されては、女性に危害を加えるだろう。

 なりふり構わず、力の限り竹刀を打ち付けた。


 竹刀が折れるほどの勢いで放たれた面打ちで、大切な竹刀がぽっきりと折れてしまったが、男は紐が切れた人形のように泡を吹きながら気を失ってしまった。


 腰が抜けた女性を支え、二人で急いで公園から走って逃げる。

 人気の無いとこまで来て、やっと歩みを止めた。

「はぁ……はぁ……大丈夫?」

「はい……ありがとう、ございます……怖くて、仕方なくて……」

 まだ零れる涙をそっと指で拭ってあげた。

「頬も傷一つ付いてない。怪我しなくて良かったね」

「……うん」

 まだ気持ちが収まらない様子の女性。それは当然か。男に囲まれてナイフで脅されるなんて、私じゃなければ普通は怖いよね。

「少し、話をしようか」


 それが、私と加奈との出会いだった。

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